インターネット字書きマンの落書き帳
もしも夢野久作がクトゥルフ作品を書いていたら
夢野久作ってクトゥルフ神話を書いていないよね。
でもメチャクチャ相性が良さそうだよね。
そう思って、書いてみました。
夢野久作風の文体でクトゥルフ神話っぽい話です。
夢野久作の短編っぽさに寄せつつ、クトゥルフっぽい話になるよう頑張りました♥
良かったら見ていってください♥
でもメチャクチャ相性が良さそうだよね。
そう思って、書いてみました。
夢野久作風の文体でクトゥルフ神話っぽい話です。
夢野久作の短編っぽさに寄せつつ、クトゥルフっぽい話になるよう頑張りました♥
良かったら見ていってください♥
『月と推進機(スクリュー)』
アハハハハハ……。
またその話ですか、先生。だって可笑しいじゃぁないですか。アタシがあれ程必死になって訴えた時にはテンデ相手にもしなかったって言うのに、今更どうしてスマトラ・クィーン号が無人のまま海の上にプカプカ浮かんでいたのか、その訳を聞いてみたいなんて言うんですから。
アタシはあの夜の事を全て、ありのままを皆さんにお伝えしたんじゃありませんか。それなのに信じてくれるどころか、アタシの頭は腐ってる。こんな話は役に立たないとでも言いたげにアタシの首根っこを掴まえて、こんな狭っ苦しい病室に無理矢理押し込んだんじゃぁないですか。
今更アタシが何を言っても、どうせどなたも信じてくれはしませんでしょう。先生だってアタシが狂った哀れな子羊だろう。患者だから仕方ないから話を聞いてやろう。そう思って来たんでしょう。
アハハハ……アハハ、アハハハ……。
いや、まだ帰っていなかったんですか? わかりました、それならお話いたしましょう。どうせアタシにゃもう話せる事は、あの船の事しか無いんです。何度寝たって薄れる事もなく、何をしたって途切れる事もないあの忌々しい記憶が、脳髄の奥底にコビリついて離れはしませんから、お望み通りスマトラ・クィーン号の乗員が如何様にして消えてしまったのか、そしてアタシだけが一人残され、海の上に浮かんでいたのか、その一部始終をお話するといたしましょう。
最も、アタシはもう半ば正気じゃ御座いませんから、あれは手前で見たものだったのか、それとも死に際に見た幻覚だったのか、もうサッパリとわからない状態で御座いますから、マトモに話せているかもわかりませんが、その点はどうかご容赦頂けたらと思います。
ハイ、ハイ……スマトラ・クィーン号はご存じの通り二千五百トン級の荷物船(カーゴ)でございました。
荷物船というものは、タップリ積んだ荷物が一番のお客様でございますから、荷物は船倉の一等席にビッシリ丁重に運ばれるものです。アタシら乗組員(クルー)の扱いなんざ路肩に落ちてる犬の糞なんかと何ら変わりはないもので、一日中駆け回り這いずり回って仕事をしても、あてがわれる食事は粗末で硬いパンやら薄切りの干物なんかばかり。
眠るのもベッドなんて呼べる大層な代物ではなく、板張りの狭い部屋にギュウギュウと詰め込まれて眠るような有様で、マッタク人間らしい扱いなんてあったものでは御座いません。
オマケにみんなロクスッポ寝れないまま仕事をしますから、やれマストを開け、傾けろと、ロープを持て、いや外せとコロコロ変わる言い分に朦朧として取りかかるうちうっかりポカを仕出かすと、タチマチ拳が飛んでくるのを誰もが当然といった風で受け入れて、みんな身体中痣だらけになってヒィヒィ言っておりました。
イヤァ、アタシは船での稼ぎは上等で、有り難く頂いておりましたが、船の空気だけはとうとう馴染む事ができませんでしたねェ……。
それでもアタシみたいに立派な学問を修めている訳でもない人間が、身体が頑丈で病気をしないというだけでいっぱしの給料をもらえる仕事は中々にありません。毎日大声でがなり立てられながらも、海に放り投げられないよう、船長やら機関長やら一等航海士様といった上役や、船の中でも一等に古株の荒くれ者なんかに目を付けられないようペコペコ頭を下げて、航海が終われば自由だ、陸に上がって金が入ったらこんな船なんぞとっととオサラバして次こそノンビリと暮らすんだなんて思いながら、代わり映えしない海の彼方から陸へ近づくのを待ち焦がれていたものです。
ご存じですか。船の上から海を眺めると、何処までも何処までも海ばかりが広がって向こうに何があるのかテンデわからなくなるんです。
アタシは何度か帆柱(マスト)に上がって海を眺めた事があるんですが、アリャァ本当に恐ろしいですよ。海の上では二千五百トン級の荷物船なんてちっぽけな切れっ端みたいなもんで、チョイト大波がきたら立ち所に消え失せてしまうんだと思うと、人間なんて何てチッポケな存在なんだと、海の気まぐれで簡単に踏みにじられてペシャンコになる小さな生き物でしかないんだと、そんな事を思わす恐ろしさがあるんです。
オマケに四方八方を見渡しても何処にも何にも見えないもんですから、アタシの知ってる陸地はトックの昔にゼンブ無くなっていて、もう世界にはこの船しか無いんじゃないか。行く所も帰る所も、もう消え失せているんじゃないか、なんてありもしない空想を抱いて、ますます恐ろしい気持ちになったもんです。
今にして思えば、スマトラ・クィーン号に乗った時からアタシは少しおかしかったのかもしれません。
大体、アタシは乗組員としてはまだ新米なんですが、それでもあのくらいの船に乗ったのは一度や二度じゃぁございません。寝ずの仕事も罵詈雑言も子守歌みたいに馴染んでいて気にした事もありませんし、帆柱に登って海を見てあんなに恐ろしいと思ったのも初めての事でございました。
あの船はそんなふうに人の気持ちを何処か陰気にさせ、良くない事ばかりウジウジ考えさせるような雰囲気が船の中イッパイに広がっていて、他の乗組員たちも心なしか覇気が無いように感じたものです。
それに、スマトラ・クィーン号は船長(キャプテン)がまた異様な雰囲気の男でしてね。船長らしいリッパな帽子を深々と被っているんですが、ギョロリと見開いた目で瞬きもロクスッポせずに、船員たちをジィッと見つめる姿は恐ろしくも厳めしく、アタシなんかは目があっただけで心臓をギュウギュウ締め上げられたような息苦しさを覚えたりしたもんです。
アァ、息苦しさといえば、船長が現れる前は何処からともなく強い磯の臭いプーンと漂ってくるもんですから、魚が腐ったようなひどい臭いがするな、と思ったら何処かから船長が見ているんだ、近づいてコッチの仕事を伺っているんだろう……なんて思って、一層仕事に身を入れたりもしました。
いえね、別に船長がアタシたちを殴ったり、鞭で打ったりする訳じゃぁないんですよ。ただ、あの船長にジィッと見られると金縛りにでもあったように全身の毛が逆立つようなイヤな雰囲気があったもので、どうにもあの船長に目を付けられたくない。見て欲しくないといった気持ちが働いちまうもんなんですよ。
えぇ、陰気な船でした。嫌に湿気ているような、立派な蒸気船だというのにいつも強い磯の臭いが漂った、嫌な雰囲気の船でしたよ。アタシが帆柱に登ってガラにもなくおセンチになったのも、あの船全体に包まれた異様な雰囲気に飲まれたからに違いありません。
スマトラ・クィーン号が何を運ぼうとしていたのかって?
そんなもの、ただの乗組員であるアタシの知った事じゃぁありませんよ。ですが、船に乗ってる連中もしきりに、今回の積み荷はおかしいだの、この船長は一体なにを運ぼうとしているのだろうと噂はしておりましたので、何かしら普通ではないモノを運んでいたのは間違いないでしょう。
全てカラッポになっちまった今では、想像する事しか出来ませんが……。
そういえば、散々働いた後やっと休めると寝台に入った時に、妙な話を聞いたのを覚えておりますよ。アタシは寝付きがいい方で普段ならヘトヘトに疲れ果て泥のように眠っちまうんですが、あの日は他の乗組員たちがボソボソ話すのがやけに大きく聞こえたんです。
ヤレ、今回運んでる積み荷はおかしいじゃないか……荷物を濡らしちゃならないから水なんざ入る訳がないってのに、夜中になるとヒタヒタピタピタ、まるでずぶ濡れの人間が歩き回ってるような音が聞こえるんだ……いや、そんなはずはない、海の中を浮かんだ船なんだから水音くらいはするだろうさ、波の音が水音に聞こえたんだろう……波のザァザァする音と、水の滴る足音じゃテンデ違うじゃないか、そんなはずはない、あの積み荷から聞こえてるんだ、船長は骨董を積み込んだといってたが、骨董にしてはやけに重たかったじゃないか、キットもっと別の、もっと恐ろしいものを運んでるに違いない……。
なんて、荷物船では積み荷の中身なんて知る由もありませんから、今運んでるのはドコソコ王室から盗まれた宝石だとか、焼け落ちた寺院から運び出された有り難い経典だとか、そんな根も葉もない噂が流れるなんてのはしょっちゅうなんで普段は気にも留めないんですけどね。
あの話は今でもずっと忘れられないでいるんです。
何せスマトラ・クィーン号は船倉が特にひどく臭いで、何千匹の魚がまとめて打ち上げられ腐り果てたような、鯨の腹に溜まったガスのような、ひどい臭いがしたもんですから。
アタシですか?
アタシら乗組員は滅多なことで積み荷が置かれた部屋なんかに入ったりしませんから、そこから音がしたなんてぇのは聞いた事がありません。もっと変な音は、何度か聞いたことがございます。船の中で時々、ゴボゴボと嫌な音を聞いた事があるんですよ。まるで水の中で声を出してるような不明瞭な発音で誰かが喋る声を……。
ご存知の通り、スマトラ・クィーン号は上海を出て横浜まで航海する予定で御座いました。皆さんはアタシが大嵐に巻き込まれ頭がおかしくなったんだと申しておりますが、アタシが船に乗ってる最中、時化る事もなく順調な航海をしておりましたよ。
助け出された後から、スマトラ・クィーン号が大嵐の中も航海を続けて、あれは助からないだろうなんて言われてたのを知ったくらいですから間違いありません。アタシらは確かに何の問題もなく、順調な航海をしておりました。
そりゃぁ、海の男たちがひしめき合ってる船ですから荒っぽいのは当然です。怒声や喧嘩も日常茶飯事で、忙しくも慌ただしい航海ではありましたが、船がモノ凄いスピードでズンズン進んでいるのは経験の浅いアタシでも何とはなしに分かってました。
だからこそ、あの夜。船がピタリと動かなくなった時は、流石におかしいと思ったんです。
日中はアチコチ走り回ってクタクタになって、その日は他の乗組員はスッカリ眠っておりました。ですがアタシだけは夜中にフト目を覚ましちまったんです。
先ほどアタシは寝付きがいいと言いましたが、眠りは浅い方でして。些末な音や大きな揺れで目を覚まし、横になってるうちウトウトしたまま朝を迎えるなんてことは当たり前にありましたから、あぁ、今日は随分と早く起きてしまった、もう一眠りできればいいと思いながら眠気が来るのを待っていたんです。
すると、横になってるうちに、ゴボゴボと水の中で喋るような音が何処からか聞こえてくるじゃありませんか。しかもその声がやけに近く、やけに沢山聞こえてきたものですから、アタシは一体これは何だと不思議に思って耳を澄ませジッと様子を窺っていたのです。
その時、あまりに船室がシィンとしていたので、アタシはようやく船が止まっていることに気付きました。推進機(スクリュー)も汽缶(ボイラー)もマッタク動いてないんじゃないに違いない、そうじゃなければこんなにも、何の音も聞こえない事があるもんか……そう思った時、ようやく船が止まっている事に気付いたって訳です。
これは一大事だ、機関室に何かあったのか、誰かに確認しなきゃいけないと起きて辺りを見回せば、他の連中は何も気付いていない様子で毛布に包まりスヤスヤ寝息をたてておりました。
アタシは誰かを起こして様子を見に行こうか、声をかけて一緒に何があったのか確認しようか考えたんですが、夜中に揺り起こされる苛立ちはよぅく知っておりますし、この船には知り合いも仲の良い乗組員も誰もいませんでしたから、気楽に声をかけられる相手なぞ思いつかなかったので、ヤレ仕方ないと思い一人で起きて様子を見に行く事にしたのです。なにせ気の荒い連中ですからね、声をかけただけでブン殴られるかもしれません。様子を見に行って何でもないともなれば、その後ひどく嫌味を言われるのも面倒でしたもので。
アタシは目を閉じると、ジッと耳を澄ませて声のする方へと足を向けました。
船内は灯りなんぞなく真っ暗でしたが、暗がりで歩くのはスッカリ慣れておりましたし、船の中も随分と行き来してましたから、暗闇で目を閉じてても船の中を行き来するのは造作も無い事だったんです。
声はどうやら甲板から聞こえてくるようでした。アタシが慣れた通路を歩いて甲板まで向かいますと、異様な臭いがツンと鼻についてくるじゃぁありませんか。えぇ、船長から漂ってくる臭いとおなじ、あの魚が腐ったような強い磯の臭いです。
生臭くて身体にまとわりつくような、湿っぽく陰気くさい臭いが甲板から吹き込むように入ってきますから、アタシはすっかり臭いにやられて階段の下に蹲り、こみ上げる吐き気を何とか抑えておりました。
すると、どうでしょう。甲板の上からヒタヒタ、ピタピタ。タップリと水を含んだ足音が聞こえてくるじゃぁありませんか。その足音はゾロゾロと増えてきて、それからコチラへと向かってきますから、アタシはスッカリ肝を冷やして慌てて階段の裏側に潜り込んで、ジッと息をひそめておりました。
無数の足音は、ヒタヒタ、ゾロゾロ、水音を滴らせ足を引きずるように進んで、ドンドン階段を降りていきます。甲板からは、船長のがなり声が聞こえてきました。
「ふんぐるいふんぐるなむ」「ふんぐるいふんぐるなむ」
……そのような、意味不明の文句を並べておりました。異国の言葉なのか、そんな発音に聞こえました。アタシがじっと息をひそめていると、船の上から何かを投げ込むような音がばしゃり、ばしゃりと聞こえてくるのです。船長がきっと、甲板から何かを投げ落としているんだ……というのはわかりました。
それから、何者かの足音。息もせず、身動ぎも出来ない状態で階段の下、ひたすら小さくなっておりますと、ヒタヒタ、ピタピタと並ぶ足音はギィィとどこかのドアを開け、それからひどい悲鳴が響いたのです。
悲鳴をあげたのは、恐らくアタシが抜け出る前に船室で寝ていた他の乗組員でしょう。
何かが船室に入ってきた、そして船室にいる他の乗務員を襲っているのだ。そう思った時、アタシはますます恐ろしくなってその場から一歩も動けなくなりました。
臆病だと罵られても仕方ありませんが、先生だって真の闇に包まれた最中、異様な臭いと音が響き、荒くれ男が絹を裂くような悲鳴をあげるような状況で果たして動けるものがいるのでしょうか。アタシはもう耳を塞ぎ蹲って、何さ客室にいる男たちは腕っ節なら一人前だ、寝込みを襲われたからってやられるはずがないだろう、逆に打ち負かして相手を追い出してくれるに違いないと、祈るような気持ちでおりました。
結局のところそれは、空しい祈りに過ぎませんでしたけれども。
あの音の正体は何だ、一体どうしてピタピタヒタヒタ、水が滴るような音なんてするんだ、何が現れた、何処から来たんだ。そんな考えが次から次へと浮かんでは消える事なく、アタシの脳髄をイッパイにするもんですから、イヨイヨこの目で確かめなければ今夜は眠れやしないと、そんな心持ちになってきました。
散々悲鳴のあがった船室にも、戻りたくないというのもあったでしょう。
ですからアタシはイッキに階段を登ることにしたんです。
足音はひどくモタモタしておりましたから、じわじわ様子を見るより、サッと走ってサッと逃げた方がよほどいいと思ったのです。アタシは足の速さには、ちょっと自信もあったのです。
そうして甲板の片隅に息をひそめると、アタシは恐る恐る顔をあげ周囲を見渡しました。
誰かいやしないか、背後から急に襲われたりはしないかと、身体全体を耳にして甲板の様子を覗ったのです。
その日は綺麗な満月で、空には銀色の月が爛々と輝いておりました。アタシら乗組員は夜中に起きて仕事をすることも多いですから、元々薄暗い中での移動は慣れたものなのですが、その夜は明かりがなくとも問題ないほど、周囲がよく見通せたのです。
あぁ、でもそれがよくありませんでした。
夜の闇は、本来アタシ達人間の領分じゃないんです。近づいてはいけない、畏れなければいけない、そういうものだったんですよ。
甲板に立っていたのは、其れは、身体中に海藻だのフジツボだのをビッシリとつけた、全身鱗まみれのナニカでした。人のように二本足で歩いてはいるのですが、耳も鼻もそぎ落とされたみたいにただポッカリと空洞になっていて、薄い皮膜に包まれた目が爛々と輝いておりました。
ヌメリとした肌は、魚のようにも思えますし、ナマコやウミウシのような生き物のようにも思えます。迂闊に近づけば窒息するほどの生臭い悪臭を振りまいた、人のようなナニカが指を突き出すと、その指はマストの先端に届きそうなほど長く見えました。
やがて、その合図を受けたように、船の奥底から次々と、あの魚とナマコと人間を全部ミキサーにかけたような生き物がゾロゾロと出てきたのです。蟻のように規則正しく隊列を組んで歩く連中は、船の積み荷を各々が背負い、バシャン、バシャンと海に投げ込んでいくのです。
アタシが船室で聞いた音は、きっとこの音だったのでしょう。
しかしイッタイどこにあんな気味の悪い生き物が隠れていたっていうのでしょう……そして、何て不気味で醜い生きものなのでしょう……。
頭ではそう思っているのですが、アタシはその光景から目が離せませんでした。
あの魚とナマコのあいのこたちは、おおよそ人間らしさをそぎ落とした存在だったのですが、私の目はそれに釘付けになっていたのです。アタシの意志とは関係なく、目玉だけがあの連中をジッと捉えて放さなかったのです。
そうして、投げ込む荷物が乏しくなりますと、ヤット自分の仕事が全部終わったとでもいうように、今度は自分たちが順繰りになってバシャン、バシャンと海に飛び込みはじめました。その最中、まるで読経のようにあの意味不明の言葉をずぅっと、吐き出しているのです。
ふんぐるぁふんぐるなむいあいあ……。
ふんぐるぁふんぐるなむいあいあ……。
月はテッペンに上がっておりました。人とも思えぬナニカの目玉と鱗とがきらきらと輝いて、青白い月光と海とが入り交じって、この光景がホントウの世界なのか、それとも恐ろしい悪夢の中にいるのか、スッカリわからなくなってしまいました。
そうして、最後の一人が……アレを人といっていいのかはわかりませんが……海に飛び込もうとするとき、チラリとこちらを見たのです。
えぇ、確かにアタシを見ました。そしてニタリと笑ったのです。その顔は、それまでの連中と違ってまだ片耳が残り、鼻はとろける途中だったから顔に人間らしい面影があったのですが……えぇ、間違いありません。あの顔は、確かにスマトラ・クィーン号の船長でした。
それで、アタシはわかったんです。
あぁ、きっと他の乗組員(クルー)たちも、あぁなって、海に飛び込んだんだろうと。
後は皆さんが知っての通りです。アタシはあの空っぽの船に取り残されて漂流しているのを助けられて、でもずっとまともに話もできない状態でした。そうして、やっとこさ話が出来るようになったら、頭のオカシイ奴だとコンナ病院に押し込められて、誰もアタシの話なんて信じちゃくれません。
でもねぇ、もうアタシはどうでもいいんです。
ダッテたった今、アナタにこの話をしたんですから。
あの時、アタシだけが取り残された理由が、アタシはやっとわかったんです。
キット、アタシは選ばれたんです。あの日の出来事を先生に語る、アタシはその役目を与えられ、こうして生きて帰ってきたんです。
でも、その役目も今終わりました。
だからもう、もういいんです。
アハハハハ……。
えぇ、聞こえますよ。先生にも聞こえるんですね。そう、アタシにもずっと聞こえます。月と海の彼方から、アタシたちを呼んで手招きしているんです。
アタシたちは選ばれた。だから、アタシたちもいずれ、そうなるんですよ。
怖くなんてありません。いいじゃないですか。アナタもまた誰かにこの話をするまで、ズゥットその声と過ごしていけばいいんです。そうしたらいつか、アタシのように選ばれて、月と海とに呼ばれるんですよ。
アハハハハハ……楽しみじゃないですか……ネェ? きっと素敵ですよ、ネェ先生?
アハハハハ、アハハハハ……アハハハハ……。
アハハハハハ……。
またその話ですか、先生。だって可笑しいじゃぁないですか。アタシがあれ程必死になって訴えた時にはテンデ相手にもしなかったって言うのに、今更どうしてスマトラ・クィーン号が無人のまま海の上にプカプカ浮かんでいたのか、その訳を聞いてみたいなんて言うんですから。
アタシはあの夜の事を全て、ありのままを皆さんにお伝えしたんじゃありませんか。それなのに信じてくれるどころか、アタシの頭は腐ってる。こんな話は役に立たないとでも言いたげにアタシの首根っこを掴まえて、こんな狭っ苦しい病室に無理矢理押し込んだんじゃぁないですか。
今更アタシが何を言っても、どうせどなたも信じてくれはしませんでしょう。先生だってアタシが狂った哀れな子羊だろう。患者だから仕方ないから話を聞いてやろう。そう思って来たんでしょう。
アハハハ……アハハ、アハハハ……。
いや、まだ帰っていなかったんですか? わかりました、それならお話いたしましょう。どうせアタシにゃもう話せる事は、あの船の事しか無いんです。何度寝たって薄れる事もなく、何をしたって途切れる事もないあの忌々しい記憶が、脳髄の奥底にコビリついて離れはしませんから、お望み通りスマトラ・クィーン号の乗員が如何様にして消えてしまったのか、そしてアタシだけが一人残され、海の上に浮かんでいたのか、その一部始終をお話するといたしましょう。
最も、アタシはもう半ば正気じゃ御座いませんから、あれは手前で見たものだったのか、それとも死に際に見た幻覚だったのか、もうサッパリとわからない状態で御座いますから、マトモに話せているかもわかりませんが、その点はどうかご容赦頂けたらと思います。
ハイ、ハイ……スマトラ・クィーン号はご存じの通り二千五百トン級の荷物船(カーゴ)でございました。
荷物船というものは、タップリ積んだ荷物が一番のお客様でございますから、荷物は船倉の一等席にビッシリ丁重に運ばれるものです。アタシら乗組員(クルー)の扱いなんざ路肩に落ちてる犬の糞なんかと何ら変わりはないもので、一日中駆け回り這いずり回って仕事をしても、あてがわれる食事は粗末で硬いパンやら薄切りの干物なんかばかり。
眠るのもベッドなんて呼べる大層な代物ではなく、板張りの狭い部屋にギュウギュウと詰め込まれて眠るような有様で、マッタク人間らしい扱いなんてあったものでは御座いません。
オマケにみんなロクスッポ寝れないまま仕事をしますから、やれマストを開け、傾けろと、ロープを持て、いや外せとコロコロ変わる言い分に朦朧として取りかかるうちうっかりポカを仕出かすと、タチマチ拳が飛んでくるのを誰もが当然といった風で受け入れて、みんな身体中痣だらけになってヒィヒィ言っておりました。
イヤァ、アタシは船での稼ぎは上等で、有り難く頂いておりましたが、船の空気だけはとうとう馴染む事ができませんでしたねェ……。
それでもアタシみたいに立派な学問を修めている訳でもない人間が、身体が頑丈で病気をしないというだけでいっぱしの給料をもらえる仕事は中々にありません。毎日大声でがなり立てられながらも、海に放り投げられないよう、船長やら機関長やら一等航海士様といった上役や、船の中でも一等に古株の荒くれ者なんかに目を付けられないようペコペコ頭を下げて、航海が終われば自由だ、陸に上がって金が入ったらこんな船なんぞとっととオサラバして次こそノンビリと暮らすんだなんて思いながら、代わり映えしない海の彼方から陸へ近づくのを待ち焦がれていたものです。
ご存じですか。船の上から海を眺めると、何処までも何処までも海ばかりが広がって向こうに何があるのかテンデわからなくなるんです。
アタシは何度か帆柱(マスト)に上がって海を眺めた事があるんですが、アリャァ本当に恐ろしいですよ。海の上では二千五百トン級の荷物船なんてちっぽけな切れっ端みたいなもんで、チョイト大波がきたら立ち所に消え失せてしまうんだと思うと、人間なんて何てチッポケな存在なんだと、海の気まぐれで簡単に踏みにじられてペシャンコになる小さな生き物でしかないんだと、そんな事を思わす恐ろしさがあるんです。
オマケに四方八方を見渡しても何処にも何にも見えないもんですから、アタシの知ってる陸地はトックの昔にゼンブ無くなっていて、もう世界にはこの船しか無いんじゃないか。行く所も帰る所も、もう消え失せているんじゃないか、なんてありもしない空想を抱いて、ますます恐ろしい気持ちになったもんです。
今にして思えば、スマトラ・クィーン号に乗った時からアタシは少しおかしかったのかもしれません。
大体、アタシは乗組員としてはまだ新米なんですが、それでもあのくらいの船に乗ったのは一度や二度じゃぁございません。寝ずの仕事も罵詈雑言も子守歌みたいに馴染んでいて気にした事もありませんし、帆柱に登って海を見てあんなに恐ろしいと思ったのも初めての事でございました。
あの船はそんなふうに人の気持ちを何処か陰気にさせ、良くない事ばかりウジウジ考えさせるような雰囲気が船の中イッパイに広がっていて、他の乗組員たちも心なしか覇気が無いように感じたものです。
それに、スマトラ・クィーン号は船長(キャプテン)がまた異様な雰囲気の男でしてね。船長らしいリッパな帽子を深々と被っているんですが、ギョロリと見開いた目で瞬きもロクスッポせずに、船員たちをジィッと見つめる姿は恐ろしくも厳めしく、アタシなんかは目があっただけで心臓をギュウギュウ締め上げられたような息苦しさを覚えたりしたもんです。
アァ、息苦しさといえば、船長が現れる前は何処からともなく強い磯の臭いプーンと漂ってくるもんですから、魚が腐ったようなひどい臭いがするな、と思ったら何処かから船長が見ているんだ、近づいてコッチの仕事を伺っているんだろう……なんて思って、一層仕事に身を入れたりもしました。
いえね、別に船長がアタシたちを殴ったり、鞭で打ったりする訳じゃぁないんですよ。ただ、あの船長にジィッと見られると金縛りにでもあったように全身の毛が逆立つようなイヤな雰囲気があったもので、どうにもあの船長に目を付けられたくない。見て欲しくないといった気持ちが働いちまうもんなんですよ。
えぇ、陰気な船でした。嫌に湿気ているような、立派な蒸気船だというのにいつも強い磯の臭いが漂った、嫌な雰囲気の船でしたよ。アタシが帆柱に登ってガラにもなくおセンチになったのも、あの船全体に包まれた異様な雰囲気に飲まれたからに違いありません。
スマトラ・クィーン号が何を運ぼうとしていたのかって?
そんなもの、ただの乗組員であるアタシの知った事じゃぁありませんよ。ですが、船に乗ってる連中もしきりに、今回の積み荷はおかしいだの、この船長は一体なにを運ぼうとしているのだろうと噂はしておりましたので、何かしら普通ではないモノを運んでいたのは間違いないでしょう。
全てカラッポになっちまった今では、想像する事しか出来ませんが……。
そういえば、散々働いた後やっと休めると寝台に入った時に、妙な話を聞いたのを覚えておりますよ。アタシは寝付きがいい方で普段ならヘトヘトに疲れ果て泥のように眠っちまうんですが、あの日は他の乗組員たちがボソボソ話すのがやけに大きく聞こえたんです。
ヤレ、今回運んでる積み荷はおかしいじゃないか……荷物を濡らしちゃならないから水なんざ入る訳がないってのに、夜中になるとヒタヒタピタピタ、まるでずぶ濡れの人間が歩き回ってるような音が聞こえるんだ……いや、そんなはずはない、海の中を浮かんだ船なんだから水音くらいはするだろうさ、波の音が水音に聞こえたんだろう……波のザァザァする音と、水の滴る足音じゃテンデ違うじゃないか、そんなはずはない、あの積み荷から聞こえてるんだ、船長は骨董を積み込んだといってたが、骨董にしてはやけに重たかったじゃないか、キットもっと別の、もっと恐ろしいものを運んでるに違いない……。
なんて、荷物船では積み荷の中身なんて知る由もありませんから、今運んでるのはドコソコ王室から盗まれた宝石だとか、焼け落ちた寺院から運び出された有り難い経典だとか、そんな根も葉もない噂が流れるなんてのはしょっちゅうなんで普段は気にも留めないんですけどね。
あの話は今でもずっと忘れられないでいるんです。
何せスマトラ・クィーン号は船倉が特にひどく臭いで、何千匹の魚がまとめて打ち上げられ腐り果てたような、鯨の腹に溜まったガスのような、ひどい臭いがしたもんですから。
アタシですか?
アタシら乗組員は滅多なことで積み荷が置かれた部屋なんかに入ったりしませんから、そこから音がしたなんてぇのは聞いた事がありません。もっと変な音は、何度か聞いたことがございます。船の中で時々、ゴボゴボと嫌な音を聞いた事があるんですよ。まるで水の中で声を出してるような不明瞭な発音で誰かが喋る声を……。
ご存知の通り、スマトラ・クィーン号は上海を出て横浜まで航海する予定で御座いました。皆さんはアタシが大嵐に巻き込まれ頭がおかしくなったんだと申しておりますが、アタシが船に乗ってる最中、時化る事もなく順調な航海をしておりましたよ。
助け出された後から、スマトラ・クィーン号が大嵐の中も航海を続けて、あれは助からないだろうなんて言われてたのを知ったくらいですから間違いありません。アタシらは確かに何の問題もなく、順調な航海をしておりました。
そりゃぁ、海の男たちがひしめき合ってる船ですから荒っぽいのは当然です。怒声や喧嘩も日常茶飯事で、忙しくも慌ただしい航海ではありましたが、船がモノ凄いスピードでズンズン進んでいるのは経験の浅いアタシでも何とはなしに分かってました。
だからこそ、あの夜。船がピタリと動かなくなった時は、流石におかしいと思ったんです。
日中はアチコチ走り回ってクタクタになって、その日は他の乗組員はスッカリ眠っておりました。ですがアタシだけは夜中にフト目を覚ましちまったんです。
先ほどアタシは寝付きがいいと言いましたが、眠りは浅い方でして。些末な音や大きな揺れで目を覚まし、横になってるうちウトウトしたまま朝を迎えるなんてことは当たり前にありましたから、あぁ、今日は随分と早く起きてしまった、もう一眠りできればいいと思いながら眠気が来るのを待っていたんです。
すると、横になってるうちに、ゴボゴボと水の中で喋るような音が何処からか聞こえてくるじゃありませんか。しかもその声がやけに近く、やけに沢山聞こえてきたものですから、アタシは一体これは何だと不思議に思って耳を澄ませジッと様子を窺っていたのです。
その時、あまりに船室がシィンとしていたので、アタシはようやく船が止まっていることに気付きました。推進機(スクリュー)も汽缶(ボイラー)もマッタク動いてないんじゃないに違いない、そうじゃなければこんなにも、何の音も聞こえない事があるもんか……そう思った時、ようやく船が止まっている事に気付いたって訳です。
これは一大事だ、機関室に何かあったのか、誰かに確認しなきゃいけないと起きて辺りを見回せば、他の連中は何も気付いていない様子で毛布に包まりスヤスヤ寝息をたてておりました。
アタシは誰かを起こして様子を見に行こうか、声をかけて一緒に何があったのか確認しようか考えたんですが、夜中に揺り起こされる苛立ちはよぅく知っておりますし、この船には知り合いも仲の良い乗組員も誰もいませんでしたから、気楽に声をかけられる相手なぞ思いつかなかったので、ヤレ仕方ないと思い一人で起きて様子を見に行く事にしたのです。なにせ気の荒い連中ですからね、声をかけただけでブン殴られるかもしれません。様子を見に行って何でもないともなれば、その後ひどく嫌味を言われるのも面倒でしたもので。
アタシは目を閉じると、ジッと耳を澄ませて声のする方へと足を向けました。
船内は灯りなんぞなく真っ暗でしたが、暗がりで歩くのはスッカリ慣れておりましたし、船の中も随分と行き来してましたから、暗闇で目を閉じてても船の中を行き来するのは造作も無い事だったんです。
声はどうやら甲板から聞こえてくるようでした。アタシが慣れた通路を歩いて甲板まで向かいますと、異様な臭いがツンと鼻についてくるじゃぁありませんか。えぇ、船長から漂ってくる臭いとおなじ、あの魚が腐ったような強い磯の臭いです。
生臭くて身体にまとわりつくような、湿っぽく陰気くさい臭いが甲板から吹き込むように入ってきますから、アタシはすっかり臭いにやられて階段の下に蹲り、こみ上げる吐き気を何とか抑えておりました。
すると、どうでしょう。甲板の上からヒタヒタ、ピタピタ。タップリと水を含んだ足音が聞こえてくるじゃぁありませんか。その足音はゾロゾロと増えてきて、それからコチラへと向かってきますから、アタシはスッカリ肝を冷やして慌てて階段の裏側に潜り込んで、ジッと息をひそめておりました。
無数の足音は、ヒタヒタ、ゾロゾロ、水音を滴らせ足を引きずるように進んで、ドンドン階段を降りていきます。甲板からは、船長のがなり声が聞こえてきました。
「ふんぐるいふんぐるなむ」「ふんぐるいふんぐるなむ」
……そのような、意味不明の文句を並べておりました。異国の言葉なのか、そんな発音に聞こえました。アタシがじっと息をひそめていると、船の上から何かを投げ込むような音がばしゃり、ばしゃりと聞こえてくるのです。船長がきっと、甲板から何かを投げ落としているんだ……というのはわかりました。
それから、何者かの足音。息もせず、身動ぎも出来ない状態で階段の下、ひたすら小さくなっておりますと、ヒタヒタ、ピタピタと並ぶ足音はギィィとどこかのドアを開け、それからひどい悲鳴が響いたのです。
悲鳴をあげたのは、恐らくアタシが抜け出る前に船室で寝ていた他の乗組員でしょう。
何かが船室に入ってきた、そして船室にいる他の乗務員を襲っているのだ。そう思った時、アタシはますます恐ろしくなってその場から一歩も動けなくなりました。
臆病だと罵られても仕方ありませんが、先生だって真の闇に包まれた最中、異様な臭いと音が響き、荒くれ男が絹を裂くような悲鳴をあげるような状況で果たして動けるものがいるのでしょうか。アタシはもう耳を塞ぎ蹲って、何さ客室にいる男たちは腕っ節なら一人前だ、寝込みを襲われたからってやられるはずがないだろう、逆に打ち負かして相手を追い出してくれるに違いないと、祈るような気持ちでおりました。
結局のところそれは、空しい祈りに過ぎませんでしたけれども。
あの音の正体は何だ、一体どうしてピタピタヒタヒタ、水が滴るような音なんてするんだ、何が現れた、何処から来たんだ。そんな考えが次から次へと浮かんでは消える事なく、アタシの脳髄をイッパイにするもんですから、イヨイヨこの目で確かめなければ今夜は眠れやしないと、そんな心持ちになってきました。
散々悲鳴のあがった船室にも、戻りたくないというのもあったでしょう。
ですからアタシはイッキに階段を登ることにしたんです。
足音はひどくモタモタしておりましたから、じわじわ様子を見るより、サッと走ってサッと逃げた方がよほどいいと思ったのです。アタシは足の速さには、ちょっと自信もあったのです。
そうして甲板の片隅に息をひそめると、アタシは恐る恐る顔をあげ周囲を見渡しました。
誰かいやしないか、背後から急に襲われたりはしないかと、身体全体を耳にして甲板の様子を覗ったのです。
その日は綺麗な満月で、空には銀色の月が爛々と輝いておりました。アタシら乗組員は夜中に起きて仕事をすることも多いですから、元々薄暗い中での移動は慣れたものなのですが、その夜は明かりがなくとも問題ないほど、周囲がよく見通せたのです。
あぁ、でもそれがよくありませんでした。
夜の闇は、本来アタシ達人間の領分じゃないんです。近づいてはいけない、畏れなければいけない、そういうものだったんですよ。
甲板に立っていたのは、其れは、身体中に海藻だのフジツボだのをビッシリとつけた、全身鱗まみれのナニカでした。人のように二本足で歩いてはいるのですが、耳も鼻もそぎ落とされたみたいにただポッカリと空洞になっていて、薄い皮膜に包まれた目が爛々と輝いておりました。
ヌメリとした肌は、魚のようにも思えますし、ナマコやウミウシのような生き物のようにも思えます。迂闊に近づけば窒息するほどの生臭い悪臭を振りまいた、人のようなナニカが指を突き出すと、その指はマストの先端に届きそうなほど長く見えました。
やがて、その合図を受けたように、船の奥底から次々と、あの魚とナマコと人間を全部ミキサーにかけたような生き物がゾロゾロと出てきたのです。蟻のように規則正しく隊列を組んで歩く連中は、船の積み荷を各々が背負い、バシャン、バシャンと海に投げ込んでいくのです。
アタシが船室で聞いた音は、きっとこの音だったのでしょう。
しかしイッタイどこにあんな気味の悪い生き物が隠れていたっていうのでしょう……そして、何て不気味で醜い生きものなのでしょう……。
頭ではそう思っているのですが、アタシはその光景から目が離せませんでした。
あの魚とナマコのあいのこたちは、おおよそ人間らしさをそぎ落とした存在だったのですが、私の目はそれに釘付けになっていたのです。アタシの意志とは関係なく、目玉だけがあの連中をジッと捉えて放さなかったのです。
そうして、投げ込む荷物が乏しくなりますと、ヤット自分の仕事が全部終わったとでもいうように、今度は自分たちが順繰りになってバシャン、バシャンと海に飛び込みはじめました。その最中、まるで読経のようにあの意味不明の言葉をずぅっと、吐き出しているのです。
ふんぐるぁふんぐるなむいあいあ……。
ふんぐるぁふんぐるなむいあいあ……。
月はテッペンに上がっておりました。人とも思えぬナニカの目玉と鱗とがきらきらと輝いて、青白い月光と海とが入り交じって、この光景がホントウの世界なのか、それとも恐ろしい悪夢の中にいるのか、スッカリわからなくなってしまいました。
そうして、最後の一人が……アレを人といっていいのかはわかりませんが……海に飛び込もうとするとき、チラリとこちらを見たのです。
えぇ、確かにアタシを見ました。そしてニタリと笑ったのです。その顔は、それまでの連中と違ってまだ片耳が残り、鼻はとろける途中だったから顔に人間らしい面影があったのですが……えぇ、間違いありません。あの顔は、確かにスマトラ・クィーン号の船長でした。
それで、アタシはわかったんです。
あぁ、きっと他の乗組員(クルー)たちも、あぁなって、海に飛び込んだんだろうと。
後は皆さんが知っての通りです。アタシはあの空っぽの船に取り残されて漂流しているのを助けられて、でもずっとまともに話もできない状態でした。そうして、やっとこさ話が出来るようになったら、頭のオカシイ奴だとコンナ病院に押し込められて、誰もアタシの話なんて信じちゃくれません。
でもねぇ、もうアタシはどうでもいいんです。
ダッテたった今、アナタにこの話をしたんですから。
あの時、アタシだけが取り残された理由が、アタシはやっとわかったんです。
キット、アタシは選ばれたんです。あの日の出来事を先生に語る、アタシはその役目を与えられ、こうして生きて帰ってきたんです。
でも、その役目も今終わりました。
だからもう、もういいんです。
アハハハハ……。
えぇ、聞こえますよ。先生にも聞こえるんですね。そう、アタシにもずっと聞こえます。月と海の彼方から、アタシたちを呼んで手招きしているんです。
アタシたちは選ばれた。だから、アタシたちもいずれ、そうなるんですよ。
怖くなんてありません。いいじゃないですか。アナタもまた誰かにこの話をするまで、ズゥットその声と過ごしていけばいいんです。そうしたらいつか、アタシのように選ばれて、月と海とに呼ばれるんですよ。
アハハハハハ……楽しみじゃないですか……ネェ? きっと素敵ですよ、ネェ先生?
アハハハハ、アハハハハ……アハハハハ……。
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