インターネット字書きマンの落書き帳
ちいかわ・セイレーン編の二次創作です
ちいかわ、最近読むようになったんですよ。
面白いですね!
今回セイレーン編は、歴代の作品でもかなりの長編だったので読み終わった時の感慨もひとしおでした。
個人的に好きな終わり方なので、後日談を模造したファン創作をしました。
島二郎のお店が繁盛しているといいな! という願望などが籠もってます。
島二郎が全てを知るものになっているのは個人の趣味です。
よーろしーくねー。
面白いですね!
今回セイレーン編は、歴代の作品でもかなりの長編だったので読み終わった時の感慨もひとしおでした。
個人的に好きな終わり方なので、後日談を模造したファン創作をしました。
島二郎のお店が繁盛しているといいな! という願望などが籠もってます。
島二郎が全てを知るものになっているのは個人の趣味です。
よーろしーくねー。
『災厄のあと』
まだ油断は出来ないかもしれない。
船で発つ前、客人として訪れたラッコ姿の剣豪は険しい顔で告げたが心配は杞憂に終わったようだった。
あれからセイレーンは島に現れる事もなく、島民たちの生活も徐々に落ち着きを取り戻してくる。
セイレーンがいた頃のように草木の生育が良くなる現象は失せたため果物の栽培はずっと困難になってしまったし、もう簡単には豊富な果物を得る方法はなくなってしまったのだが、それでもセイレーンの襲撃を受け仲間が失われる恐怖が去った喜びのほうが大きかっただろう。
最初は失われた命を悲しむ空気が流れていた集落も徐々に活気を取り戻し、以前と変わらぬ賑わいが戻っている。集落から離れた場所にある島二郎の店にも、近状を伝えるためちいかわ族がカレーと貝汁を求めてやってくるようになっていた。今まで店の存在すら知られてなかった島二郎の店も、今は中々の繁盛店になっているようだ。相変わらずカレーが辛すぎるようではあるが、島民の相談を受ける程度には信頼されているようになっていた。
島民の話では、最近になって草木の栽培が一段落したので、セイレーンの襲撃を受けて空いてしまった家々の片付けに着手しているらしい。今まではセイレーンに襲われぬよう息をひそめて隠れるだけで精一杯だったが、これからは消えていった仲間たちを弔いながらその面影を集め供養出来ればと思っているようだ。
家財の残された空き家から物を運び出すたび、居なくなった島民が二度と戻ってこないのだとわかり辛くはなるがそれでも、空いた家に誰か新しい島民が住めればいいというのが今の島民達の願いであった。
そんな中、島二郎はひとつ奇妙な話を聞いた。
集落の空き家で一つだけ、もぬけの殻になっていた家があったというのだ。
セイレーンに襲われた島民は当然、家を整理する暇はなかったため生活の痕跡がそのまま残っている事が多い中、その家はきちんと整理され必用な荷物は運ばれた様子があったのだという。
だが、そこに誰が住んでいたのかまで島の住人は覚えていないそうだ。もともと、集落は果実などが豊富なのもあり島の規模より島民が多かったので集落の存在全てを把握している訳ではなかったのだが、その家は特に周囲との付き合いを断っていたのだろう。
おおよそ生活に必要な道具はすべて持ち運ばれた形跡があることから、島民はセイレーンを怖れ島から逃げたのだろうと語っていた。セイレーンに襲われる恐怖があれだけ続けば、逃げてしまうのも止む無しとも思っていたようだ。
それを聞いた島二郎は、しばし思案した。
島民は屈託なく悪意には鈍感だ。消えた島民もただ、セイレーンの襲撃を怖れ逃げ出したものだと考えているようだ。
だが本当にそうだろうか。
セイレーンの怒りは従僕である人魚を失った事が発端だったというのを、島二郎は聞いていた。彼、あるいは彼女は人魚の鱗を集落で見つけ、それを食らったのは島民と考えているようだった。
人魚を食らえば永遠の命が手に入るという伝承は、島二郎も聞いている。おとぎ話だと思っていたが、信じる者もいるだろう。セイレーンは巨大で恐ろしいが人魚のほうはそこまで強大な存在でもなく、陸に上がれば脅威でもない。
消えてしまった島民は、あるいは……。
いや、今さら考えても詮無き事だ。
もし、消えた島民が人魚を食らう罪を犯しそれを隠して逃げたとしても、どうしてそれを責める事が出来るというのだろう。ちいかわ族はちいさくてか弱い命であり、運命に抗うにも運命を受け入れるにもあまりに脆弱な存在なのだ。彼らより大きく、力ある島二郎にそれを咎めるのは残酷なことだろう。
それに、もし消えたとしても犯してしまった罪から逃れられる訳ではないのだ。
心に落とした影は永遠の闇となって縛り付け、そうして過ごす時は自由も豊かさもないのだから。
だから今は、島に戻った平穏に感謝しよう。
島二郎もこの世界から見れば矮小な命の一つにすぎない。そして小さな命には、カレーと貝汁を作る程度のことしかできないのだ。
まだ油断は出来ないかもしれない。
船で発つ前、客人として訪れたラッコ姿の剣豪は険しい顔で告げたが心配は杞憂に終わったようだった。
あれからセイレーンは島に現れる事もなく、島民たちの生活も徐々に落ち着きを取り戻してくる。
セイレーンがいた頃のように草木の生育が良くなる現象は失せたため果物の栽培はずっと困難になってしまったし、もう簡単には豊富な果物を得る方法はなくなってしまったのだが、それでもセイレーンの襲撃を受け仲間が失われる恐怖が去った喜びのほうが大きかっただろう。
最初は失われた命を悲しむ空気が流れていた集落も徐々に活気を取り戻し、以前と変わらぬ賑わいが戻っている。集落から離れた場所にある島二郎の店にも、近状を伝えるためちいかわ族がカレーと貝汁を求めてやってくるようになっていた。今まで店の存在すら知られてなかった島二郎の店も、今は中々の繁盛店になっているようだ。相変わらずカレーが辛すぎるようではあるが、島民の相談を受ける程度には信頼されているようになっていた。
島民の話では、最近になって草木の栽培が一段落したので、セイレーンの襲撃を受けて空いてしまった家々の片付けに着手しているらしい。今まではセイレーンに襲われぬよう息をひそめて隠れるだけで精一杯だったが、これからは消えていった仲間たちを弔いながらその面影を集め供養出来ればと思っているようだ。
家財の残された空き家から物を運び出すたび、居なくなった島民が二度と戻ってこないのだとわかり辛くはなるがそれでも、空いた家に誰か新しい島民が住めればいいというのが今の島民達の願いであった。
そんな中、島二郎はひとつ奇妙な話を聞いた。
集落の空き家で一つだけ、もぬけの殻になっていた家があったというのだ。
セイレーンに襲われた島民は当然、家を整理する暇はなかったため生活の痕跡がそのまま残っている事が多い中、その家はきちんと整理され必用な荷物は運ばれた様子があったのだという。
だが、そこに誰が住んでいたのかまで島の住人は覚えていないそうだ。もともと、集落は果実などが豊富なのもあり島の規模より島民が多かったので集落の存在全てを把握している訳ではなかったのだが、その家は特に周囲との付き合いを断っていたのだろう。
おおよそ生活に必要な道具はすべて持ち運ばれた形跡があることから、島民はセイレーンを怖れ島から逃げたのだろうと語っていた。セイレーンに襲われる恐怖があれだけ続けば、逃げてしまうのも止む無しとも思っていたようだ。
それを聞いた島二郎は、しばし思案した。
島民は屈託なく悪意には鈍感だ。消えた島民もただ、セイレーンの襲撃を怖れ逃げ出したものだと考えているようだ。
だが本当にそうだろうか。
セイレーンの怒りは従僕である人魚を失った事が発端だったというのを、島二郎は聞いていた。彼、あるいは彼女は人魚の鱗を集落で見つけ、それを食らったのは島民と考えているようだった。
人魚を食らえば永遠の命が手に入るという伝承は、島二郎も聞いている。おとぎ話だと思っていたが、信じる者もいるだろう。セイレーンは巨大で恐ろしいが人魚のほうはそこまで強大な存在でもなく、陸に上がれば脅威でもない。
消えてしまった島民は、あるいは……。
いや、今さら考えても詮無き事だ。
もし、消えた島民が人魚を食らう罪を犯しそれを隠して逃げたとしても、どうしてそれを責める事が出来るというのだろう。ちいかわ族はちいさくてか弱い命であり、運命に抗うにも運命を受け入れるにもあまりに脆弱な存在なのだ。彼らより大きく、力ある島二郎にそれを咎めるのは残酷なことだろう。
それに、もし消えたとしても犯してしまった罪から逃れられる訳ではないのだ。
心に落とした影は永遠の闇となって縛り付け、そうして過ごす時は自由も豊かさもないのだから。
だから今は、島に戻った平穏に感謝しよう。
島二郎もこの世界から見れば矮小な命の一つにすぎない。そして小さな命には、カレーと貝汁を作る程度のことしかできないのだ。
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