インターネット字書きマンの落書き帳
ガスマスク山田という概念
都市伝説解体センターって公式がぜんぶ二次創作を読んでそうですよね!(偏見)
それはさておき、普通の山田ガスマスクを書きました。
普通じゃない山田ガスマスクがあるのか?
……さぁ?(知らないね)
山田ガスマスクという腹を見せない男が、自分と似たタイプの腹を見せない男と一緒に仕事をするだけの話ですよ。
オリジナル概念の「山田より年上で腹の底を見せないフリー編集者の某か」が出ます。
それはさておき、普通の山田ガスマスクを書きました。
普通じゃない山田ガスマスクがあるのか?
……さぁ?(知らないね)
山田ガスマスクという腹を見せない男が、自分と似たタイプの腹を見せない男と一緒に仕事をするだけの話ですよ。
オリジナル概念の「山田より年上で腹の底を見せないフリー編集者の某か」が出ます。
『名を消す男』
始発の電車がようやく走り始めた頃、まだ日も昇りきらず街全体がぼんやりとした薄明かりの中にある。男は街灯と自販機をたどるように歩きながら、待ち合わせの公園へと向かっていた。
T市Y公園にある大時計の下。
待ち合わせは確かこの場所だったはずだ。
男は腕時計を見る。予定時間より30分ほど早く到着していたが、男にとってはそれこそが予定通りだった。
誰かと外回りになる仕事をする時は常に早く到着しておく。
たったそれだけの事でも、相手に「待たしてしまった」というわずかな引け目を感じさせる事ができれば儲もので、こうして無意識に着せた恩が積み重なれば、次の仕事の縁を結んだりもするものだ。
それが、長年B級やアングラなんて言われる業界でフリーの編集者として身を立てている男が自然と身につけた処世術だった。
さて、待ち合わせした相手はまだ来ていないだろうか。来ていなければすぐに見つけられる場所で、スマホに入った電子書籍の積ん読山を少しは崩しておきたいのだが。
そんな事を考えながら辺りを見渡せば、そこにすでに彼はいた。
きっちり整えた髪型にオーバーサイズのパーカーを着た青年は、細身で猫背なこともあり本来の身長よりやや小柄に見える。
まさか、自分より先に来ているとは。
この業界は時間にルーズな人間が多く、待ち合わせに30分以上遅刻してくる手合いも珍しくないのだが、時間にキッチリしているタイプなのだろうか。あるいは、自分と同じような手段を処世術の一つとしてすでに身につけているのかもしれない。
どちらにしても、神経質で思慮深いタイプの人間に多い行動だ。これで仕事にプライドや矜持を抱くタイプだと記事の質やら仕事のやりがいなどを理由にさして金にならない案件でもダラダラと仕事を続けてなかなか片が付かない事態にもなりかねないのだが、彼の場合はどうだろうか。
仕事なんてとっとと片付けて、出来るだけ余暇を楽しみたいと思うタイプなら良いのだが。
「山田さん。待ちましたか、山田さん」
男は不安と億劫さを覆い隠すよう普段より大きめの声で、目的の人物へ声をかけた。
男は青年より一回りほど年上だったが、相手の年齢関わらず敬称をつけて呼ぶのを当たり前にしている。これは、自分の仕事にプライドがあるタイプの手合いや常に周囲からチヤホヤされるのを当然とする手合いとトラブルを避けるため、男が当たり前にしている行動の一つだった。中には敬語をつかうことで格下に見る相手もいるが、そういった相手は一回目に受けた仕事より良い案件をもってくることはほとんど無いので、次からは相手にしない。仕事と付き合いをふるいに掛けるのに、敬語というのは実に扱いやすい試金石だったのだ。
「……山田さん」
だが、山田は自分が呼ばれているのに気付いていないのか、手持ち無沙汰な様子でスマホを眺めるばかり。こちらの声に気付いた様子はない。まだ距離があるから呼ばれているのが自分だというのに気付いてないのだろうか。それにしても、反応が鈍い気がする。まさか、人違いをしているのだろうか。
「山田ガスマスクさん、ですよね」
そばに行き、少し声を大きくして読んだ時、青年はわずかに目を見開いて驚いたようにこちらを向いた。そして、ばつが悪そうな顔をしながら、こちらの顔をのぞき見る。
「えぇっと、すいませんでした。今日一緒に仕事をする予定の、T出版の……」
やはりそうだ、この「山田ガスマスク」という人間は、自分の名前が山田ガスマスクだということにまだ慣れていない。
ガスマスクが本名ではないのは当然のことだが、ありがちな山田という名字のほうも本名と無縁なのだろう。語呂がいいからつけたか、急に名乗る必要があった時に仮に名乗った名前を今でもつかっているに違いない。呼ばれ慣れている名前であれば、もっと早くに気付いているはずだからだ。
だが、男はあえてそこを詮索するのはやめておくことにした。
男は心霊やオカルトといった類いの、いわばB級と言われる本作りに多く関わっているフリーの編集者で、ニッチ業界やアングラと言われる世界で長らく糊口をしのいでいる身だ。この業界で本名を名乗らない人間などゴロゴロいる。こんな界隈で名前を知られたくない、といった者が多いからだ。最近売り出し中の若手ライターである彼もまた、何かしら理由があり名前を変えたばかりでまだ自分の筆名に馴染んでいないのだろう。
男は少し思案して、それから穏やかに笑って見せた。
「いいですよ、私のことは編集さんとでも呼んでください。先日会ったばかりで名刺も交換してませんでしたから、まだ名前を覚えてないですよね」
「すいません、不躾な真似をして。フリーになってまだ間もないから色々と準備が後手になってしまって」
「気にしないでください。こちらこそ、今回の突発的な企画を請け負ってくれてありがとうございます。担当ライターが夜逃げして行方知れずなんて案件を回すような失礼な真似をしてるのはこちらなので、どうぞお気になさらず。他人の尻拭いみたいな仕事を投げてしまったんですから偉そうなこと言えませんし、今回だけの仕事になるかもしれませんから、わざわざ私の名前なんて覚えなくてもいいですよ」
「いえ、そういうワケには……」
「別にいいんですよ。そもそも私は編集として関わってますが、あまり表に名前は出さない人間なんです。名前なんて記号ですから、お互い呼んでわかる名前で充分なんですよ。あなたもそうなんじゃないですか、山田さん」
男の言葉に、山田は少し困ったような顔をして曖昧に頷いた。
やはり、山田ガスマスクというのは筆名であり本名とは無縁の名なのだろう。山田という名字も、本名とは無関係のありふれた名字だからつけたに違いない。
ライターとして顔の出るような仕事をする時は必ずガスマスク姿をしているのも、素顔をあまり見られたくないからだろう。
山田とは今回、先に語ったライター夜逃げの件から突発的にコンビを組む事になった相手ではあるが、仕事をする相手のことを何も知らないというのは失礼だろうと思った男は事前に彼の経歴を調べていた。
今まで扱っていた案件はネット上に流れた噂の検証からゲテモノ系の特殊な食べ物を出す店の食レポといわゆるB級ネタを主とした内容ばかり。心霊や怪異などを取り扱ったオカルト案件も何度か受けているので、抜けた穴としては申し分ない人物だ。
常にガスマスクを付けた見た目のインパクトと淡々としながらも切れ味の鋭い視点から、ライターとしてデビューが浅いとは思えない程にこなれた印象がある。
元々は複数人のチームで動画配信をしており、その頃は素顔で活動していたという。
端正な顔立ちから一定のファンも得ていたと聞いているが、同時に当時は迷惑系配信者やら不謹慎系動画を主に扱っていた関係で賛否両論ある活動もしていたようだ。
何年か前にリーダー格の人物が起業したあたりをきっかけにチームは解散し、それからは各々が個人で活動をしているといった話だが、件のメンバーのなかで配信者時代と名前を変え、容姿を隠し、配信からも距離を置き全くの別業種で活動をしているのはこの山田と、起業したリーダー格の黒沢の二人だけのようだ。
SNSなどで話題になった時も配信者だった頃の活動に触れた事はないあたり、配信者はあくまで学生時代の戯れで社会人になった今はフリーライターとして己の腕一本でやってみる気になったのかもしれない。
彼と会うまではそう思っていたが、実際本人を見てきっと違うのだろうとぼんやりとした確証を得ていた。
山田が過去に扱った記事を見てみたが、彼ほど辣腕家ならB級ライターの活動だけではなく、もっと大きな仕事をとり大きなスクープを扱えるだけの才知もあるはずだ。B級やアングラ界隈で嘘の報道をでっち上げずとも自分の目と足で得た情報で大事件をすっぱ抜けるだけの知識も情報網もある。
だが、今の彼の活動はあくまで日銭を稼ぐための最低限の生活費と、時々お気に入りのカフェで何もせずぼんやりと過ごす事ができればそれで充分といった程度の仕事しか受けていないようだ。興味の沸いた仕事にしか首を突っ込むこともなく、また気乗りしない相手と組むこともあまり無いようだ。
意図して大きな功績をあげず、都会の雑踏に隠れ潜むようにして生きるような立ち振る舞いをしているのは明白だろう。
彼は、有名人になりたいワケでもなければ野心があるわけでもない。
目立たず、息をひそめて暮らすのが何よりも大事なのだ。
「すいません、じゃぁ……編集さん、でいいですか」
口では申し訳なさそうにしているが、山田青年はこちらをうかがうような視線を向ける。
男がどんな人間なのか推し量りかねているのだろう。
元より周囲の人間など誰一人信頼してはいないのだが、一緒に仕事をする相手が敵になるような人間ではないか。敵になったとしても、相手にする必要もない小物であれば捨て置けるのだが。そんな心配の色がわずかに見えるあたり、やはりまだ年若い青年だ。
男は敵意もなければ山田の境遇に何ら興味がない、というアピールをするようなるべく無害に見える笑顔を浮かべた。
「えぇ、それで結構ですよ。行きますかガスマスクさん」
「……山田でいいですよ。流石に移動の時はガスマスクしてないんで」
「それでは、山田さん。そろそろ出ましょう、現場はここから電車で2時間ほどかかりますから」
男はスマホで地図を開きながら、山田と並んで歩き出す。
すると山田から話し始めた。
「編集さんから事前に資料を頂いてるんでネットで出来る下調べだけはしておきましたけど、心霊スポットになってるラブホテルの廃墟で撮影と、その記事を書くのが目的ですよね」
「はい、その通りです。過去に実際に事件があり、そのせいで経営が回らなくなったため夜逃げした……という経緯なので、廃墟のなかでは当時の品がかなり沢山残されているようです。心霊スポット紹介の形になると思いますが、色々とモノが置いてあるタイプの廃墟ですからわざわざ写真を加工しなくても充分いい素材になると思いますよ」
そうでない、がらんどうの廃墟や樹木に覆われ草だらけでろくに中に立ち入れないような心霊スポットの場合、多少は写真に加工をしたり存在しなかった霊現象を大げさに掻き立てる必要があるのだが、この現場はそこまでする必要はない。
過去に事件があったという事実を添えれば充分すぎるくらいの内容になるので、実質写真をとりにいくようなものだ。
「そうみたいですね……事件も調べました。内容が結構エグい事件みたいですね」
「えぇ。その点は凄惨な事件、という事で濁しておきましょう。実際の事件内容に立ち入りすぎると、オカルト系の読者はかえって引くんですよ。オカルトってファンタジーですから、現実に人の生き死にが関わってくる話よりにおわせている方が楽しんでくれますから」
「ふぅん……そういうもんなんですね。あぁ、一応聞いておきますけど、撮影許可は?」
山田の質問に対し、男は曖昧に笑う。それを見ただけで、彼は委細承知したようだ。
「……ま、何か言われたら道路から撮影したからとでも言えばいいですからね」
全てを説明せずともわずかに聞いて理解するのは、アングラな世界を心得ているのもあるがそれ以上に彼自身が聡明なのだろう。
同時に、男の内部にあるどこか捨て鉢な心持ちを抱いているのがはっきりと見てとれた。
彼ほど頭が切れるのなら、わざわざフリーにならずとも一般企業の就職だって出来ていたはずだろう。どこか他人を見下すような所作こそ鼻につくが、実際に社会に出て人前で立ち回れば尖った性格を隠して潜み上司へのおべっかから同僚、後輩のフォローまで何でもこなせる立ち回りなどもできるはずだ。
だが、彼はそうしなかった。
まるで自分の居場所が、光の中にはないように望んで闇へと転がってきたのだ。
名を変えて、その端正な顔を隠し、華々しい実績であるはずの配信者の世界にもすがらなかった理由は、察するに余りある。
過去というのもはひた隠しにしてもどこからか漏れ出て、いずれ露わとなること。そして露わとなる時は、己にとって最も栄華を極めている時だということを彼は心得ているのだろう。
そのように転落するのなら、最初から高いところになど登らなければいい。
低い所から己を欺き、高みに登っていった他の連中や登ろうと足掻く連中などをぼんやりと眺めていることを、彼は選んだのだろう。
男は、その心境を理解できた。
何故なら男もまた、本当の名を名乗れば好奇の視線を向けられ、あれこれ過去を邪推される立場だったからだ。
「えぇ、そうですね。捨て置かれて随分経つ場所ですが、警察に見つかって説教されるのはゴメンですから目立つことは避けましょう。そこまでする程金になる仕事でもないですから」
「まったくその通りですよ……旅費と交通費が出ていなければ、僕だってこんな仕事してません」
「夜逃げしたライターのぶんをキャンセルしてキャンセル料をとられるのが勿体ないと思って、お声がけしたくらいの所がありますからね。山田さんはあまり気負わず、C県にある海の幸と一泊旅行を楽しむくらいの気持ちで来てくださいよ。あそこは、料理の味付けはぼんやりして名物も特にないんですが、魚の鮮度だけはいいですから」
いずれ罪が這いよりその背を掴むのならば、今は一時でも楽しいことをしていよう。
どれほど重い咎を背負っていても、すでにこの男はそれを一生のものとして受け入れる道を選んでいるのだから、それくらいはいいだろう。
この業界は、とりわけそういう人間が多いのだから。
男の言葉に、山田の表情も幾分かは和らぐ。
どうやら少なくとも、こちらに敵意がなくまた今後も敵意を示すつもりは「いまのところ」ないということを察してくれたようだ。
「そうですか。それなら、本当に気楽にやらせてもらいますよ。とはいえ、写真と、記事のPRはしっかりやらせてもらいますよ。SNSのPRは任せてください、一応それなりにファンが多い方なんで」
「ありがとうございます。私はSNSに関してはシロウトで……自分のアカウントはもっているんですけど、ほとんど稼働してない状態で……」
「そうですか? 僕がちょっと宣伝しましょうか。すぐに1000人くらい増えますよ」
「いえ、流石にオジサンの日常がいきなり1000人に見られるのは恥ずかしいので……」
「ははッ……そんなに気負わなくてもいいのに。SNSは見られているようで、そこまで見られていませんよ
男の言葉に、山田はクスクスと笑う。
その笑顔だけは、まだ年相応の青年らしいあどけなさを残していた。
始発の電車がようやく走り始めた頃、まだ日も昇りきらず街全体がぼんやりとした薄明かりの中にある。男は街灯と自販機をたどるように歩きながら、待ち合わせの公園へと向かっていた。
T市Y公園にある大時計の下。
待ち合わせは確かこの場所だったはずだ。
男は腕時計を見る。予定時間より30分ほど早く到着していたが、男にとってはそれこそが予定通りだった。
誰かと外回りになる仕事をする時は常に早く到着しておく。
たったそれだけの事でも、相手に「待たしてしまった」というわずかな引け目を感じさせる事ができれば儲もので、こうして無意識に着せた恩が積み重なれば、次の仕事の縁を結んだりもするものだ。
それが、長年B級やアングラなんて言われる業界でフリーの編集者として身を立てている男が自然と身につけた処世術だった。
さて、待ち合わせした相手はまだ来ていないだろうか。来ていなければすぐに見つけられる場所で、スマホに入った電子書籍の積ん読山を少しは崩しておきたいのだが。
そんな事を考えながら辺りを見渡せば、そこにすでに彼はいた。
きっちり整えた髪型にオーバーサイズのパーカーを着た青年は、細身で猫背なこともあり本来の身長よりやや小柄に見える。
まさか、自分より先に来ているとは。
この業界は時間にルーズな人間が多く、待ち合わせに30分以上遅刻してくる手合いも珍しくないのだが、時間にキッチリしているタイプなのだろうか。あるいは、自分と同じような手段を処世術の一つとしてすでに身につけているのかもしれない。
どちらにしても、神経質で思慮深いタイプの人間に多い行動だ。これで仕事にプライドや矜持を抱くタイプだと記事の質やら仕事のやりがいなどを理由にさして金にならない案件でもダラダラと仕事を続けてなかなか片が付かない事態にもなりかねないのだが、彼の場合はどうだろうか。
仕事なんてとっとと片付けて、出来るだけ余暇を楽しみたいと思うタイプなら良いのだが。
「山田さん。待ちましたか、山田さん」
男は不安と億劫さを覆い隠すよう普段より大きめの声で、目的の人物へ声をかけた。
男は青年より一回りほど年上だったが、相手の年齢関わらず敬称をつけて呼ぶのを当たり前にしている。これは、自分の仕事にプライドがあるタイプの手合いや常に周囲からチヤホヤされるのを当然とする手合いとトラブルを避けるため、男が当たり前にしている行動の一つだった。中には敬語をつかうことで格下に見る相手もいるが、そういった相手は一回目に受けた仕事より良い案件をもってくることはほとんど無いので、次からは相手にしない。仕事と付き合いをふるいに掛けるのに、敬語というのは実に扱いやすい試金石だったのだ。
「……山田さん」
だが、山田は自分が呼ばれているのに気付いていないのか、手持ち無沙汰な様子でスマホを眺めるばかり。こちらの声に気付いた様子はない。まだ距離があるから呼ばれているのが自分だというのに気付いてないのだろうか。それにしても、反応が鈍い気がする。まさか、人違いをしているのだろうか。
「山田ガスマスクさん、ですよね」
そばに行き、少し声を大きくして読んだ時、青年はわずかに目を見開いて驚いたようにこちらを向いた。そして、ばつが悪そうな顔をしながら、こちらの顔をのぞき見る。
「えぇっと、すいませんでした。今日一緒に仕事をする予定の、T出版の……」
やはりそうだ、この「山田ガスマスク」という人間は、自分の名前が山田ガスマスクだということにまだ慣れていない。
ガスマスクが本名ではないのは当然のことだが、ありがちな山田という名字のほうも本名と無縁なのだろう。語呂がいいからつけたか、急に名乗る必要があった時に仮に名乗った名前を今でもつかっているに違いない。呼ばれ慣れている名前であれば、もっと早くに気付いているはずだからだ。
だが、男はあえてそこを詮索するのはやめておくことにした。
男は心霊やオカルトといった類いの、いわばB級と言われる本作りに多く関わっているフリーの編集者で、ニッチ業界やアングラと言われる世界で長らく糊口をしのいでいる身だ。この業界で本名を名乗らない人間などゴロゴロいる。こんな界隈で名前を知られたくない、といった者が多いからだ。最近売り出し中の若手ライターである彼もまた、何かしら理由があり名前を変えたばかりでまだ自分の筆名に馴染んでいないのだろう。
男は少し思案して、それから穏やかに笑って見せた。
「いいですよ、私のことは編集さんとでも呼んでください。先日会ったばかりで名刺も交換してませんでしたから、まだ名前を覚えてないですよね」
「すいません、不躾な真似をして。フリーになってまだ間もないから色々と準備が後手になってしまって」
「気にしないでください。こちらこそ、今回の突発的な企画を請け負ってくれてありがとうございます。担当ライターが夜逃げして行方知れずなんて案件を回すような失礼な真似をしてるのはこちらなので、どうぞお気になさらず。他人の尻拭いみたいな仕事を投げてしまったんですから偉そうなこと言えませんし、今回だけの仕事になるかもしれませんから、わざわざ私の名前なんて覚えなくてもいいですよ」
「いえ、そういうワケには……」
「別にいいんですよ。そもそも私は編集として関わってますが、あまり表に名前は出さない人間なんです。名前なんて記号ですから、お互い呼んでわかる名前で充分なんですよ。あなたもそうなんじゃないですか、山田さん」
男の言葉に、山田は少し困ったような顔をして曖昧に頷いた。
やはり、山田ガスマスクというのは筆名であり本名とは無縁の名なのだろう。山田という名字も、本名とは無関係のありふれた名字だからつけたに違いない。
ライターとして顔の出るような仕事をする時は必ずガスマスク姿をしているのも、素顔をあまり見られたくないからだろう。
山田とは今回、先に語ったライター夜逃げの件から突発的にコンビを組む事になった相手ではあるが、仕事をする相手のことを何も知らないというのは失礼だろうと思った男は事前に彼の経歴を調べていた。
今まで扱っていた案件はネット上に流れた噂の検証からゲテモノ系の特殊な食べ物を出す店の食レポといわゆるB級ネタを主とした内容ばかり。心霊や怪異などを取り扱ったオカルト案件も何度か受けているので、抜けた穴としては申し分ない人物だ。
常にガスマスクを付けた見た目のインパクトと淡々としながらも切れ味の鋭い視点から、ライターとしてデビューが浅いとは思えない程にこなれた印象がある。
元々は複数人のチームで動画配信をしており、その頃は素顔で活動していたという。
端正な顔立ちから一定のファンも得ていたと聞いているが、同時に当時は迷惑系配信者やら不謹慎系動画を主に扱っていた関係で賛否両論ある活動もしていたようだ。
何年か前にリーダー格の人物が起業したあたりをきっかけにチームは解散し、それからは各々が個人で活動をしているといった話だが、件のメンバーのなかで配信者時代と名前を変え、容姿を隠し、配信からも距離を置き全くの別業種で活動をしているのはこの山田と、起業したリーダー格の黒沢の二人だけのようだ。
SNSなどで話題になった時も配信者だった頃の活動に触れた事はないあたり、配信者はあくまで学生時代の戯れで社会人になった今はフリーライターとして己の腕一本でやってみる気になったのかもしれない。
彼と会うまではそう思っていたが、実際本人を見てきっと違うのだろうとぼんやりとした確証を得ていた。
山田が過去に扱った記事を見てみたが、彼ほど辣腕家ならB級ライターの活動だけではなく、もっと大きな仕事をとり大きなスクープを扱えるだけの才知もあるはずだ。B級やアングラ界隈で嘘の報道をでっち上げずとも自分の目と足で得た情報で大事件をすっぱ抜けるだけの知識も情報網もある。
だが、今の彼の活動はあくまで日銭を稼ぐための最低限の生活費と、時々お気に入りのカフェで何もせずぼんやりと過ごす事ができればそれで充分といった程度の仕事しか受けていないようだ。興味の沸いた仕事にしか首を突っ込むこともなく、また気乗りしない相手と組むこともあまり無いようだ。
意図して大きな功績をあげず、都会の雑踏に隠れ潜むようにして生きるような立ち振る舞いをしているのは明白だろう。
彼は、有名人になりたいワケでもなければ野心があるわけでもない。
目立たず、息をひそめて暮らすのが何よりも大事なのだ。
「すいません、じゃぁ……編集さん、でいいですか」
口では申し訳なさそうにしているが、山田青年はこちらをうかがうような視線を向ける。
男がどんな人間なのか推し量りかねているのだろう。
元より周囲の人間など誰一人信頼してはいないのだが、一緒に仕事をする相手が敵になるような人間ではないか。敵になったとしても、相手にする必要もない小物であれば捨て置けるのだが。そんな心配の色がわずかに見えるあたり、やはりまだ年若い青年だ。
男は敵意もなければ山田の境遇に何ら興味がない、というアピールをするようなるべく無害に見える笑顔を浮かべた。
「えぇ、それで結構ですよ。行きますかガスマスクさん」
「……山田でいいですよ。流石に移動の時はガスマスクしてないんで」
「それでは、山田さん。そろそろ出ましょう、現場はここから電車で2時間ほどかかりますから」
男はスマホで地図を開きながら、山田と並んで歩き出す。
すると山田から話し始めた。
「編集さんから事前に資料を頂いてるんでネットで出来る下調べだけはしておきましたけど、心霊スポットになってるラブホテルの廃墟で撮影と、その記事を書くのが目的ですよね」
「はい、その通りです。過去に実際に事件があり、そのせいで経営が回らなくなったため夜逃げした……という経緯なので、廃墟のなかでは当時の品がかなり沢山残されているようです。心霊スポット紹介の形になると思いますが、色々とモノが置いてあるタイプの廃墟ですからわざわざ写真を加工しなくても充分いい素材になると思いますよ」
そうでない、がらんどうの廃墟や樹木に覆われ草だらけでろくに中に立ち入れないような心霊スポットの場合、多少は写真に加工をしたり存在しなかった霊現象を大げさに掻き立てる必要があるのだが、この現場はそこまでする必要はない。
過去に事件があったという事実を添えれば充分すぎるくらいの内容になるので、実質写真をとりにいくようなものだ。
「そうみたいですね……事件も調べました。内容が結構エグい事件みたいですね」
「えぇ。その点は凄惨な事件、という事で濁しておきましょう。実際の事件内容に立ち入りすぎると、オカルト系の読者はかえって引くんですよ。オカルトってファンタジーですから、現実に人の生き死にが関わってくる話よりにおわせている方が楽しんでくれますから」
「ふぅん……そういうもんなんですね。あぁ、一応聞いておきますけど、撮影許可は?」
山田の質問に対し、男は曖昧に笑う。それを見ただけで、彼は委細承知したようだ。
「……ま、何か言われたら道路から撮影したからとでも言えばいいですからね」
全てを説明せずともわずかに聞いて理解するのは、アングラな世界を心得ているのもあるがそれ以上に彼自身が聡明なのだろう。
同時に、男の内部にあるどこか捨て鉢な心持ちを抱いているのがはっきりと見てとれた。
彼ほど頭が切れるのなら、わざわざフリーにならずとも一般企業の就職だって出来ていたはずだろう。どこか他人を見下すような所作こそ鼻につくが、実際に社会に出て人前で立ち回れば尖った性格を隠して潜み上司へのおべっかから同僚、後輩のフォローまで何でもこなせる立ち回りなどもできるはずだ。
だが、彼はそうしなかった。
まるで自分の居場所が、光の中にはないように望んで闇へと転がってきたのだ。
名を変えて、その端正な顔を隠し、華々しい実績であるはずの配信者の世界にもすがらなかった理由は、察するに余りある。
過去というのもはひた隠しにしてもどこからか漏れ出て、いずれ露わとなること。そして露わとなる時は、己にとって最も栄華を極めている時だということを彼は心得ているのだろう。
そのように転落するのなら、最初から高いところになど登らなければいい。
低い所から己を欺き、高みに登っていった他の連中や登ろうと足掻く連中などをぼんやりと眺めていることを、彼は選んだのだろう。
男は、その心境を理解できた。
何故なら男もまた、本当の名を名乗れば好奇の視線を向けられ、あれこれ過去を邪推される立場だったからだ。
「えぇ、そうですね。捨て置かれて随分経つ場所ですが、警察に見つかって説教されるのはゴメンですから目立つことは避けましょう。そこまでする程金になる仕事でもないですから」
「まったくその通りですよ……旅費と交通費が出ていなければ、僕だってこんな仕事してません」
「夜逃げしたライターのぶんをキャンセルしてキャンセル料をとられるのが勿体ないと思って、お声がけしたくらいの所がありますからね。山田さんはあまり気負わず、C県にある海の幸と一泊旅行を楽しむくらいの気持ちで来てくださいよ。あそこは、料理の味付けはぼんやりして名物も特にないんですが、魚の鮮度だけはいいですから」
いずれ罪が這いよりその背を掴むのならば、今は一時でも楽しいことをしていよう。
どれほど重い咎を背負っていても、すでにこの男はそれを一生のものとして受け入れる道を選んでいるのだから、それくらいはいいだろう。
この業界は、とりわけそういう人間が多いのだから。
男の言葉に、山田の表情も幾分かは和らぐ。
どうやら少なくとも、こちらに敵意がなくまた今後も敵意を示すつもりは「いまのところ」ないということを察してくれたようだ。
「そうですか。それなら、本当に気楽にやらせてもらいますよ。とはいえ、写真と、記事のPRはしっかりやらせてもらいますよ。SNSのPRは任せてください、一応それなりにファンが多い方なんで」
「ありがとうございます。私はSNSに関してはシロウトで……自分のアカウントはもっているんですけど、ほとんど稼働してない状態で……」
「そうですか? 僕がちょっと宣伝しましょうか。すぐに1000人くらい増えますよ」
「いえ、流石にオジサンの日常がいきなり1000人に見られるのは恥ずかしいので……」
「ははッ……そんなに気負わなくてもいいのに。SNSは見られているようで、そこまで見られていませんよ
男の言葉に、山田はクスクスと笑う。
その笑顔だけは、まだ年相応の青年らしいあどけなさを残していた。
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