インターネット字書きマンの落書き帳
都市伝説解体センターの二次創作・if後日談です【クリア後・ネタバレあり】
都市伝説解体センター クリアしました!
詳しいことを言おうとすると全部ネタバレになっちゃうから何も言えませんが、すごく面白かったです!
皆さんにも新鮮に驚いてほしいので、「面白かったです!」しか言えないですが……。
面白かったです!
面白かったので、「俺が俺のために書いた、俺が読みたい都市伝説解体センターの存在しない後日談」を書きました。
俺が見たかった「その後」の世界の話なので存在してない幻覚ですが、俺の見たかった世界なので俺だけが圧倒的に得をしてます。
他の誰かも得をしてくれたらうれしいなぁ~。
クリア後の話なので 【ネタバレ】 になります。
ぜひ、ゲームをクリアしてからごらんください♥
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『怪異を射貫くは銀の弾』
人間が恐怖に抗えないように、怪異もまた人間に抗えない。
それが怪異の摂理である。
※※※
薄暗い洞窟の中を、止木休美は一人で進んでいた。
随分と長い階段を降りてきたと思ったが、まだ目的地は先のようだ。眼前にはどこまで続くかわからぬほど深く、暗い闇が続いている。それはまるで怪物がぽっかり口を開け、止木が臓腑へ飛び込むのを待っているかのようにも見えた。
下らない妄想に囚われてはいけない。まだ到着もしてないのだから、雰囲気に飲まれてしまっては負けだ。
止木は自分を奮い立たせ、手にした銃に異常がないか軽く確認する。そして暗がりに一歩踏み出した。
どこまで続くか分からぬ暗く長い道を進む止木の頭に浮かんだのは、まだ都市伝説解体センターの一員として潜入任務をしていた頃のことだった。
福来あざみが都市伝説解体センターで調査をはじめて程ない頃の調査だったろう。
あの時も、どこまで続くかわからない地下まで出向いた記憶がある。
確か、上野のオカルトツアーに参加した時だったか。上野という賑やかな街にこんな地下深い場所があるのかと関心したのが、もう何年も昔のことのように思える。
あの時、センター長である廻屋は怪異を「異界」と特定していた。
見知った場所からふとしたきっかけで全く知らない場所へ到達してしまうこと。それが、異界入りなのだといい、妖精の国に紛れ込んだという逸話や、誰もいないのに人をもてなす準備がしてあるという「マヨイガ」あるいは「迷い家」と呼ばれる伝承も、異界の一つだろう。最近でいえば、「きさらぎ駅」や「杉沢村」もそうに違いない。
長い階段の果てに未だ奥へとたどり着かないこの場所もさながら異界への道のようだった。
廻屋は、異界から逃れるには引き返すことだと語っていた。引き返さず異界にたどり着いてしまったら、もう戻れないということも。
今ならまだ戻れる。だが、これ以上進んだらもう戻れない。
止木にそれを意識させるため、こんなひとけのない奥に隠れ住んでいるのだろうか。
「まったく、バッカみたい。金持ちは高い所が好きなだけ。後ろめたいことをしている奴は狭くて暗い場所が好きってだけでしょ」
止木は誰に言うでもなくそう呟く。
だがその脳裏には「廻屋渉」と話した言葉がかすめていく。
『異界というのは……長い道の先にあるものです。人間の住んでいる所とは全く違う場所、違う規律が適用され、無事に戻るには来た道を引き返すしかない。また、日本では黄泉比良坂と呼ばれる坂が、死者の国への入り口と言われています。黄泉比良坂は、地下へ続く洞窟のように表現されますね……』
ぽっかりと口を開けた暗く長い道は、なるほど確かに黄泉へ向かう道、黄泉路とよぶに相応しい。だが廻屋は、こうとも言っていた。
『黄泉比良坂は上り坂だったとも言われています。古い時代、人は死者を山で弔ったという説があるのです。土葬というのは案外に手がかかりますからね。死者が多く出た時に、いちいち穴を掘り死体を埋めるより、そのまま山に捨てた方がよっぽど早かったのでしょう。死者を捨てた山は、生者は立ち入らないようにする。もし立ち入ってしまえば、かつて知った顔が腐り果てボロボロになった姿を見る事になります……つまり、都市伝説のイメージも、伝承も時と場合によって変貌し、見る角度によって違うものが見えてくるというわけです。当時は死はそれだけ身近で、異界はそれだけ近しいところに存在していたのでしょうね』
どうして、今こんな言葉を思い出すのだろう。
『どちらにしても、異界は……進み、そこに至ればもう戻ってこれません。ジャスミン。あなたは異界の先に行った後、以前のようなあなたの価値観や認識をもち続けるのは難しいでしょう。それでも……進みますか?』
どこかこちらを試すように語る廻屋の言葉を反芻する。
「あたりまえでしょ。もうこっちは覚悟決まってるんだから」
胸元に手を当て、一度深呼吸した。
情報が確かであれば、この先に如月歩がいるはずだ。
彼女は果たしてどんな姿で止木を迎えるのだろうか。
如月歩としての姿で現れるのだろうか。それとも廻屋渉の姿をしているのか。それとも……。
「あざみー、今行くから……」
止木は息を整えると、長い暗がりへと足を向けた。
如月歩の居場所が明らかとなった。
その一報を受けたのは数日前のようにも、一ヶ月以上前のようにも思える。
彼女が遠い異国の地で、土地の人間の不安や憤りといった燻る感情を刺激し、大きなうねりとして扇動するような素振りがある。
だがまだ何かしているわけではない。
警察という立場から、何もしていないうちに動くことはできないが、個人として動くのなら、別に問題はない……。
それが、富入の立場で出来る提案として最大限の譲歩だったのは明らかだ。
日本では如月歩のおこした事件。俗にGR事件と呼ばれるものは解決することが出来ない事件として闇に葬られる事になり、如月歩が被疑者であることは公然の秘密でありながら決して逮捕してはいけない存在でもあった。
彼女が逮捕されれば、警察の情報がたやすくハッキングされ利用されたことが明らかになる。
その責務を負うために沢山の警察官が一応の責任者として辞職に追いやられ、警察の価値が揺らぎ権威を失墜させることが治安維持をより困難にさせる可能性があるなら、如月歩を捕らえるのは悪手である、というのが上層部の見解である。
それ故に、この事件は存在するが、決して解決することのないものとして闇に葬られた。犯人が公になることもなく、如月歩が罪に問われることもない。
だから、止めるのなら今だ。
これ以上、彼女が手を汚し多くの人々を狂わせる前に確保する。それが止木の足を進ませていた。
永遠に続くと思われた暗い路地が、急にぽっかりと開ける。
その中央に、玉座のように備え付けられた椅子の上にローブ姿の人影がぽつんと一つ存在していた。
「……ここがあんたの新しい居場所ってわけ?」
どうして日の当たる所ではないのだろう。
どうしてこのような薄暗く狭い場所で隠れて暮らしているのだろう。
そこまで自分を追い詰め苦しめなくたって、良かっただろうに。
皮肉を込めて言う止木の前に、
「ジャスミンさん!」
懐かしい声がした。
「あざみー……」
目の前には、純真無垢で世の悪意とは無縁の屈託ない表情を浮かべる福来あざみがいる。
「えっ!? ここどこですか? な、何で私こんなところに……」
止木を翻弄するよう、出会った時と寸分も違わない表情と仕草をこちらへ向ける。
それが、止木を苛立たせた。
「あざみーを利用するのはやめなさい、如月歩。もう終わり、自分の罪と向き合う時間よ」
銃口を向け、止木は声を張り上げる。
その刹那、福来は身体を急に反らしたかと思うと大きく呼吸をし改めて止木へと向けた。
虚ろな目に蒼白の肌、どこか陰鬱な表情は、止木の知る廻屋渉そのものだ。
「よくここまでいらっしゃいましたね、ジャスミン。招待状を出した憶えはないんですが」
「いいでしょ、わざわざお呼ばれするような仲でもないんだし」
銃口はずっと、廻屋へ向けられる。
完全に捕らえていた。引き金さえひけば廻屋は無事では済まないだろう。
だが、廻屋はまるでこちらが引き金を決して引かないというのを理解していたかのように笑っていた。
「いいんですか、そんな物騒なものを向けて。福来さんが悲しみますよ」
「……あざみーのことを人質にとった気でいるの? あざみーは、わかってる。間違いは正さなければいけないと言っていたもの。あなたが間違い続けるなら、私がそれを正す」
「正義感は人の目を曇らせるものです。わかっているでしょう、ジャスミン。如月努を追い詰め、死に追いやったのもまた市井の正義だったこと……」
「えぇ、わかっている。狂信的な正義は最も強い悪意に成り得るもの……でも、それでも……復讐に至る理由にはなり得ない。そうでしょう、廻屋渉。いえ、如月歩。出てきなさい。センター長も、あざみーも、あなたの生み出した人格だけどあなたじゃない。私は……あなたに罪を問うてるの」
廻屋は手を広げ、大げさなジェスチャーでため息をついた。
「出てきませんよ。そんなつまらない脅しで出てくるような人じゃありませんから」
廻屋の言葉に嘘はないのだろう。
ここに来る前に、医者から話も聞いている。多重人格というのは、先天的に存在する人格の心が壊れそうな時に発生しやすいという。そして全て、基礎となる人格を守るために存在する。
兄の復讐という本懐を遂げた如月歩が今、何を考えているのかはわからない。
だが、彼女の意志に準じて行動をし、生命活動を維持する役割はすべて目の前にいる廻屋が担当しているのだろう。
「出てこないなら、無理矢理でも引っ張り出してやるわ」
銃口を向けたまま、止木は声をあげる。
ドーム状の空洞に、声だけがやけに響いていた。
「引っ張り出す? その銃でおどしつけるのですか。生憎、私は武術の心得がなく、ここに人はいない。これは私の方が不利ですね……」
廻屋はそう言いながら肩をふるわせて笑う。
困った素振りをしているが、なにか仕掛けているのは間違いないだろう。
その気になれば毒ガスだろうがウイルスだろうが、どんな危険なものだって持ち出してくるのが如月歩という存在であり、その彼女を守る盾であり騎士でもある人格として選ばれたのが廻屋渉なのだから。
止木はふっと息を吐くと、手にした銃から弾倉を抜く。
それからスライドをはずしバラバラにした銃を床へ投げ捨てた。
「こっちは、あなたに危害を加えるつもりは最初からないの。もしあなたに何かしたら、あざみーが怪我をするんでしょう? 私はあんたの顔になら一発どころか何発でも拳をたたき込んでやってもいいと思ってるけど、あざみーには怪我なんてさせたくない。あんな臆病で怖がりな子、怪我なんかしたらずーっと泣いちゃうでしょう。そんなの可哀想じゃない」
「なるほど、撃つ気はないということですか」
「いえ、あなたを撃ち抜く。私はそのためにここに来た」
「……ほぅ、弾丸もないのに、どうやって?」
冷めた笑みを浮かべる廻屋を前に、止木もまた笑みを浮かべた。
「撃ち抜けるわよ。そして……怪異は必ず、人間の手で滅される」
止木はそう言いながら、胸ポケットに入れていた封書を差し出す。
それは、と廻屋は口を開きかけたが、止めた。かわりに目が見開き、それまで廻屋の姿をしていた表情が軋む。
「う、そ。何で、そんな……どこに、どうして……」
廻屋のような姿をした、だが別の誰かからは少女のような声がする。
止木は顔を上げ、しっかりとその姿を……如月歩の姿を捕らえた。
「これは……如月努からの手紙。ある人から託された、如月歩に。あなたにあてられた、彼の最後の言葉」
封書には几帳面な字で「如月歩へ」の言葉が綴られている。
万年筆で書かれた特徴のない字でも、如月歩にはそれが誰が書いたものかはっきりと理解できたのだろう。
だからこそ驚き、戸惑い、そして怯えているのだ。
「うそ、うそだ。私は、兄の……どうして今さら。どうして……」
廻屋でもない。福来でもない。如月歩はその場に膝をつくと、己の身体を押さえて震える。
彼女はまるで銃口を突きつけられでもしたかのように、身動きがとれなくなっていた。
※※※
それより前
都内某所
※※※
ほこりの被った研究室に、その男はいた。
男は車椅子を軋ませながら、長机の上に並べられた研究ノートの一つを撫でる。
ノートの表紙には「UFO接触者へのインタビュー NO.53」と書かれていた。
男はそのページをぱらぱらとめくる。
『すべての証言者と接触するとわかることだが、彼らは誰一人として嘘を言ってないということだ。それは即ち、彼あるいは彼女らは少なくても「何か」を見ている。それを自分の中にある情報と照らし合わせ、UFOであると結論付けたのだろう。
この傾向はS県某所では特に如実である。というのも、この地域では以前から未確認飛行物体、UFOの目撃証言が相次いでいるからである。』
几帳面な字で綴られたノートには、おおむねそのような事が書かれている。
これは、今は亡き如月努の残した研究ノートの一つだった。
7年前、咎なくして死を選んだ如月努は今でこそオカルト界のカリスマのように語られているが、その実はオカルトに対して極めてフラットな人間だった。
オカルト、怪異、都市伝説、その他もろもろの、研究者から言わせれば胡散臭くデータが存在しないような話を愛し、好いて、そして信じていたのに拘わらず、その目は常に一人の研究者として冷静だったのだ。
UFOの存在を信じて疑ってはいなかったが、見て来た証言すべてを頭から信じるような人間ではなく、集めた証言を比較し、吟味し、きちんと結論付ける。
そういった部分は、至って研究者らしい男だったろう。
研究ノートは、さらにこう続いている。
『この地域では、最初にUFOの目撃証言があった時期から目撃されるUFOの現象が極めて似通っていることが判明している。
だが、今の時代よりさらに古い時代の資料を遡ると、この土地で見られる火球・UFOと思われていた存在はいくつかのバリエーションが存在しており、動きも均一ではなかった。
このことから、周辺地域におけるUFOの目撃証言は、同じような飛行経路をたどる何かである可能性が高いと思われる。引き続き調査をし、地域住人がUFOと認識している飛行体の調査を必要とする。』
ノートの最後には、そう走り書きされている。
きっとまだ存命ならば、この地に趣いてUFOを目撃した住人の話に耳を傾けていた事だろう。
男は静かに目を伏せる。長い睫毛が、かすかに震えた。
その時、閉ざされていた扉が開く。
目を向ければ、まだ年若い女性が呆然としながらこちらを見つめる姿があった。
その表情は、まるで死人にでもあったかのようだ。
「う、うそでしょ……ホントにいたんだ……」
彼女は口を大きく開け、目を丸くする。
公安の人間だと聞いていたが、随分とわかりやすい表情をするものだと男は思った。
「えぇ、いますよ。私は生身の人間ですから……私からすると、むしろ……本当にそのようなことがあったのか、と驚きたいくらいですね」
男は車椅子を軋ませながら彼女の前まで来ると、淡く笑って見せた。
身体は華奢を通り越して細く、強く握れば骨が折れそうなほどだった。肌は蒼白で、どこかを煩っているかのようにも見える。車椅子での生活はもう7年になると聞いているが、手動の古めかしい車椅子は男の身体に合っているとは到底思えなかった。
だが、そんな古びた車椅子を好んで使っているのは、彼にもまた思う事があるのだろう。
「ご用件は、富入さんという方から覗っております。これまで何があったのかも……まさか、ここに残した如月努の遺品がGR事件のトリガーになるなど思ってもいませんでしたが……」
男はそう言い、目を伏せる。
その姿も表情も振る舞いも、彼女の知る「廻屋渉」という人間そのものだった。
「あ……も、申し遅れました。私、公安の止木休美というものです」
「ジャスミン」
「えっ……」
「話は聞いております。都市伝説解体センターでは、ジャスミンを名乗っていたと。立場上、名前を呼ばれると面倒ごとも多いのでしょう。私もジャスミンとお呼びしてよろしいでしょうか?」
ゆったりと語るその仕草は、止木の知る廻屋とうり二つだ。
いや、それも当然だろう。
彼は、如月歩が模した男なのだから。
むしろ、如月歩はおどろくほど廻屋渉とそっくりだった、というのが正しいに違いない。
「わかりました、ジャスミンと呼んでください。あぁ、でもそれだと私は、あなたのことをセンター長って呼ばないといけなくなりますかね」
「別にいいですよ、呼びやすいようにどうぞ。むしろ、廻屋渉の名がかえって呼びづらいのなら、そのほうがいいでしょう」
目の前にいる廻屋渉は、どこか怪しげな笑みを浮かべると全てを見透かすような目を向けた。
廻屋渉は、犬神大学の非常勤講師である。
如月努と同様に民俗学を学んでいた、同じゼミの仲間だったのだという。
如月努にとってよき理解者の一人であり、互い切磋琢磨するライバルであり、親友と呼んでも差し支えのない程度に親しく接していたそうだ。
「歩さんのことは知ってますよ。如月くんから何度も話を聞いていましたし、何度かお会いしたことがありますから……私はこのように、あまり人好きのしない人間なので普段から何でも一人でやっていたのですが、そんな私に話しかけてくれたのが、如月くんでした。彼は私の研究に興味を抱き、同じ都市伝説好きとしてあれこれ話をしてくれて……彼といた頃は、本当に楽しかったですよ。ずっとあんな毎日が、当たり前のようにあるものだと信じて疑いもしませんでした。私もまた……永遠に平穏な時があると信じていた、そんな青臭い子供でしたからね」
「そうだったんですか……」
思い出に耽る廻屋を前に、止木は目を伏せる。
如月努も、廻屋渉も、ごく普通の学生であり研究者を志す青年だったのだ。
「如月くんが若い頃に両親を失い、妹と児童養護施設で育った事なども聞いてました。妹である歩さんとも何度かお会いしてます。妹さんは、都市伝説を語る私と如月くんに対して羨望をこめた視線を常に注いでいて……私と彼が熱くなり長く話し込んでいると、拗ねてしまったものです。あの時は、兄妹としての羨望と思っていましたが……きっと、彼女は私のようになりたかったんでしょうね。兄である努と対等に語り合い、同じオカルトを愛し、都市伝説を学び……その内に秘められた噂と悪意を解体する。彼女はそう、生きたかったのだと思います」
廻屋は長く息を吐くと、深々と車椅子に腰掛けて目を閉じる。
「如月くんが、自ずから死を選んだ後も資料を残すように求めたのは、如月くんの師匠たる先生と、私です。私は如月くんの集めた資料を基に、研究を続けたいと思っていたのですが……」
車椅子のリムから軋む音がする。
7年前、俗に天誅事件と呼ばれる殺人事件がおこるのとほぼ同時期に、廻屋は事故にあい意識不明の重体になったのだという。
意識が戻った時、すでに事件の犯人は如月だという事にされており、退院する前に如月は自死した。 それを知った廻屋は如月のもつ資料までも消されてしまうのを恐れ、研究室を封鎖し全ての資料を保全する道を選んだのだ。
「父にも無理を言いましたが、あの時はそれで良かったと思っていました。資料が失われてしまったら、如月くんの意志が潰えてしまうと思ってましたし。私も身体がなおったら研究を引き継ごうと考えておりましたから。生憎、身体は見ての通り……二度と歩けない身体のままとなり、フィールドワークもできない有り様になってしまいました。そのため、資料をそのまま置いておくことしか出来ない日々が続いていましたが……それがまさか、如月くんの愛した妹さんの心を、こんなにも蝕んでしまうとは……」
「心中、お察し申し上げます」
止木の言葉に、廻屋は小さく首を振る。
「お気遣いいただきありがとうございます。ですが、私は……彼女にこの場所を知らせてはいけなかったのだと、思います。私はこの身体で如月くんの意志を継ぐのが難しくなっていた。また、如月くんはいずれ妹である歩さんと一緒にこの研究をしたいと願っていました。如月歩と名乗る人物が、如月くんの資料を求めた時、私は疑いもなく彼女に鍵を与え、迎え入れてしまった。私より、彼女がこの資料を受け継ぐのが適切だと思ったからです。ですが、私は……私が、もっと彼女の心に寄り添ってあげるべきだったと。そう、思いますよ」
目を閉じる廻屋の睫毛が震えている。
悔恨が胸を支配し悲しみとなり押し寄せているのだろう。
「あのような死を如月くんが迎えてしまった以上……孤独な心に寄り添う存在もない歩さんが、信じるものなど何も無くなってしまった世界を受け入れることなど、到底できなかったでしょう。私が研究にかまけ彼女と対面せず過ごしてしまった怠慢が、彼女を追い詰めてしまったのです」
もし、廻屋渉が如月歩と出会っていたのなら、世界は変わっていたのだろうか。
GR事件などという解決されない事件は生まれる事もなかったのだろうか。
「あるいは、私は……如月歩という人物と会うのが、恐ろしかったのかもしれません。あの時、兄である努くんのそばにいて、いくらでも声をかけることが出来たはずの私が、彼の死を止めることができなかった……その罪と向き合うのが怖かった。私の臆病さが、彼女を壊すきっかけを作ってしまったのだとしたら……私は彼女の一部として、同じ罪を背負うのもまた必然なのでしょうね」
強い悔悟の念が、言葉から滲みあふれる。
如月努の死を背負い、如月歩の罪をも背負おうとするこの殉教者に言うべきかはわからなかったが。
「でも、GR事件が生まれてなければ、福来あざみという人間も存在してなかった。私は……あざみーと会えたのは、良かったと思ってますよ」
止木の言葉に、廻屋は顔をあげる。
もしGR事件で一つだけ希望があったとしたのなら、そこに福来あざみがいたことだ。
GR事件がおきなければ、福来あざみという人格は生まれなかった。
止木を「ジャスミンさん」と呼び、何も知らず無邪気で前向きなあざみは。人の悪意に悲しみ、善意を信じるあざみが存在したのは、如月歩がそのような人格を作り出し、演じていたからなのだ。
彼女の存在こそ、廻屋にとっても、止木にとっても、そして如月歩にとっても救いたる存在だっただろう。
廻屋は僅かに頷くと、静かに目を閉じ天を仰ぐ。
そして、過去の記憶をたどるようゆっくり口を開いた。
「如月歩は人格を使い分けることが出来ると同時に、自分の持つ人格によって脳内にある知識領域の閲覧権限を自在に操ることが出来ていたようです」
「はぁ? あっ、それはどういう……」
「富入さんからいただいた資料にそのような記述がありました。通常、演技により作られた人格は記憶の共有部が存在するのです。如月歩は廻屋渉を演じていた時、如月歩の過去と知識を共有してましたが、福来あざみは本当に何も知らなかった……彼女の脳波を研究した結果、彼女にはそのように知識を脳内で仕分け、必要な時だけ知識領域に触れていく、という能力があったようです。一時期、多重人格なんて言葉がありましたが……そういう意味で、彼女は本物の多重人格者。かつ、自在に人格を生み出せる。そうすることで、自分の心を守らなければ壊れてしまうか弱い存在だったのでしょう」
あれだけの大事件をおこした人物が果たしてか弱いのだろうかと思う。
「……か弱いからこそ、周囲に対してひどく攻撃的になるものなのです。それが、弱さというものですよ」
そんな止木の頭を見透かしたかのように、廻屋は語る。
止木が知っているのは如月歩が演じていた廻屋渉という人物だったが、どうやら如月は廻屋という人間の所作を完全にコピーしていたようだ。
それは兄と同等でいたかった羨望からか。
それとも……。
「富入さんにもお伝えしましたが……現在の、如月歩。あるいは廻屋渉がいる場所は、こちらです。土地勘がないのでハッキリとは言えませんが、潜伏しているのはこの街で間違いないでしょう」
廻屋は慣れた様子でスマホを操ると止木に地図を送る。
それは遠く離れた異国の地だった。
「国家公務員である止木さんの担当から外れているとは思いますが……さて、どうしますか」
どこか危うさを感じる笑みを浮かべながら、廻屋が問う。
答えは決まっていた。
「行くに決まってるでしょ。だって、あの子が。あざみーが言ってたの。間違えていたのなら、たださないといけない……あざみーがそれを望んでるんだから」
「そう、ですか……そうでしょうね。わかりました。では、ジャスミンさんに私から選別です」
その言葉の後、廻屋は一通の封書を差し出す。
「これは……?」
「戦うには武器が必要でしょう。これは銀の弾丸です。狼男でも吸血鬼でも、どんな怪異でも打ち抜ける、とても清らかなものですよ」
止木はそれを手にし、大きく目を見開く。
「えっ!? こ、これ……如月努の!? どうしてアンタが!?」
「持っていても不思議ではないでしょう。私が家に戻った時、私の家に届いていたものです。私は結局、それから彼女に会うこともかなわず、彼女も行方をくらましてしまいましたから……ですから、どうか私のかわりに渡してください。私の外見をアバターに、福来あざみの心をよすがにして自分を押し殺し隠し続けている如月歩という人間に……風穴を、開けるのです」
止木の手にしていた封書には「如月歩へ」と書かれている。
それは、如月努が残した歩への最後の言葉……彼の残した最後の手紙だった。
※※※
洞窟の中でうなだれる少女は、何度も同じ言葉を繰り返す。
「うそ、うそよ。うそ……そんなはずはない。そんなものは、どこにも……」
狼狽する彼女は、とてもそれを受け取れる雰囲気ではなかった。
だからこそ、止木は封を開ける。
「まって、やめて! やめて……読まないで! 勝手に読まないでよ!」
如月は必死になって止めようとするが、長いローブに足を取られすぐさまその場に倒れる。
普段から身体を廻屋に預けていたせいか、如月歩という人間は自分の身体を俊敏にうごかせる程、現実世界の生活に慣れていないようだった。
「歩へ……」
「や、やめて。やめて、やめて! 兄さん! 兄さん……」
彼女はその場に蹲る。
だが止木から手紙を奪おうとする様子はない。
聞きたくない。だが、聞かなければいけない。
自分が手紙を渡されても、その封を開けることもできないし、今の自分にはその資格もない。
様々な葛藤から身動きがとれなくなっているのだろう。
やめてという言葉とは裏腹に止木の言葉を待っているのかもしれない。
とはいえ、この手紙に何が書いてあるのかは止木もわかっていなかった。
如月歩の心を打ち抜ける銀の弾丸になればよいのだが。
不安を抱きながら、止木は遺書を読み進めた。
※※※
歩へ
ずっとそばにいてあげたいと思っているし、その思いは今でもずっと心にある。それなのに、こんな方法で世を去る道を選んだのは、僕が弱かったせいだろう。
頭がいいつもりでいたけど、肝心な時に名案なんて思いつかなかった。
一番大切なときに、そばにいることができなくて、本当にごめんね。
だけど、これは歩のせいじゃない。
だからどうか、自分を責めるのだけはやめてほしいんだ。
きっと歩は、僕が優しいから歩を守るためにこんな方法を選んだんだと思うかもしれないね。
だけど、そうじゃないんだ。
僕はただ、今の苦しみから逃れるためにこの方法を選んだだけ。
あれほど大切にしていたのに、肝心なときに歩と向き合うことが出来ず逃げてしまう僕のことを、許してくれなんてとても言えない。
ごめんねなんて言えば歩が傷つくのはわかっているのに、僕は卑怯だからごめんねと言ってしまう。
つまるところ、僕は卑怯者なんだよ。
歩から逃げたくせに、歩にだけは嫌われたくないと思ってしまった、僕の弱さを見られたくなかった。
全て、僕が悪かったんだ。
だから、歩は悪くない。
歩は悪くないから、どうか僕だけを悪者にして、世界は恨まないでくれないかな。
悪いことも、悔しいことも、恨めしいことも、全部僕がもっていく。
恨むのなら臆病で意気地無しのこの僕のことを恨んでくれてかまわないから、どうか世界を、人を、言葉を愛して、何にも囚われずきみの人生を進んで、幸せになってほしい。
心から、そう思っている。
心から、そう願っているよ。
それでも歩が、少しでも僕のことを許してくれるのなら、僕の研究は、歩に引き継いでほしいと思っている。
小さい頃から大好きだった、オカルト・都市伝説・怪異・UFO・UMA……。
実際に研究する立場になってわかったんだ。
この世界には僕らの知らないことが沢山あり、僕らの知らない人が沢山いて、僕らからすれば信じられないような風習や歴史をたどったものが驚くほど沢山あるんだ。
僕は歩にも、それを見てほしいと思っている。
小さいころからパソコンを使わせたら右に出るものはいない天才で、どんな情報でもネット上から見つけてくる歩にとっては現地に言って人と話し、その風習にならって生活する、なんてのは時間ばかりかかって無駄でつまらないことだって思うよね。
でも、世界にはそうすることではじめてわかることが沢山あるんだよ。
そうやって人に触れた時、それまでただの文字の羅列でしかなかったものに心が宿り、命があるのだとはっきり認識できるんだ。
歩、こうして命に接する時間は、とても暖かくて楽しいものなんだよ。
僕は歩にも、それを知ってほしいんだ。
画面のなかにある文字の羅列でしかない世界の手触りを、匂いを、温もりを、歩にも知ってほしい。
本当はその隣に、僕も一緒にいたかったけど……。
この世界に、僕のいる場所はもう残されてないみたいだから、残念だけど今回は諦めるよ。
だけど、きっとまた会う時は、今度は二人でそれをしよう。
まさか歩は、僕が死んだら終わりだと思っていないよね?
僕は思っていないよ。
オカルトのことを信じているし、愛してもいるこの僕だ。絶対に輪廻転生ってやつをして、また人間になるつもりだ。
僕は絶対にオカルト研究は続けているから、同じ思いをもつ歩にきっと会えると信じているよ。
だから歩も、僕の研究を引き継いで切磋琢磨して、僕にも負けないくらい立派な都市伝説研究者になってほしいな。
そしてまた会った時「兄さんの研究は浅い」なんて皮肉を言いながら、僕の研究で至らなかったところをいっぱい話をしよう。
あぁ、いっぱい話してほしいな。
歩が出会った人、文化、自然、そういうものを、いっぱい話してほしいから、どうか何にも囚われないで、歩らしく生きてほしい。
さっきは「僕の研究を引き継いでほしい」なんていったけど、歩がもし別のことに興味があれば、オカルトだってついででいいんだ。
歩が、歩であることをやめず、歩らしく生きていたら……それだけで、僕はまた歩を見つけることができると思うから。
だから、今度は一緒に、同じようにお互いの好きな話をたくさんしよう。
僕は先に行くけど、歩はあとからゆっくりおいで。
キミがたくさんの思い出をもって僕と語らう日のことを、ずっとずっと待っているから。
如月努
追伸
もし、歩が僕のしたことを許してくれるのなら、また歩の兄として隣にいさせてほしい。
※※※
全てを読み終えた時、慟哭が響く。
「そんな、嫌だ! 嫌だ! 兄さん、兄さん、兄さん……嫌だ、私……私は、私をとっくに消してしまった。私はもう、如月歩じゃないの。如月歩はもう、どこにもいないの。やだ、やだ……私は、兄さん。私は……」
何という皮肉なことだろう。
如月努は、如月歩が自分の幸せを掴むことを願っていた。
だが如月歩は、兄への復讐のため自分自身を世界から消してしまったのだ。
そして、廻屋渉として。あるいは福来あざみとして、ずっとずっと生きてきたのだ。
兄の望みとは裏腹に。
「……如月歩」
何と語りかければいいのか、わからなかった。
復讐のため全てを賭したはずなのに、それが兄と進む道を決定的に違えてしまったのだ。
「兄さん……やだ、私は……私こそ、許して兄さん。私は、兄さんの望み通りに何もしてあげられなかった。兄さんが何も望んでいないことばかりしてしまった。それなのに、兄さんの側にいたいと思ってる。今でも、こんな遠くに行ってしまった後でも。兄さん! どうしたらいいの、兄さん。どうやって取り戻せばいいの? 兄さんはもうどこにもいない。そして、兄さんの望んだ私も、もうどこにもいないんだ……」
その場にうずくまり、ボロボロ涙をこぼす如月歩は実年齢からすればよほど幼い少女に見えた。 止木は泣き続ける少女の前に、兄の言葉をしたためた手紙をそっと置く。
何というべきなのだろう。
一体どうすればよかったのだろう。
戸惑う止木の前に、確かにそれは現れた。
「……歩」
うっすらと発光して名を呼ぶそのれは白い人影にしか見えなかった。
だがその姿を、如月歩ははっきりと
「兄さん?」
そう、呼んだ。
まさか、幽霊か。
それとも何か他の理由がある現象なのだろうか。
突然目の前におこった不可思議な光景を、止木はぼんやりと見つめる。
今は、この光に自分が何か出来る状況ではない。頭ではなく心でそう、理解したからだ。
「兄さん。兄さんなの?」
「歩……本当に、すまなかったね。大事なときに、側にいられなかった。両親を失ってから、キミには家族と呼べるのはもう僕しかいなかったのに。それなのに、僕は……」
「兄さん、いいの。兄さん。私だって兄さんに頼りっきりで、兄さんの思いを何も理解してなかった。自分勝手に振る舞って、それが兄さんのためだと言い訳をして。本当は、自分が耐えられなかったから。兄さんを追い詰めてしまった自分の罪と、向き合うことができなかった。だから、周りの人たちを責めたの。わかってる、わかってたのよ。今、SNSにいる人たちが兄さんを追い詰めた人だとは限らないって。兄さんを追い詰めた人たちも、とっくにSNSなんてやめて普通の生活をしているんだろうって。そういうのも全部分かっていたのに、私は私がとめられなかった。それでも私は、自分の名前と姿を世に出してしまえば、兄さんに顔向けできないなんて僅かな羞恥心から、自分の名前さえ消してしまった……全部、兄さんが望んでいなかったのに。兄さんの理想なんて一つだってかなえてあげられなかったのに。私こそ……私こそ、ごめんなさい。許して、兄さん……だから、私を……私を、兄さんの妹のままでいさせて……」
光はそっと、歩の頬に触れる。
対面した影は、笑っているような気がした。
「何いってるんだよ、歩。歩はずっと、僕の妹だろう?」
「兄さん……」
「歩。僕たちは、間違えてしまった。お互いに、お互いの思いを掛け違えて、大変な過ちをしてしまった。お互いの思い込みで、沢山の人に迷惑をかけてしまった。キミが利用した沢山の人たちにも、家族がいて、恋人がいて、心配してくれる友人がいたはずなのに……」
「わかってる。だから、私は憎かった。私から兄さんを奪っておいて、自分たちは家族や恋人に包まれてのうのうとしている人たちが……」
「うん、そうだね。だから……今は、少し。二人で……休もう。僕たちが掛け違えてしまったボタンを、時間とともにゆっくりと戻していこう。元通りにならなくても……キミが次に目覚めた時、キミが自分の罪と向き合うことが出来るように。大丈夫、その時まで……僕は、ずっとキミの側にいるから」
光はまるで粒のようになり、そして蝶のようになり、如月歩の身体を包んでいく。
「いいの、兄さん。私を……許してくれるの?」
「キミが僕を許してくれるのなら、僕はいつだってキミの側にいるよ」
その時、如月歩を包み込んでいた蝶の群れは激しい閃光となって周囲を包み込む。
目が眩むような白い世界の果てに、止木はゆっくり倒れていく如月歩の影を見た。
「如月歩!」
慌てて走り出し、倒れそうになる彼女の身体を抱く。
小さく細い身体を支え顔を見た時、如月歩は眠っていた。
幸福な夢を見ているのか、その顔は僅かに笑っていた。
それはまだ世界を知らず眠る、無垢な赤子のようだった。
※※※
その後、止木は眠り続ける如月歩とともに日本へ戻る。
帰国した後も、如月歩は目覚めることなく、ずっと眠り続けているという。
医学的には何ら問題のない身体だが、意識だけは戻らないのだ。
「ご苦労様でした。海外出張はいかがでしたか」
その日、止木は犬神大学に来ていた。
全てが終わった事を廻屋に伝えるのが目的だ。
「出張なんてもんじゃないって。お土産も買う余裕なかったし、有休だって全部吹っ飛んじゃったわよ」
「それはそれは……しかし、銀の弾丸に効果があってよかったです」
「効果はあったけど、如月歩はずっと寝っぱなしよ。良かったんだか、悪かったんだか……」
「恐らく、極端な心理的負荷から自身の思考も感情も外部と遮断したのでしょう。如月歩の多重人格は極めて特殊なものでした。彼女は脳の領域をある程度、自分の意志でコントロールできるものです。その力をもって、私や福来さんといった人格を生み出し生活することを可能にしていたのでしょうね」
「それなら、今の如月歩は……」
「自分の意識や感覚をすべて外界から遮断している状態でしょう。それでも脳が活動しているのなら、さながら幸せな夢の世界に閉じこもっているような状態でしょうね」
廻屋は手にしたノートのページをぱらぱらとめくる。それは如月努の残した研究記録の一つだった。
「それなら、ずっと目覚めないってこと?」
「そうですね……その可能性もありますが……ひとまず、お見舞いにでも行きましょうか。私と、あなたが行けばあるいは……」
「あるいは、何なんです?」
「いえ、可能性の話をしても仕方ありません。とにかく行ってみましょうか」
ノートを閉じて長机に乗せると、廻屋は車椅子を軋ませて進む。
止木はそのあとをゆっくりとついていった。
※※※
如月歩が入院している病院は、かつて彼女の治療をしていた病院と同じ場所である。
特殊な才能をもつ彼女は何度もこの病院にかかっていたこともあり、個室で静かに眠っている。
「やっぱり目覚めてないみたいね」
今は点滴で命を繋いでいるが、このまま目覚めなければいずれは彼女をどうするのか、選ばなければならないのだろう。
栄養をとるための管を繋ぎ目覚めを待つのか。それとも、延命処置を打ち切るのか。彼女の場合、近しい身内がいないのだから後者が選ばれる可能性は高い。
そして、如月歩の人生が終わり、全てが忘れ去られてしまうのだろう。
如月努のために全てを賭した如月歩という人間の存在も、彼女が復讐のために生み出した都市伝説解体センターも、その世界にいたセンター長の廻屋も、福来あざみも、何もかも。
「崩壊と審判」
廻屋が呟く。
「崩壊と審判、それは福来あざみが最初にもっていたカードであり、最後のカードでしたよね」 「え、えぇ、そうよ。それが?」
「そろそろ起きてもいい頃合いです。きっと今なら、目覚めるはず。条件はそろってます。彼女はまだ……審判を受けていない身、いつまで眠っていていい存在ではないですから」
「何をいって……」
止木が全てを言い終わる前に、廻屋はスマホを手に取る。
如月歩の枕元に置かれたスマホから、馴染みのある着信音が響いた。
都市伝説解体センターとして福来あざみがとっていた着信音であり、都市伝説を特定、あるいは解体する時に鳴り響く音だ。
その音が病室に鳴り響いた瞬間。
「は、はい! センター長さん。ど、どうしたんですか!」
驚いたようにスマホを取りながら、彼女は目を覚ます。
そしてしばらく止木と廻屋の顔を交互に見つめていた。
「え、えぇ……どうしてセンター長とジャスミンさんがここにいるんですか? えっ、ここ病院ですか? 一体どうして……私……」
「う、うそ……あざみー?」
「どうしたんですか、ジャスミンさん。私……」
「あ、あざみー! あざみー、あざみーなの? 良かったぁ……もう、会えないかと思ったのに。心配したんだから……」
「えぇっ。ど、どういうことですか……!? え、えっと……」
「……おかえり、あざみー」
「えっ!? ……えへ。た、ただいまです、ジャスミンさん」
如月歩は。
いや、福来あざみは飛びついてくる止木をしっかり抱き留めると、くすぐったそうに笑う。
その姿を見て、廻屋も笑っていた。
「いいじゃないですか。新生・都市伝説解体センターとして、また三人で都市伝説案件を受けましょう。それが……きっと、正しく意志を引き継ぐという事にもなるのでしょうから」
いずれ、その時が来るまで、しばらくそんな夢を見ていてもいいだろう。
廻屋は、再会した二人の姿を暖かく見つめていた。
※※※
如月努の事務所にあった資料や本、ノートなどは改めて整理され、この部屋は廻屋渉の研究室を兼ねた「都市伝説解体センター」として来年度から活動する予定なのだという。
「いいんですか、こんなことを大学でして」
「そういうサークル活動だと思えば、別にいいんじゃないですか? それに、学長にも話を通してありますから」
室内を片付けながら、廻屋と止木はそんな他愛もない話をする。
オカルトや民俗学の本から毒物などに至るまで様々な本が並んでいるため雑多な印象があるが、長机に資料が置きっぱなしになっていた頃と比べれば部屋らしくなっただろう。その扉を、福来あざみが開けた。
「お、遅れてすいません! あっ、もう片付け終わってるんですね」
「もー、遅いあざみー。こっちは大体終わっちゃったよ」
「ご、ごめんなさい。授業がいっぱいで……あ、私お茶入れますから!」
わたわたと動き出す福来あざみ。
彼女は、GR事件前後の記憶をほとんど失っているのだという。
ただ、犬神大学の学生であるという事は憶えていたし、都市伝説解体センターにて、GR事件の首謀者を追い詰めた所まではぼんやりと認識しているようだ。
そういった記憶は如月歩がもっていったまま眠ってしまったから、彼女が思い出すことがあるのかはわからない。もし思い出したとしても、それがいつになるかもわからない。
だが、今はきっとそれでいいのだろう。
如月歩が、福来あざみが、自分の運命を受け入れるまで、もう少し。
「それでは、今日から都市伝説解体センター本部を、犬神大学に置く事にします。ジャスミン、福来さん。これからよろしくお願いしますよ」
もう少しだけ、夢を見ていよう。
都市伝説解体センターが、どこかで怪異の存在を特定し解体する。そんな世界の夢を。
夢見ることは、悪い事ではないのだから。
※※※
車椅子を軋ませ一人、如月努のノートを眺める廻屋渉のもとに一人の男が現れた。
「いま、ちょっといいかしら?」
「えぇ、かまいませんよ」
男の名は富入。公安の人間で、止木からすると上司にあたる。
「確認したいことがあるのよね。あなたのこと」
「そうですか。ご自由にお話ください。返事をするかどうかは、わかりませんけど」
静かにページをめくる廻屋を、富入はじっと見つめる。
「7年前……天誅事件はターゲットを誤認し、殺害に至ってしまったのが原因だったそうね。だったら、本当のターゲットは誰だったのかしら? 私人逮捕系の配信者だった彼らは、あの公園に来る予定だった誰かを狙っていたのでしょう?」
「そうですね。最も、彼らは勝手な憶測で相手を狙っていたようですから、狙われていた相手が本当に犯罪者だったかはわかりませんが」 「そ
の通りよ。実際、当時狙った人物は別段犯罪者ってわけじゃなかったの。ただ、とある学校の学長と血縁関係があり、学園の金を私的流用しているとか、コネクションを使って立場を得ているなんて噂が流れていたようね。何だったかしら……そう、上級国民。SNSで嫌われる上級国民だった人物が、当時のターゲットだったそうよ」
「そうだったんですか。それでは、狙われた方も気の毒ですね」
「だけど、その人物は来なかった……正確には、来れなかったのよね。7年前のその時、交通事故に巻き込まれて意識不明の重体になったそうだから」
廻屋はページをめくる手をとめ、天を仰ぐ。
「そのようです。それから、意識不明の状態が長く続き……目が覚めた時は、足が動かない身体になってました。その上、親友で理解者である如月努が犯人にされていた」
「……どうやらご存知のようね、あの時、5・ソサエティが狙っていた人物のこと」
「えぇ。犬神大学学長の息子である私……廻屋渉。当時、彼らが狙っていたのは私だったはずです。あの日、私はそれがわかった上で、公園に向かうつもりだった。彼らがいかに愚かしいことをしているか、しっかり言い聞かせるつもりでした。私も……まだ若かったんですよ」
「だが、あなたは行けず、彼らは取り違え殺人を犯した」
「えぇ、全て私の愚かしさが招いた行為です……私が軽率でなければきっと、事件はおこっていなかった」
富入は、姿勢を正す。カツンと革靴が乾いた音をたてた。
「悔いているの? だから利用したのかしら。自責の念に耐えられず、他者を呪い恨むことでしか己の感情を逃がすことができなかった如月歩の気持ちを」
廻屋は静かに目を閉じる。
「あなたは、もっとずっと以前から如月歩の居場所を知っていたんじゃない? その気になれば、如月努の手紙を手渡すのはもっと早くから出来ていた。あの手紙があれば、彼女があんな悪事に手を染める事もなく過ごせたんじゃないの? あなたは……あなたは、如月歩を利用したの?」
富入は矢継ぎ早に続ける。
「それとも、如月努への復讐をあなたも望んでいたの? 自分の身体ではもう不可能になったけど、如月歩の才知があれば必ず復讐を成し遂げると。そう思って、彼女の心に寄り添うのをわざとやめ、突き放すように見ていただけだったの? あなたにとって如月努は親友だもの。それを殺した相手が闇に葬られた悲しみや苦悩は理解できる。だけど、それは彼女の人生を利用する理由にならないわ。それとも、5ソサエティがまだ自分を狙うんじゃないかという恐怖心があったのかしら。以前と比べて足が不自由になったぶん、命を狙われた時のリスクは高い。そういう憂いを断ちたかったの?」
もし、あるいは、でも。すべて仮定の話だ。
だが立場上、富入は疑ってしまうのだろう。
「さぁ、どうでしょう。ご想像にお任せします、といいたいところですが……あなたには、お世話になりましたから一つだけお答えします」
「あら、話をしてくれるの? いったい何を隠しているのかしら」
「如月努の、手紙です。止木さんに渡したもの。あれは、私が誂えたものです。如月努の文体と筆跡を模して私が書いたものですよ」
「な、なんですって。そ、それじゃぁ……如月努の手紙なんて残していなかったというの? それとも……」
「さぁて……」
廻屋は顔を上げて笑う。
「ご想像に、お任せしますよ」
その笑顔はまるで底のない穴のように、色のない暗さに満ちていた。
人間が恐怖に抗えないように、怪異もまた人間に抗えない。
それが怪異の摂理である。
※※※
薄暗い洞窟の中を、止木休美は一人で進んでいた。
随分と長い階段を降りてきたと思ったが、まだ目的地は先のようだ。眼前にはどこまで続くかわからぬほど深く、暗い闇が続いている。それはまるで怪物がぽっかり口を開け、止木が臓腑へ飛び込むのを待っているかのようにも見えた。
下らない妄想に囚われてはいけない。まだ到着もしてないのだから、雰囲気に飲まれてしまっては負けだ。
止木は自分を奮い立たせ、手にした銃に異常がないか軽く確認する。そして暗がりに一歩踏み出した。
どこまで続くか分からぬ暗く長い道を進む止木の頭に浮かんだのは、まだ都市伝説解体センターの一員として潜入任務をしていた頃のことだった。
福来あざみが都市伝説解体センターで調査をはじめて程ない頃の調査だったろう。
あの時も、どこまで続くかわからない地下まで出向いた記憶がある。
確か、上野のオカルトツアーに参加した時だったか。上野という賑やかな街にこんな地下深い場所があるのかと関心したのが、もう何年も昔のことのように思える。
あの時、センター長である廻屋は怪異を「異界」と特定していた。
見知った場所からふとしたきっかけで全く知らない場所へ到達してしまうこと。それが、異界入りなのだといい、妖精の国に紛れ込んだという逸話や、誰もいないのに人をもてなす準備がしてあるという「マヨイガ」あるいは「迷い家」と呼ばれる伝承も、異界の一つだろう。最近でいえば、「きさらぎ駅」や「杉沢村」もそうに違いない。
長い階段の果てに未だ奥へとたどり着かないこの場所もさながら異界への道のようだった。
廻屋は、異界から逃れるには引き返すことだと語っていた。引き返さず異界にたどり着いてしまったら、もう戻れないということも。
今ならまだ戻れる。だが、これ以上進んだらもう戻れない。
止木にそれを意識させるため、こんなひとけのない奥に隠れ住んでいるのだろうか。
「まったく、バッカみたい。金持ちは高い所が好きなだけ。後ろめたいことをしている奴は狭くて暗い場所が好きってだけでしょ」
止木は誰に言うでもなくそう呟く。
だがその脳裏には「廻屋渉」と話した言葉がかすめていく。
『異界というのは……長い道の先にあるものです。人間の住んでいる所とは全く違う場所、違う規律が適用され、無事に戻るには来た道を引き返すしかない。また、日本では黄泉比良坂と呼ばれる坂が、死者の国への入り口と言われています。黄泉比良坂は、地下へ続く洞窟のように表現されますね……』
ぽっかりと口を開けた暗く長い道は、なるほど確かに黄泉へ向かう道、黄泉路とよぶに相応しい。だが廻屋は、こうとも言っていた。
『黄泉比良坂は上り坂だったとも言われています。古い時代、人は死者を山で弔ったという説があるのです。土葬というのは案外に手がかかりますからね。死者が多く出た時に、いちいち穴を掘り死体を埋めるより、そのまま山に捨てた方がよっぽど早かったのでしょう。死者を捨てた山は、生者は立ち入らないようにする。もし立ち入ってしまえば、かつて知った顔が腐り果てボロボロになった姿を見る事になります……つまり、都市伝説のイメージも、伝承も時と場合によって変貌し、見る角度によって違うものが見えてくるというわけです。当時は死はそれだけ身近で、異界はそれだけ近しいところに存在していたのでしょうね』
どうして、今こんな言葉を思い出すのだろう。
『どちらにしても、異界は……進み、そこに至ればもう戻ってこれません。ジャスミン。あなたは異界の先に行った後、以前のようなあなたの価値観や認識をもち続けるのは難しいでしょう。それでも……進みますか?』
どこかこちらを試すように語る廻屋の言葉を反芻する。
「あたりまえでしょ。もうこっちは覚悟決まってるんだから」
胸元に手を当て、一度深呼吸した。
情報が確かであれば、この先に如月歩がいるはずだ。
彼女は果たしてどんな姿で止木を迎えるのだろうか。
如月歩としての姿で現れるのだろうか。それとも廻屋渉の姿をしているのか。それとも……。
「あざみー、今行くから……」
止木は息を整えると、長い暗がりへと足を向けた。
如月歩の居場所が明らかとなった。
その一報を受けたのは数日前のようにも、一ヶ月以上前のようにも思える。
彼女が遠い異国の地で、土地の人間の不安や憤りといった燻る感情を刺激し、大きなうねりとして扇動するような素振りがある。
だがまだ何かしているわけではない。
警察という立場から、何もしていないうちに動くことはできないが、個人として動くのなら、別に問題はない……。
それが、富入の立場で出来る提案として最大限の譲歩だったのは明らかだ。
日本では如月歩のおこした事件。俗にGR事件と呼ばれるものは解決することが出来ない事件として闇に葬られる事になり、如月歩が被疑者であることは公然の秘密でありながら決して逮捕してはいけない存在でもあった。
彼女が逮捕されれば、警察の情報がたやすくハッキングされ利用されたことが明らかになる。
その責務を負うために沢山の警察官が一応の責任者として辞職に追いやられ、警察の価値が揺らぎ権威を失墜させることが治安維持をより困難にさせる可能性があるなら、如月歩を捕らえるのは悪手である、というのが上層部の見解である。
それ故に、この事件は存在するが、決して解決することのないものとして闇に葬られた。犯人が公になることもなく、如月歩が罪に問われることもない。
だから、止めるのなら今だ。
これ以上、彼女が手を汚し多くの人々を狂わせる前に確保する。それが止木の足を進ませていた。
永遠に続くと思われた暗い路地が、急にぽっかりと開ける。
その中央に、玉座のように備え付けられた椅子の上にローブ姿の人影がぽつんと一つ存在していた。
「……ここがあんたの新しい居場所ってわけ?」
どうして日の当たる所ではないのだろう。
どうしてこのような薄暗く狭い場所で隠れて暮らしているのだろう。
そこまで自分を追い詰め苦しめなくたって、良かっただろうに。
皮肉を込めて言う止木の前に、
「ジャスミンさん!」
懐かしい声がした。
「あざみー……」
目の前には、純真無垢で世の悪意とは無縁の屈託ない表情を浮かべる福来あざみがいる。
「えっ!? ここどこですか? な、何で私こんなところに……」
止木を翻弄するよう、出会った時と寸分も違わない表情と仕草をこちらへ向ける。
それが、止木を苛立たせた。
「あざみーを利用するのはやめなさい、如月歩。もう終わり、自分の罪と向き合う時間よ」
銃口を向け、止木は声を張り上げる。
その刹那、福来は身体を急に反らしたかと思うと大きく呼吸をし改めて止木へと向けた。
虚ろな目に蒼白の肌、どこか陰鬱な表情は、止木の知る廻屋渉そのものだ。
「よくここまでいらっしゃいましたね、ジャスミン。招待状を出した憶えはないんですが」
「いいでしょ、わざわざお呼ばれするような仲でもないんだし」
銃口はずっと、廻屋へ向けられる。
完全に捕らえていた。引き金さえひけば廻屋は無事では済まないだろう。
だが、廻屋はまるでこちらが引き金を決して引かないというのを理解していたかのように笑っていた。
「いいんですか、そんな物騒なものを向けて。福来さんが悲しみますよ」
「……あざみーのことを人質にとった気でいるの? あざみーは、わかってる。間違いは正さなければいけないと言っていたもの。あなたが間違い続けるなら、私がそれを正す」
「正義感は人の目を曇らせるものです。わかっているでしょう、ジャスミン。如月努を追い詰め、死に追いやったのもまた市井の正義だったこと……」
「えぇ、わかっている。狂信的な正義は最も強い悪意に成り得るもの……でも、それでも……復讐に至る理由にはなり得ない。そうでしょう、廻屋渉。いえ、如月歩。出てきなさい。センター長も、あざみーも、あなたの生み出した人格だけどあなたじゃない。私は……あなたに罪を問うてるの」
廻屋は手を広げ、大げさなジェスチャーでため息をついた。
「出てきませんよ。そんなつまらない脅しで出てくるような人じゃありませんから」
廻屋の言葉に嘘はないのだろう。
ここに来る前に、医者から話も聞いている。多重人格というのは、先天的に存在する人格の心が壊れそうな時に発生しやすいという。そして全て、基礎となる人格を守るために存在する。
兄の復讐という本懐を遂げた如月歩が今、何を考えているのかはわからない。
だが、彼女の意志に準じて行動をし、生命活動を維持する役割はすべて目の前にいる廻屋が担当しているのだろう。
「出てこないなら、無理矢理でも引っ張り出してやるわ」
銃口を向けたまま、止木は声をあげる。
ドーム状の空洞に、声だけがやけに響いていた。
「引っ張り出す? その銃でおどしつけるのですか。生憎、私は武術の心得がなく、ここに人はいない。これは私の方が不利ですね……」
廻屋はそう言いながら肩をふるわせて笑う。
困った素振りをしているが、なにか仕掛けているのは間違いないだろう。
その気になれば毒ガスだろうがウイルスだろうが、どんな危険なものだって持ち出してくるのが如月歩という存在であり、その彼女を守る盾であり騎士でもある人格として選ばれたのが廻屋渉なのだから。
止木はふっと息を吐くと、手にした銃から弾倉を抜く。
それからスライドをはずしバラバラにした銃を床へ投げ捨てた。
「こっちは、あなたに危害を加えるつもりは最初からないの。もしあなたに何かしたら、あざみーが怪我をするんでしょう? 私はあんたの顔になら一発どころか何発でも拳をたたき込んでやってもいいと思ってるけど、あざみーには怪我なんてさせたくない。あんな臆病で怖がりな子、怪我なんかしたらずーっと泣いちゃうでしょう。そんなの可哀想じゃない」
「なるほど、撃つ気はないということですか」
「いえ、あなたを撃ち抜く。私はそのためにここに来た」
「……ほぅ、弾丸もないのに、どうやって?」
冷めた笑みを浮かべる廻屋を前に、止木もまた笑みを浮かべた。
「撃ち抜けるわよ。そして……怪異は必ず、人間の手で滅される」
止木はそう言いながら、胸ポケットに入れていた封書を差し出す。
それは、と廻屋は口を開きかけたが、止めた。かわりに目が見開き、それまで廻屋の姿をしていた表情が軋む。
「う、そ。何で、そんな……どこに、どうして……」
廻屋のような姿をした、だが別の誰かからは少女のような声がする。
止木は顔を上げ、しっかりとその姿を……如月歩の姿を捕らえた。
「これは……如月努からの手紙。ある人から託された、如月歩に。あなたにあてられた、彼の最後の言葉」
封書には几帳面な字で「如月歩へ」の言葉が綴られている。
万年筆で書かれた特徴のない字でも、如月歩にはそれが誰が書いたものかはっきりと理解できたのだろう。
だからこそ驚き、戸惑い、そして怯えているのだ。
「うそ、うそだ。私は、兄の……どうして今さら。どうして……」
廻屋でもない。福来でもない。如月歩はその場に膝をつくと、己の身体を押さえて震える。
彼女はまるで銃口を突きつけられでもしたかのように、身動きがとれなくなっていた。
※※※
それより前
都内某所
※※※
ほこりの被った研究室に、その男はいた。
男は車椅子を軋ませながら、長机の上に並べられた研究ノートの一つを撫でる。
ノートの表紙には「UFO接触者へのインタビュー NO.53」と書かれていた。
男はそのページをぱらぱらとめくる。
『すべての証言者と接触するとわかることだが、彼らは誰一人として嘘を言ってないということだ。それは即ち、彼あるいは彼女らは少なくても「何か」を見ている。それを自分の中にある情報と照らし合わせ、UFOであると結論付けたのだろう。
この傾向はS県某所では特に如実である。というのも、この地域では以前から未確認飛行物体、UFOの目撃証言が相次いでいるからである。』
几帳面な字で綴られたノートには、おおむねそのような事が書かれている。
これは、今は亡き如月努の残した研究ノートの一つだった。
7年前、咎なくして死を選んだ如月努は今でこそオカルト界のカリスマのように語られているが、その実はオカルトに対して極めてフラットな人間だった。
オカルト、怪異、都市伝説、その他もろもろの、研究者から言わせれば胡散臭くデータが存在しないような話を愛し、好いて、そして信じていたのに拘わらず、その目は常に一人の研究者として冷静だったのだ。
UFOの存在を信じて疑ってはいなかったが、見て来た証言すべてを頭から信じるような人間ではなく、集めた証言を比較し、吟味し、きちんと結論付ける。
そういった部分は、至って研究者らしい男だったろう。
研究ノートは、さらにこう続いている。
『この地域では、最初にUFOの目撃証言があった時期から目撃されるUFOの現象が極めて似通っていることが判明している。
だが、今の時代よりさらに古い時代の資料を遡ると、この土地で見られる火球・UFOと思われていた存在はいくつかのバリエーションが存在しており、動きも均一ではなかった。
このことから、周辺地域におけるUFOの目撃証言は、同じような飛行経路をたどる何かである可能性が高いと思われる。引き続き調査をし、地域住人がUFOと認識している飛行体の調査を必要とする。』
ノートの最後には、そう走り書きされている。
きっとまだ存命ならば、この地に趣いてUFOを目撃した住人の話に耳を傾けていた事だろう。
男は静かに目を伏せる。長い睫毛が、かすかに震えた。
その時、閉ざされていた扉が開く。
目を向ければ、まだ年若い女性が呆然としながらこちらを見つめる姿があった。
その表情は、まるで死人にでもあったかのようだ。
「う、うそでしょ……ホントにいたんだ……」
彼女は口を大きく開け、目を丸くする。
公安の人間だと聞いていたが、随分とわかりやすい表情をするものだと男は思った。
「えぇ、いますよ。私は生身の人間ですから……私からすると、むしろ……本当にそのようなことがあったのか、と驚きたいくらいですね」
男は車椅子を軋ませながら彼女の前まで来ると、淡く笑って見せた。
身体は華奢を通り越して細く、強く握れば骨が折れそうなほどだった。肌は蒼白で、どこかを煩っているかのようにも見える。車椅子での生活はもう7年になると聞いているが、手動の古めかしい車椅子は男の身体に合っているとは到底思えなかった。
だが、そんな古びた車椅子を好んで使っているのは、彼にもまた思う事があるのだろう。
「ご用件は、富入さんという方から覗っております。これまで何があったのかも……まさか、ここに残した如月努の遺品がGR事件のトリガーになるなど思ってもいませんでしたが……」
男はそう言い、目を伏せる。
その姿も表情も振る舞いも、彼女の知る「廻屋渉」という人間そのものだった。
「あ……も、申し遅れました。私、公安の止木休美というものです」
「ジャスミン」
「えっ……」
「話は聞いております。都市伝説解体センターでは、ジャスミンを名乗っていたと。立場上、名前を呼ばれると面倒ごとも多いのでしょう。私もジャスミンとお呼びしてよろしいでしょうか?」
ゆったりと語るその仕草は、止木の知る廻屋とうり二つだ。
いや、それも当然だろう。
彼は、如月歩が模した男なのだから。
むしろ、如月歩はおどろくほど廻屋渉とそっくりだった、というのが正しいに違いない。
「わかりました、ジャスミンと呼んでください。あぁ、でもそれだと私は、あなたのことをセンター長って呼ばないといけなくなりますかね」
「別にいいですよ、呼びやすいようにどうぞ。むしろ、廻屋渉の名がかえって呼びづらいのなら、そのほうがいいでしょう」
目の前にいる廻屋渉は、どこか怪しげな笑みを浮かべると全てを見透かすような目を向けた。
廻屋渉は、犬神大学の非常勤講師である。
如月努と同様に民俗学を学んでいた、同じゼミの仲間だったのだという。
如月努にとってよき理解者の一人であり、互い切磋琢磨するライバルであり、親友と呼んでも差し支えのない程度に親しく接していたそうだ。
「歩さんのことは知ってますよ。如月くんから何度も話を聞いていましたし、何度かお会いしたことがありますから……私はこのように、あまり人好きのしない人間なので普段から何でも一人でやっていたのですが、そんな私に話しかけてくれたのが、如月くんでした。彼は私の研究に興味を抱き、同じ都市伝説好きとしてあれこれ話をしてくれて……彼といた頃は、本当に楽しかったですよ。ずっとあんな毎日が、当たり前のようにあるものだと信じて疑いもしませんでした。私もまた……永遠に平穏な時があると信じていた、そんな青臭い子供でしたからね」
「そうだったんですか……」
思い出に耽る廻屋を前に、止木は目を伏せる。
如月努も、廻屋渉も、ごく普通の学生であり研究者を志す青年だったのだ。
「如月くんが若い頃に両親を失い、妹と児童養護施設で育った事なども聞いてました。妹である歩さんとも何度かお会いしてます。妹さんは、都市伝説を語る私と如月くんに対して羨望をこめた視線を常に注いでいて……私と彼が熱くなり長く話し込んでいると、拗ねてしまったものです。あの時は、兄妹としての羨望と思っていましたが……きっと、彼女は私のようになりたかったんでしょうね。兄である努と対等に語り合い、同じオカルトを愛し、都市伝説を学び……その内に秘められた噂と悪意を解体する。彼女はそう、生きたかったのだと思います」
廻屋は長く息を吐くと、深々と車椅子に腰掛けて目を閉じる。
「如月くんが、自ずから死を選んだ後も資料を残すように求めたのは、如月くんの師匠たる先生と、私です。私は如月くんの集めた資料を基に、研究を続けたいと思っていたのですが……」
車椅子のリムから軋む音がする。
7年前、俗に天誅事件と呼ばれる殺人事件がおこるのとほぼ同時期に、廻屋は事故にあい意識不明の重体になったのだという。
意識が戻った時、すでに事件の犯人は如月だという事にされており、退院する前に如月は自死した。 それを知った廻屋は如月のもつ資料までも消されてしまうのを恐れ、研究室を封鎖し全ての資料を保全する道を選んだのだ。
「父にも無理を言いましたが、あの時はそれで良かったと思っていました。資料が失われてしまったら、如月くんの意志が潰えてしまうと思ってましたし。私も身体がなおったら研究を引き継ごうと考えておりましたから。生憎、身体は見ての通り……二度と歩けない身体のままとなり、フィールドワークもできない有り様になってしまいました。そのため、資料をそのまま置いておくことしか出来ない日々が続いていましたが……それがまさか、如月くんの愛した妹さんの心を、こんなにも蝕んでしまうとは……」
「心中、お察し申し上げます」
止木の言葉に、廻屋は小さく首を振る。
「お気遣いいただきありがとうございます。ですが、私は……彼女にこの場所を知らせてはいけなかったのだと、思います。私はこの身体で如月くんの意志を継ぐのが難しくなっていた。また、如月くんはいずれ妹である歩さんと一緒にこの研究をしたいと願っていました。如月歩と名乗る人物が、如月くんの資料を求めた時、私は疑いもなく彼女に鍵を与え、迎え入れてしまった。私より、彼女がこの資料を受け継ぐのが適切だと思ったからです。ですが、私は……私が、もっと彼女の心に寄り添ってあげるべきだったと。そう、思いますよ」
目を閉じる廻屋の睫毛が震えている。
悔恨が胸を支配し悲しみとなり押し寄せているのだろう。
「あのような死を如月くんが迎えてしまった以上……孤独な心に寄り添う存在もない歩さんが、信じるものなど何も無くなってしまった世界を受け入れることなど、到底できなかったでしょう。私が研究にかまけ彼女と対面せず過ごしてしまった怠慢が、彼女を追い詰めてしまったのです」
もし、廻屋渉が如月歩と出会っていたのなら、世界は変わっていたのだろうか。
GR事件などという解決されない事件は生まれる事もなかったのだろうか。
「あるいは、私は……如月歩という人物と会うのが、恐ろしかったのかもしれません。あの時、兄である努くんのそばにいて、いくらでも声をかけることが出来たはずの私が、彼の死を止めることができなかった……その罪と向き合うのが怖かった。私の臆病さが、彼女を壊すきっかけを作ってしまったのだとしたら……私は彼女の一部として、同じ罪を背負うのもまた必然なのでしょうね」
強い悔悟の念が、言葉から滲みあふれる。
如月努の死を背負い、如月歩の罪をも背負おうとするこの殉教者に言うべきかはわからなかったが。
「でも、GR事件が生まれてなければ、福来あざみという人間も存在してなかった。私は……あざみーと会えたのは、良かったと思ってますよ」
止木の言葉に、廻屋は顔をあげる。
もしGR事件で一つだけ希望があったとしたのなら、そこに福来あざみがいたことだ。
GR事件がおきなければ、福来あざみという人格は生まれなかった。
止木を「ジャスミンさん」と呼び、何も知らず無邪気で前向きなあざみは。人の悪意に悲しみ、善意を信じるあざみが存在したのは、如月歩がそのような人格を作り出し、演じていたからなのだ。
彼女の存在こそ、廻屋にとっても、止木にとっても、そして如月歩にとっても救いたる存在だっただろう。
廻屋は僅かに頷くと、静かに目を閉じ天を仰ぐ。
そして、過去の記憶をたどるようゆっくり口を開いた。
「如月歩は人格を使い分けることが出来ると同時に、自分の持つ人格によって脳内にある知識領域の閲覧権限を自在に操ることが出来ていたようです」
「はぁ? あっ、それはどういう……」
「富入さんからいただいた資料にそのような記述がありました。通常、演技により作られた人格は記憶の共有部が存在するのです。如月歩は廻屋渉を演じていた時、如月歩の過去と知識を共有してましたが、福来あざみは本当に何も知らなかった……彼女の脳波を研究した結果、彼女にはそのように知識を脳内で仕分け、必要な時だけ知識領域に触れていく、という能力があったようです。一時期、多重人格なんて言葉がありましたが……そういう意味で、彼女は本物の多重人格者。かつ、自在に人格を生み出せる。そうすることで、自分の心を守らなければ壊れてしまうか弱い存在だったのでしょう」
あれだけの大事件をおこした人物が果たしてか弱いのだろうかと思う。
「……か弱いからこそ、周囲に対してひどく攻撃的になるものなのです。それが、弱さというものですよ」
そんな止木の頭を見透かしたかのように、廻屋は語る。
止木が知っているのは如月歩が演じていた廻屋渉という人物だったが、どうやら如月は廻屋という人間の所作を完全にコピーしていたようだ。
それは兄と同等でいたかった羨望からか。
それとも……。
「富入さんにもお伝えしましたが……現在の、如月歩。あるいは廻屋渉がいる場所は、こちらです。土地勘がないのでハッキリとは言えませんが、潜伏しているのはこの街で間違いないでしょう」
廻屋は慣れた様子でスマホを操ると止木に地図を送る。
それは遠く離れた異国の地だった。
「国家公務員である止木さんの担当から外れているとは思いますが……さて、どうしますか」
どこか危うさを感じる笑みを浮かべながら、廻屋が問う。
答えは決まっていた。
「行くに決まってるでしょ。だって、あの子が。あざみーが言ってたの。間違えていたのなら、たださないといけない……あざみーがそれを望んでるんだから」
「そう、ですか……そうでしょうね。わかりました。では、ジャスミンさんに私から選別です」
その言葉の後、廻屋は一通の封書を差し出す。
「これは……?」
「戦うには武器が必要でしょう。これは銀の弾丸です。狼男でも吸血鬼でも、どんな怪異でも打ち抜ける、とても清らかなものですよ」
止木はそれを手にし、大きく目を見開く。
「えっ!? こ、これ……如月努の!? どうしてアンタが!?」
「持っていても不思議ではないでしょう。私が家に戻った時、私の家に届いていたものです。私は結局、それから彼女に会うこともかなわず、彼女も行方をくらましてしまいましたから……ですから、どうか私のかわりに渡してください。私の外見をアバターに、福来あざみの心をよすがにして自分を押し殺し隠し続けている如月歩という人間に……風穴を、開けるのです」
止木の手にしていた封書には「如月歩へ」と書かれている。
それは、如月努が残した歩への最後の言葉……彼の残した最後の手紙だった。
※※※
洞窟の中でうなだれる少女は、何度も同じ言葉を繰り返す。
「うそ、うそよ。うそ……そんなはずはない。そんなものは、どこにも……」
狼狽する彼女は、とてもそれを受け取れる雰囲気ではなかった。
だからこそ、止木は封を開ける。
「まって、やめて! やめて……読まないで! 勝手に読まないでよ!」
如月は必死になって止めようとするが、長いローブに足を取られすぐさまその場に倒れる。
普段から身体を廻屋に預けていたせいか、如月歩という人間は自分の身体を俊敏にうごかせる程、現実世界の生活に慣れていないようだった。
「歩へ……」
「や、やめて。やめて、やめて! 兄さん! 兄さん……」
彼女はその場に蹲る。
だが止木から手紙を奪おうとする様子はない。
聞きたくない。だが、聞かなければいけない。
自分が手紙を渡されても、その封を開けることもできないし、今の自分にはその資格もない。
様々な葛藤から身動きがとれなくなっているのだろう。
やめてという言葉とは裏腹に止木の言葉を待っているのかもしれない。
とはいえ、この手紙に何が書いてあるのかは止木もわかっていなかった。
如月歩の心を打ち抜ける銀の弾丸になればよいのだが。
不安を抱きながら、止木は遺書を読み進めた。
※※※
歩へ
ずっとそばにいてあげたいと思っているし、その思いは今でもずっと心にある。それなのに、こんな方法で世を去る道を選んだのは、僕が弱かったせいだろう。
頭がいいつもりでいたけど、肝心な時に名案なんて思いつかなかった。
一番大切なときに、そばにいることができなくて、本当にごめんね。
だけど、これは歩のせいじゃない。
だからどうか、自分を責めるのだけはやめてほしいんだ。
きっと歩は、僕が優しいから歩を守るためにこんな方法を選んだんだと思うかもしれないね。
だけど、そうじゃないんだ。
僕はただ、今の苦しみから逃れるためにこの方法を選んだだけ。
あれほど大切にしていたのに、肝心なときに歩と向き合うことが出来ず逃げてしまう僕のことを、許してくれなんてとても言えない。
ごめんねなんて言えば歩が傷つくのはわかっているのに、僕は卑怯だからごめんねと言ってしまう。
つまるところ、僕は卑怯者なんだよ。
歩から逃げたくせに、歩にだけは嫌われたくないと思ってしまった、僕の弱さを見られたくなかった。
全て、僕が悪かったんだ。
だから、歩は悪くない。
歩は悪くないから、どうか僕だけを悪者にして、世界は恨まないでくれないかな。
悪いことも、悔しいことも、恨めしいことも、全部僕がもっていく。
恨むのなら臆病で意気地無しのこの僕のことを恨んでくれてかまわないから、どうか世界を、人を、言葉を愛して、何にも囚われずきみの人生を進んで、幸せになってほしい。
心から、そう思っている。
心から、そう願っているよ。
それでも歩が、少しでも僕のことを許してくれるのなら、僕の研究は、歩に引き継いでほしいと思っている。
小さい頃から大好きだった、オカルト・都市伝説・怪異・UFO・UMA……。
実際に研究する立場になってわかったんだ。
この世界には僕らの知らないことが沢山あり、僕らの知らない人が沢山いて、僕らからすれば信じられないような風習や歴史をたどったものが驚くほど沢山あるんだ。
僕は歩にも、それを見てほしいと思っている。
小さいころからパソコンを使わせたら右に出るものはいない天才で、どんな情報でもネット上から見つけてくる歩にとっては現地に言って人と話し、その風習にならって生活する、なんてのは時間ばかりかかって無駄でつまらないことだって思うよね。
でも、世界にはそうすることではじめてわかることが沢山あるんだよ。
そうやって人に触れた時、それまでただの文字の羅列でしかなかったものに心が宿り、命があるのだとはっきり認識できるんだ。
歩、こうして命に接する時間は、とても暖かくて楽しいものなんだよ。
僕は歩にも、それを知ってほしいんだ。
画面のなかにある文字の羅列でしかない世界の手触りを、匂いを、温もりを、歩にも知ってほしい。
本当はその隣に、僕も一緒にいたかったけど……。
この世界に、僕のいる場所はもう残されてないみたいだから、残念だけど今回は諦めるよ。
だけど、きっとまた会う時は、今度は二人でそれをしよう。
まさか歩は、僕が死んだら終わりだと思っていないよね?
僕は思っていないよ。
オカルトのことを信じているし、愛してもいるこの僕だ。絶対に輪廻転生ってやつをして、また人間になるつもりだ。
僕は絶対にオカルト研究は続けているから、同じ思いをもつ歩にきっと会えると信じているよ。
だから歩も、僕の研究を引き継いで切磋琢磨して、僕にも負けないくらい立派な都市伝説研究者になってほしいな。
そしてまた会った時「兄さんの研究は浅い」なんて皮肉を言いながら、僕の研究で至らなかったところをいっぱい話をしよう。
あぁ、いっぱい話してほしいな。
歩が出会った人、文化、自然、そういうものを、いっぱい話してほしいから、どうか何にも囚われないで、歩らしく生きてほしい。
さっきは「僕の研究を引き継いでほしい」なんていったけど、歩がもし別のことに興味があれば、オカルトだってついででいいんだ。
歩が、歩であることをやめず、歩らしく生きていたら……それだけで、僕はまた歩を見つけることができると思うから。
だから、今度は一緒に、同じようにお互いの好きな話をたくさんしよう。
僕は先に行くけど、歩はあとからゆっくりおいで。
キミがたくさんの思い出をもって僕と語らう日のことを、ずっとずっと待っているから。
如月努
追伸
もし、歩が僕のしたことを許してくれるのなら、また歩の兄として隣にいさせてほしい。
※※※
全てを読み終えた時、慟哭が響く。
「そんな、嫌だ! 嫌だ! 兄さん、兄さん、兄さん……嫌だ、私……私は、私をとっくに消してしまった。私はもう、如月歩じゃないの。如月歩はもう、どこにもいないの。やだ、やだ……私は、兄さん。私は……」
何という皮肉なことだろう。
如月努は、如月歩が自分の幸せを掴むことを願っていた。
だが如月歩は、兄への復讐のため自分自身を世界から消してしまったのだ。
そして、廻屋渉として。あるいは福来あざみとして、ずっとずっと生きてきたのだ。
兄の望みとは裏腹に。
「……如月歩」
何と語りかければいいのか、わからなかった。
復讐のため全てを賭したはずなのに、それが兄と進む道を決定的に違えてしまったのだ。
「兄さん……やだ、私は……私こそ、許して兄さん。私は、兄さんの望み通りに何もしてあげられなかった。兄さんが何も望んでいないことばかりしてしまった。それなのに、兄さんの側にいたいと思ってる。今でも、こんな遠くに行ってしまった後でも。兄さん! どうしたらいいの、兄さん。どうやって取り戻せばいいの? 兄さんはもうどこにもいない。そして、兄さんの望んだ私も、もうどこにもいないんだ……」
その場にうずくまり、ボロボロ涙をこぼす如月歩は実年齢からすればよほど幼い少女に見えた。 止木は泣き続ける少女の前に、兄の言葉をしたためた手紙をそっと置く。
何というべきなのだろう。
一体どうすればよかったのだろう。
戸惑う止木の前に、確かにそれは現れた。
「……歩」
うっすらと発光して名を呼ぶそのれは白い人影にしか見えなかった。
だがその姿を、如月歩ははっきりと
「兄さん?」
そう、呼んだ。
まさか、幽霊か。
それとも何か他の理由がある現象なのだろうか。
突然目の前におこった不可思議な光景を、止木はぼんやりと見つめる。
今は、この光に自分が何か出来る状況ではない。頭ではなく心でそう、理解したからだ。
「兄さん。兄さんなの?」
「歩……本当に、すまなかったね。大事なときに、側にいられなかった。両親を失ってから、キミには家族と呼べるのはもう僕しかいなかったのに。それなのに、僕は……」
「兄さん、いいの。兄さん。私だって兄さんに頼りっきりで、兄さんの思いを何も理解してなかった。自分勝手に振る舞って、それが兄さんのためだと言い訳をして。本当は、自分が耐えられなかったから。兄さんを追い詰めてしまった自分の罪と、向き合うことができなかった。だから、周りの人たちを責めたの。わかってる、わかってたのよ。今、SNSにいる人たちが兄さんを追い詰めた人だとは限らないって。兄さんを追い詰めた人たちも、とっくにSNSなんてやめて普通の生活をしているんだろうって。そういうのも全部分かっていたのに、私は私がとめられなかった。それでも私は、自分の名前と姿を世に出してしまえば、兄さんに顔向けできないなんて僅かな羞恥心から、自分の名前さえ消してしまった……全部、兄さんが望んでいなかったのに。兄さんの理想なんて一つだってかなえてあげられなかったのに。私こそ……私こそ、ごめんなさい。許して、兄さん……だから、私を……私を、兄さんの妹のままでいさせて……」
光はそっと、歩の頬に触れる。
対面した影は、笑っているような気がした。
「何いってるんだよ、歩。歩はずっと、僕の妹だろう?」
「兄さん……」
「歩。僕たちは、間違えてしまった。お互いに、お互いの思いを掛け違えて、大変な過ちをしてしまった。お互いの思い込みで、沢山の人に迷惑をかけてしまった。キミが利用した沢山の人たちにも、家族がいて、恋人がいて、心配してくれる友人がいたはずなのに……」
「わかってる。だから、私は憎かった。私から兄さんを奪っておいて、自分たちは家族や恋人に包まれてのうのうとしている人たちが……」
「うん、そうだね。だから……今は、少し。二人で……休もう。僕たちが掛け違えてしまったボタンを、時間とともにゆっくりと戻していこう。元通りにならなくても……キミが次に目覚めた時、キミが自分の罪と向き合うことが出来るように。大丈夫、その時まで……僕は、ずっとキミの側にいるから」
光はまるで粒のようになり、そして蝶のようになり、如月歩の身体を包んでいく。
「いいの、兄さん。私を……許してくれるの?」
「キミが僕を許してくれるのなら、僕はいつだってキミの側にいるよ」
その時、如月歩を包み込んでいた蝶の群れは激しい閃光となって周囲を包み込む。
目が眩むような白い世界の果てに、止木はゆっくり倒れていく如月歩の影を見た。
「如月歩!」
慌てて走り出し、倒れそうになる彼女の身体を抱く。
小さく細い身体を支え顔を見た時、如月歩は眠っていた。
幸福な夢を見ているのか、その顔は僅かに笑っていた。
それはまだ世界を知らず眠る、無垢な赤子のようだった。
※※※
その後、止木は眠り続ける如月歩とともに日本へ戻る。
帰国した後も、如月歩は目覚めることなく、ずっと眠り続けているという。
医学的には何ら問題のない身体だが、意識だけは戻らないのだ。
「ご苦労様でした。海外出張はいかがでしたか」
その日、止木は犬神大学に来ていた。
全てが終わった事を廻屋に伝えるのが目的だ。
「出張なんてもんじゃないって。お土産も買う余裕なかったし、有休だって全部吹っ飛んじゃったわよ」
「それはそれは……しかし、銀の弾丸に効果があってよかったです」
「効果はあったけど、如月歩はずっと寝っぱなしよ。良かったんだか、悪かったんだか……」
「恐らく、極端な心理的負荷から自身の思考も感情も外部と遮断したのでしょう。如月歩の多重人格は極めて特殊なものでした。彼女は脳の領域をある程度、自分の意志でコントロールできるものです。その力をもって、私や福来さんといった人格を生み出し生活することを可能にしていたのでしょうね」
「それなら、今の如月歩は……」
「自分の意識や感覚をすべて外界から遮断している状態でしょう。それでも脳が活動しているのなら、さながら幸せな夢の世界に閉じこもっているような状態でしょうね」
廻屋は手にしたノートのページをぱらぱらとめくる。それは如月努の残した研究記録の一つだった。
「それなら、ずっと目覚めないってこと?」
「そうですね……その可能性もありますが……ひとまず、お見舞いにでも行きましょうか。私と、あなたが行けばあるいは……」
「あるいは、何なんです?」
「いえ、可能性の話をしても仕方ありません。とにかく行ってみましょうか」
ノートを閉じて長机に乗せると、廻屋は車椅子を軋ませて進む。
止木はそのあとをゆっくりとついていった。
※※※
如月歩が入院している病院は、かつて彼女の治療をしていた病院と同じ場所である。
特殊な才能をもつ彼女は何度もこの病院にかかっていたこともあり、個室で静かに眠っている。
「やっぱり目覚めてないみたいね」
今は点滴で命を繋いでいるが、このまま目覚めなければいずれは彼女をどうするのか、選ばなければならないのだろう。
栄養をとるための管を繋ぎ目覚めを待つのか。それとも、延命処置を打ち切るのか。彼女の場合、近しい身内がいないのだから後者が選ばれる可能性は高い。
そして、如月歩の人生が終わり、全てが忘れ去られてしまうのだろう。
如月努のために全てを賭した如月歩という人間の存在も、彼女が復讐のために生み出した都市伝説解体センターも、その世界にいたセンター長の廻屋も、福来あざみも、何もかも。
「崩壊と審判」
廻屋が呟く。
「崩壊と審判、それは福来あざみが最初にもっていたカードであり、最後のカードでしたよね」 「え、えぇ、そうよ。それが?」
「そろそろ起きてもいい頃合いです。きっと今なら、目覚めるはず。条件はそろってます。彼女はまだ……審判を受けていない身、いつまで眠っていていい存在ではないですから」
「何をいって……」
止木が全てを言い終わる前に、廻屋はスマホを手に取る。
如月歩の枕元に置かれたスマホから、馴染みのある着信音が響いた。
都市伝説解体センターとして福来あざみがとっていた着信音であり、都市伝説を特定、あるいは解体する時に鳴り響く音だ。
その音が病室に鳴り響いた瞬間。
「は、はい! センター長さん。ど、どうしたんですか!」
驚いたようにスマホを取りながら、彼女は目を覚ます。
そしてしばらく止木と廻屋の顔を交互に見つめていた。
「え、えぇ……どうしてセンター長とジャスミンさんがここにいるんですか? えっ、ここ病院ですか? 一体どうして……私……」
「う、うそ……あざみー?」
「どうしたんですか、ジャスミンさん。私……」
「あ、あざみー! あざみー、あざみーなの? 良かったぁ……もう、会えないかと思ったのに。心配したんだから……」
「えぇっ。ど、どういうことですか……!? え、えっと……」
「……おかえり、あざみー」
「えっ!? ……えへ。た、ただいまです、ジャスミンさん」
如月歩は。
いや、福来あざみは飛びついてくる止木をしっかり抱き留めると、くすぐったそうに笑う。
その姿を見て、廻屋も笑っていた。
「いいじゃないですか。新生・都市伝説解体センターとして、また三人で都市伝説案件を受けましょう。それが……きっと、正しく意志を引き継ぐという事にもなるのでしょうから」
いずれ、その時が来るまで、しばらくそんな夢を見ていてもいいだろう。
廻屋は、再会した二人の姿を暖かく見つめていた。
※※※
如月努の事務所にあった資料や本、ノートなどは改めて整理され、この部屋は廻屋渉の研究室を兼ねた「都市伝説解体センター」として来年度から活動する予定なのだという。
「いいんですか、こんなことを大学でして」
「そういうサークル活動だと思えば、別にいいんじゃないですか? それに、学長にも話を通してありますから」
室内を片付けながら、廻屋と止木はそんな他愛もない話をする。
オカルトや民俗学の本から毒物などに至るまで様々な本が並んでいるため雑多な印象があるが、長机に資料が置きっぱなしになっていた頃と比べれば部屋らしくなっただろう。その扉を、福来あざみが開けた。
「お、遅れてすいません! あっ、もう片付け終わってるんですね」
「もー、遅いあざみー。こっちは大体終わっちゃったよ」
「ご、ごめんなさい。授業がいっぱいで……あ、私お茶入れますから!」
わたわたと動き出す福来あざみ。
彼女は、GR事件前後の記憶をほとんど失っているのだという。
ただ、犬神大学の学生であるという事は憶えていたし、都市伝説解体センターにて、GR事件の首謀者を追い詰めた所まではぼんやりと認識しているようだ。
そういった記憶は如月歩がもっていったまま眠ってしまったから、彼女が思い出すことがあるのかはわからない。もし思い出したとしても、それがいつになるかもわからない。
だが、今はきっとそれでいいのだろう。
如月歩が、福来あざみが、自分の運命を受け入れるまで、もう少し。
「それでは、今日から都市伝説解体センター本部を、犬神大学に置く事にします。ジャスミン、福来さん。これからよろしくお願いしますよ」
もう少しだけ、夢を見ていよう。
都市伝説解体センターが、どこかで怪異の存在を特定し解体する。そんな世界の夢を。
夢見ることは、悪い事ではないのだから。
※※※
車椅子を軋ませ一人、如月努のノートを眺める廻屋渉のもとに一人の男が現れた。
「いま、ちょっといいかしら?」
「えぇ、かまいませんよ」
男の名は富入。公安の人間で、止木からすると上司にあたる。
「確認したいことがあるのよね。あなたのこと」
「そうですか。ご自由にお話ください。返事をするかどうかは、わかりませんけど」
静かにページをめくる廻屋を、富入はじっと見つめる。
「7年前……天誅事件はターゲットを誤認し、殺害に至ってしまったのが原因だったそうね。だったら、本当のターゲットは誰だったのかしら? 私人逮捕系の配信者だった彼らは、あの公園に来る予定だった誰かを狙っていたのでしょう?」
「そうですね。最も、彼らは勝手な憶測で相手を狙っていたようですから、狙われていた相手が本当に犯罪者だったかはわかりませんが」 「そ
の通りよ。実際、当時狙った人物は別段犯罪者ってわけじゃなかったの。ただ、とある学校の学長と血縁関係があり、学園の金を私的流用しているとか、コネクションを使って立場を得ているなんて噂が流れていたようね。何だったかしら……そう、上級国民。SNSで嫌われる上級国民だった人物が、当時のターゲットだったそうよ」
「そうだったんですか。それでは、狙われた方も気の毒ですね」
「だけど、その人物は来なかった……正確には、来れなかったのよね。7年前のその時、交通事故に巻き込まれて意識不明の重体になったそうだから」
廻屋はページをめくる手をとめ、天を仰ぐ。
「そのようです。それから、意識不明の状態が長く続き……目が覚めた時は、足が動かない身体になってました。その上、親友で理解者である如月努が犯人にされていた」
「……どうやらご存知のようね、あの時、5・ソサエティが狙っていた人物のこと」
「えぇ。犬神大学学長の息子である私……廻屋渉。当時、彼らが狙っていたのは私だったはずです。あの日、私はそれがわかった上で、公園に向かうつもりだった。彼らがいかに愚かしいことをしているか、しっかり言い聞かせるつもりでした。私も……まだ若かったんですよ」
「だが、あなたは行けず、彼らは取り違え殺人を犯した」
「えぇ、全て私の愚かしさが招いた行為です……私が軽率でなければきっと、事件はおこっていなかった」
富入は、姿勢を正す。カツンと革靴が乾いた音をたてた。
「悔いているの? だから利用したのかしら。自責の念に耐えられず、他者を呪い恨むことでしか己の感情を逃がすことができなかった如月歩の気持ちを」
廻屋は静かに目を閉じる。
「あなたは、もっとずっと以前から如月歩の居場所を知っていたんじゃない? その気になれば、如月努の手紙を手渡すのはもっと早くから出来ていた。あの手紙があれば、彼女があんな悪事に手を染める事もなく過ごせたんじゃないの? あなたは……あなたは、如月歩を利用したの?」
富入は矢継ぎ早に続ける。
「それとも、如月努への復讐をあなたも望んでいたの? 自分の身体ではもう不可能になったけど、如月歩の才知があれば必ず復讐を成し遂げると。そう思って、彼女の心に寄り添うのをわざとやめ、突き放すように見ていただけだったの? あなたにとって如月努は親友だもの。それを殺した相手が闇に葬られた悲しみや苦悩は理解できる。だけど、それは彼女の人生を利用する理由にならないわ。それとも、5ソサエティがまだ自分を狙うんじゃないかという恐怖心があったのかしら。以前と比べて足が不自由になったぶん、命を狙われた時のリスクは高い。そういう憂いを断ちたかったの?」
もし、あるいは、でも。すべて仮定の話だ。
だが立場上、富入は疑ってしまうのだろう。
「さぁ、どうでしょう。ご想像にお任せします、といいたいところですが……あなたには、お世話になりましたから一つだけお答えします」
「あら、話をしてくれるの? いったい何を隠しているのかしら」
「如月努の、手紙です。止木さんに渡したもの。あれは、私が誂えたものです。如月努の文体と筆跡を模して私が書いたものですよ」
「な、なんですって。そ、それじゃぁ……如月努の手紙なんて残していなかったというの? それとも……」
「さぁて……」
廻屋は顔を上げて笑う。
「ご想像に、お任せしますよ」
その笑顔はまるで底のない穴のように、色のない暗さに満ちていた。
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