インターネット字書きマンの落書き帳
【災禍に名付けられるという事(死印後日談:ネタバレあり)】
死印、ホラーとしてぼくのSUKIな設定が盛りだくさんな上、キャラクターがとても……。
とても好みなんですよね。
絵柄といい、キャラ立ちといい……。
特に登場人物が基本的に素直でいい奴だったり、女の子でも肝が据わっていたり、自分のやりたいことや目的があるなどスジが通っていたりしていて好感が持てる人物が多くてSUKI……。
何より主人公の見た目がめちゃくちゃに顔がいいので顔がいいオッサンって栄養素高いですね!
生気の失せた、どこか物憂げな昼行灯の朴念仁……イイ、すごくいいよ君ィ……。
作中で比較的にウダウダと考え込み、いろいろなものを一人で背負い込んで内に入っていくような気質なのも、あのどこかアンニュイな外見に合致していてスマートライフですね!
というワケで、今回はそんな主人公の後日談的な話です。
流れとして安岡さんと真下さんが出ています。
後日談ネタなので死印クリア済みを想定しているよ!
できるだけクリアしてから見てね!
とても好みなんですよね。
絵柄といい、キャラ立ちといい……。
特に登場人物が基本的に素直でいい奴だったり、女の子でも肝が据わっていたり、自分のやりたいことや目的があるなどスジが通っていたりしていて好感が持てる人物が多くてSUKI……。
何より主人公の見た目がめちゃくちゃに顔がいいので顔がいいオッサンって栄養素高いですね!
生気の失せた、どこか物憂げな昼行灯の朴念仁……イイ、すごくいいよ君ィ……。
作中で比較的にウダウダと考え込み、いろいろなものを一人で背負い込んで内に入っていくような気質なのも、あのどこかアンニュイな外見に合致していてスマートライフですね!
というワケで、今回はそんな主人公の後日談的な話です。
流れとして安岡さんと真下さんが出ています。
後日談ネタなので死印クリア済みを想定しているよ!
できるだけクリアしてから見てね!
『呪われた名をよすがとして』
安岡はソファーにゆったり腰掛けると暖かなハーブティを飲み一息ついた。
「はぁ……ここは静かで良い所だけど、年寄りが来るには少しばかりしんどい所だねぇ」
そして一言、そう零す。今日の安岡は既知である真下の車に乗って九条館までやってきたようだが、おおかた運転中の真下にあれこれと文句を言われたのだろう。
真下にとって安岡は重要なクライアントの一人だが、同時に彼女の持ってくる依頼の大半が怪異の噂がつきまとう胡乱なものなので手を焼く事が多いとよくぼやいていたから、当人を前にさぞたまりにたまった愚痴を吐いたに違いない。
九条館にある災禍について占い師の他に霊能力者としての顔を隠し持つ安岡の意見を聞いてみたいと以前から思っていたが、銀座の一等地で占いをし財界にも顔が広い安岡はなかなかH市まで来る機会がなかった。
今回はたまたま真下が九条館の蔵書で調べたい事があったという理由と安岡の開いた時間が一致したのでわざわざ来てくれたのだ。
あいにく長くはいられないようだが、それでも話せるだけで僥倖だ。何せコネクションがないと予約さえとれない占い師なのだから。
「悪いな、忙しい貴方に遠出させてしまって……」
「おや、ねぎらってくれるのかい。関心だねぇ……あの真下とかいう男は散々と文句を言うばかりで年寄りに気遣い一つ無かったっていうのに。やはり九条家の嫡男は育ちが違うってもんだよ」
九条家の嫡男と安岡は言った。それは「九条正宗」である俺の事を言っているのだろう。
安岡は先々代……つまり俺の父である九条村雨との酷い喧嘩が原因で縁を絶ってから20年の間九条家に立ち入りもしていなかったが、それでも俺にとって九条家というものを知る数少ない友人の一人である。
彼女が言うには、九条家は非常に腕の良い仏師の家系であると同時に一般的に「オカルト」の分野に造詣が深かったという。とりわけ西洋魔術や呪詛、呪術などといった分野に興味を抱くものが多く、そのようないわくつきの書物や訳ありの品の蒐集家としても有名だったそうだ。
仏師という職人の家系もあってか口数は少なく、また秘密主義なのかあまり自分たちの事を喋る方でもなかったため、九条家が曰く付きの品を多く蒐集しているのは有名であったが一体何をどれだけ蒐集しているのかを知る者はほとんどいないという。
大概の蒐集家(コレクター)というのは自分の集めた蒐集品を周囲に見せびらかすものだが、九条家の人間は蒐集品をひけらかすような事は一切しなかったそうだ。
『九条家の蒐集品は自分たちの研究対象であって、私たちに見せびらかし権力や財力を誇示する道具じゃなかったんだろうねぇ』
とは、安岡の言葉だ。 おかげで九条家の蔵には俺でも何のために使うものだかわからない品がいくつも存在していた。
存外にそのようなものから新しい道筋が見えるかもしれないと思って蔵の中にある品の目録を作ってみようと思った事もあるのだが、どうやって手に入れたのかわからないような品や何に使うのか用途不明の品があまりに多かったので諦めたのもつい最近の話だ。
そんな秘密主義の九条家は多くの人間が公の場では決して出しゃばる事もなくいつも物静かに話を聞いている事が多い、非常に振る舞いのよい人物が多かったそうだ。
常に他者の話を傾聴し、否定する事もなく、時には静かに諭す……意見は最小限に留め、常に聞く側に回るような者が九条家全体にある傾向だったらしい。最も、例外もいたようだが。
「おまえさんは九条家の中でもとびっきり穏やかでおとなしい子だよ。この家にある優しさと清らかさを集めたようだね」
安岡は笑いながらそう言うが、俺は未だに『九条正宗』である自分を完全には取り戻していなかった。
かつての自分がした事はゆっくりと脳の中に溶け自分の目線でおこった事だと理解はしているが、過去の自分が下した判断はどうにも受け入れがたい行為だったと今でも思っている。
同時に当時の九条正宗ほど今の自分は能動的に動く事ができないような感情の隔たりもあった。
それが自分自身の犯した罪……メリイという化け物を世に放ってしまった罪の意識を受け入れる事ができなかったからか、犠牲が出るのがわかっていて封印を解いた自分の無責任さに対する憤りからかはわからなかったが、とにかく俺はまだ九条正宗になりきれないでいたのだ。
「……相変わらず、おまえさんは八敷一男を名乗っているようだね」
館に来た時、真下からは「八敷」と呼ばれたのを聞いていたのだろう。
俺をそう呼ぶのは真下だけじゃない。渡邊萌も有村クリスティも、ここに来る人間は俺の事を「八敷一男」と呼んでいた。本当の名が九条正宗と知る大門でさえも日常では俺を「八敷一男」と呼んでくれている。
「あぁ……自分が九条正宗だったという記憶は戻っている部分もある……その頃の俺と今の俺にそこまで大きな価値観の相違や、酷く性格が変わったといった思いはないんだが、どうしても俺が九条正宗だという実感が得られなくてな……」
九条正宗も、今の俺……八敷一男と同様に物静かな男だった。
何に対しても無気力で感情の起伏に乏しいのも、口下手で人付き合いがあまり得意ではないのも以前と変わっていない。
だが九条正宗を顧みるとその中には確かに「情熱」と呼ぶべき感情が静かに燃えていたような気がする。
九条家でメリイを見つけて以後、彼女(と呼ぶのが正しいかはわからないが)について調べ、彼女が災厄を呼ぶ事を知り、再び封印しようと尽力していた頃の九条正宗は祖先の残した負の遺産を処分する……その名目で動いていた彼はその時確かに行動的でありまた意欲的でもあっただろう。
それはメリイという西洋人形の精巧な作りに見せられた仏師の末裔としての血が騒いだ事もあれば、長らくただ九条家の跡取りとしての教育を受け九条家の跡取りになる以外の道が存在しなかった彼がはじめて自ずから「成し遂げたい」と思えるものに出会えた喜びもあったのかもしれない。
だがそれらの全ての感情が、今の自分……八敷一男である俺にとって人づてに聞いたような空虚さばかりが残り、実感はひとかけらもなかった。
「俺は、九条正宗の行動を完全に理解できないしその価値観もまた受け入れがたい所がある……他人の命がかかるような真似をしてそれを必要悪だと言い切るなんて……」
ましてや九条正宗のとった行動は明らかに犠牲が出るのを見越してのものだった。
その声は紛れもなく自分のものだったが、それでも。あるいはそれだからこそその考えを受け入れる事ができなかったと言えるだろう。
他人の命を切り捨ててそれを「必要悪」と納得させるのが自分の本性だなんて思いたくないだけなのかもしれないが。
「ふぅん……それで、おまえさんは九条正宗だった頃の記憶を完全に取り戻したのかい?」
「いや……」
何をもって「完全に記憶を取り戻した」と言えるのかは曖昧な気がするが、以前の自分がもっていた知識や記憶を今の自分が完全に受け継いでいるのかと言われれば、答えは「否」だ。
自分の独白もまだ「自分の声をした別人」の話に聞こえるし、父である九条村正の事も妹である九条サヤの事も完全に思い出したワケではない。
幼少期の自分がどんな子供だったのか。学生時代は何をしていたのか。そして九条家の当主になってからの自分は何を生業にしていたのか。そういった事もまだすっぽりと抜け落ちたままだった。
まるでもともとそんな記憶は存在してなかったかのように……。
「何とはなしに過去の自分と今の自分の感覚が重なる事もあるんだが……九条正宗の残した記録やアルバムなどを見ていても、どうにも記憶が戻るといった感じはないんだ。自分の顔だという認識はあるのだが、他人事のようにしか見えないままだ。記憶もな。自分が子供の頃どんな事をしていたのか。父や妹がどんな人間だったのか。そういう事さえ思い出せない……記憶に霞がかっているというより、記憶そのものが抜け落ちているといった印象だな」
俺は素直に今の状態を伝えると、安岡はあごに手をおいて考えるような仕草を見せた。
「……八敷一男。この名前を名乗るに至った理由は、確かあのメリイとかいう西洋人形に名を尋ねられたからだね」
「そうだ。呼び名がないと困るだろうと言われて思いついたのがこの名だった……」
「八敷一男。足して九になる数字だ。八敷もまた屋敷の敷だから、無意識ながら自分が九条の人間だという根源があって出た名前かもしれないねぇ。だが、ひょっとしたらそれがおまえさんが『九条正宗』に戻れない理由かもしれないよ」
安岡はそう告げると、俺の顔に鋭い視線を向けた。
心の奥底、その先にある糸を手繰るような視線はどこか神秘的にさえ思える。きっとこれが安岡の占い師としての顔なのだろう。
「名前というのはその人間が誰かを示すものだけど、それだけじゃぁないんだ。昔から、真名を知られたものは真名を知ったものに操られるなんて伝承があるだろう?」
そういう話は九条家の蔵書で読んだ記憶がある。
大概の人間は表向きに名乗り呼ばれる普通の名の他にさらに難解で読みづらい「真名」をもっており、それを他者に知られると運命を操られるといった伝承だ。
実際に一昔前までは子供が大病を患ったり酷く病弱だったりすると以前の名前は悪いのだと別名で呼ぶ事もよくある話だったと聞くし、海外でも子供に名付けを行う間は運命を悪魔に握られているなんて話もある。
「おまえさんは、メリイによって新しい名を与えられた……それ故に、以前の自分と性格や気質に多少の違いが表れて、完全に今の自分と過去の自分が重ならなくなっているのかもしれないねぇ」
「つまり、メリイは俺に本来とは違う名をつけられた事で以前の俺がもっていた知識や記憶に欠落が見られるという事か」
「推測にすぎないけどね。あの人形はそれだけの呪詛を秘めていた。一つの名前でおまえさんを縛り付け、九条正宗のもっていた自分にとって都合の悪い知識を意図的に思い出させないようにしている……なんてのは、あり得ない話でもないんじゃないかい」
安岡はそう語るとハーブティに口をつける。
大門の話では、一過性の記憶喪失である場合むやみに別の名前をつけたりはしないらしい。別の名前をつけた時点で「新しい人間の自我」が生まれてしまうからだそうだ。
それを考えると、メリイが名前を聞いてきたのも最初から策略の一つだったのかもしれない。俺がメリイを信じ従ったのも、自分が何者だかわからず何をすれば生き残れるのか無我夢中だったというのもあるが喋る人形という胡乱な存在を認めてしまったのも彼女に名を握られていたからと思えば腑に落ちる所もある。
普通の状況であればいかに命の危機が近かろうと喋る人形を前にして素直にそれを受け入れる事などできないだろう。
あるいはシルシの現れる怪異ほほとんどがいわばメリイより血肉を与えられた存在であるが故に冷静な判断力などを迷わせていたのかもしれないが。
「俺が八敷一男である事をやめ、九条正宗を名乗り受け入れればもっと思い出せる記憶もあるかもしれない……とでも言うつもりか?」
「その可能性はゼロではないと思うよ。名のもつ力はそれだけ強いからねぇ……おまえさんは今でも八敷一男を名乗り、周囲にもそう呼ばれているんだろう?」
シルシが現れ九条館に来た「印人(しるしびと)」たちは、俺が九条正宗だという事を知らないものも多く、大半は今でも俺を八敷一男と呼んでいた。
それは俺自身がこの名前の方がしっくり来ているというのもそうだし、初めて彼らに名乗った名前をいまさら訂正するのも面倒だという気持ちが大きいからだ。
ただそう思っているだけだけで気分の問題だろうと考えていたが、九条正宗という名を受け入れられないある種の嫌悪感に似た感情を抱いているのもまた事実だった。
「だが、やはり俺はまだ……」
すぐに九条正宗という名を名乗れそうにはない。
その気持ちが顔に出ていたのだろう。安岡は静かに首を振り目を閉じた。
「急がなくてもいいさ。完全に記憶が戻ってない今の状態からすると、おまえさんにとっての世界は『八敷一男』になってから始まってるんだ。無理に名を戻して気持ちが不安定になればそこがつけいる隙になりかねないからね」
メリイはこの九条館に封印されている。清めた念持仏が以前のほど強い力をもっているとは思えないがあれだけ彼女があの念持仏を恐れていた所を見ると簡単に破れるような封印でもないはずだ。だが相手は人外であり理屈の通じない怪異であるこのH市に人ならざるものを顕在化させるだけの力をもっていたのだから、小さな綻びから影を伸ばし恐ろしい災厄を振りまく事を安岡は懸念しているのだろう。
その時真っ先に犠牲になるのはこの俺だろうから。
「今はまだ自分が九条正宗であることを受け入れる事はできないが……いずれ、そう名乗れるよう検討はしておくさ」
「そうかい。それなら……」
何かいいかける安岡の言葉を遮るよう、真下がホールへ現れた。手には分厚いファイルが抱えられている。
「そろそろ帰るぞばあさん。欲しかった情報も手に入ったしな」
最近、真下は九条館の蔵書やかつての俺が調べた事件などについて確かめに来る。安岡からの依頼は怪異関連のものが多いというのもあるだろうが、以前の俺や妹・サヤが過去の事件についていろいろと調べていた資料が役に立つのも理由の一つだろう。
「何だい、もう終わったのかい。もう少しゆっくりしていたかったんだけどねぇ」
「あまり長居する理由はない。俺はこれで忙しいんだからな」
俺はこれでいそがしい、というのは真下の口癖になりつつあった。実際にどれだけ忙しいのかはわからないが、あれで几帳面な所のある真下だから報告書に懲りすぎて余計な時間をかけていそうではある。
なんて事はおくびにも出さず、俺は真下の方を見る。
真下はあごをしゃくりながら、安岡に早く立つよう促していた。
刑事を辞め探偵業を営み始めたばかりの個人事務所としては、真下の探偵事務所を訪れる客はずいぶんと多いようだ。
今でも時々「こういう仕事をやらないか」と誘われる事もあるが、真下が忙しいのも事実だが意味の他に安岡の思惑も多分に含まれているようだ。
九条家の血か、それともあまりに強い怪異の傍にいたからか、俺は人より霊感が強いらしい。
それも単純に霊の気配を感じるというだけではなく、その意思や心。霊がこの世にとどまる無念や苦しみを理解する力が頭抜けて高いのだという。
だからこそ、真下の所に転がり込んだ怪異がらみの事件やこの街だけではない怪異がらみの事件に関わる事を望まれているのだろう。
だが俺はこれまでに充分知っている。
俺が怪異を切り抜ける事ができたのは俺だけの力ではない。助けなければいけないという印人が傍にいたという事、協力してくれる仲間がいたことが大きかった。
きっと俺一人では乗り越える事なんてできなかったはずだ。
「そう急がなくてもいいだろう。真下は来てすぐ調べ物を始めてゆっくりはしてないんじゃないか。コーヒーでも煎れるから一服してからでもいいだろう。安岡さんは、ハーブティをもう一杯もってこよう」
「あら、いいじゃないか。真下の坊やもそうしたらいい。おまえさんもあまりゆっくりはしていないんだろう」
普段の真下なら文句の一つでもいうのだろうが、その日は珍しいくらい素直にソファーへ腰を下ろす。
「そうだな……八敷、コーヒーを一つもらえるか?」
「わかった。有村から聞いた店で買ったスコーンもあるからそれも出そう」
「俺は別にスコーンなんて……」
「いいじゃないか真下の坊や。さっき私も頂いたけれども、なかなか良い味だったよ。少し腹に何かいれておいてもいいと思うけどね」
時刻は14時半を過ぎた頃だ。間食するにはちょうどいい時間だろう。
「気に入ったのなら安岡さんももう一つ食べるか」
「美味しいものは嬉しいけれどもね。流石に私もいい歳のばあさんだから、そんなにたくさんは食べないよ。もう一杯ハーブティをもらえるのは嬉しいけどね」
「わかった」
俺は手早くコーヒーとスコーン、そして新しいハーブティを煎れテーブルに並べる。
「悪いな」「ありがとうねぇ」
真下と安岡は軽く頭を下げるとしばしのティータイムを楽しんだ。
その最中、安岡は小さく声をもらす。
「あるいは、そうだね……九条正宗は、一人で全部抱えてもっていこうとした。家族も友人も巻き込みたくなかった、その思いで誰とも接せず、何もいわずただ一人で……だが、今の八敷一男は違う。私や、真下の坊や。柏木さんをはじめとした沢山の仲間がそばにいる……その縁(えにし)が、もう過去の孤独な九条正宗に戻してくれないのかもしれないね」
そういった部分も、確かに存在するだろう。
以前の俺はあまり人付き合いがなく、スケジュール帳にしても何にしても友達らしい名前はほとんど無かった。おまけに世間的には一度死んでる身の上だ。九条正宗を訪ねてくる人間はもうこの館にはいないのだろう。
だが今の俺は違う。
安岡や真下はもちろん、危なっかしい女子高生オカルトライターの渡邊萌、アイドルの柏木愛、医師の大門や研究者の広尾と様々な人と出会い危機を乗り越えた今はただの友人を超えた絆を感じている。
中には栄太のように頼りない男や長嶋翔のように危なっかしい所がある少年。まだまだ庇護が必要なすずやつかさのような友人と呼ぶには年の離れすぎた仲間もいるが、以前の俺と比べたらずっと賑やかな世界で生きていると言えるだろう。
だからもし、この絆が仇となり元の記憶が戻らないのだとしても俺は皆との絆を断ち切る気にはなれなかった。 仲間たちの記憶を失うのなら、以前の自分など戻らなくていいと、そうとさえ思えてしまう程だ。
「だとしたら、俺はずっと八敷一男かもな」
そう漏らす俺を見て、安岡も笑う。
「私も、それでいいと思うよ。今のおまえさん全てが失われるなら、仲間との絆をよすがにして生きるおまえさんのほうが生き生きしてみえるってものさ」
「そうだな、もし今より生気のない顔になられるくらいなら今のままの貴様のほうがマシだ」
すかさず口を挟む真下の言葉に、俺は苦笑いしながらコーヒーを飲む。
九条正宗。八敷一男。
どちらも俺だが、ひょっとしたらもうこの二人の俺が重なり合う事はないのかもしれない。
それでも良いと思うのは、岡の言う通り、今の俺には仲間と呼べる存在がいるからだろう。
大きな恐怖と死地を乗り越え強い絆で結ばれた、良き友たちの存在は離れていても俺に力を与えてくれている。
そしてそれが今の俺が「生」を実感する理由の一つになっていた。
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