インターネット字書きマンの落書き帳
いずれ付き合う二人の話(松ガス/BL)
平和な世界線でいずれ付き合う松田×山ガスの話をしようと思ったから……します!
(ここまで元気な挨拶)
とはいえラブラブ・イチャイチャ描写は一切ないですね。
サツバツ・ドライ描写しかないですが、俺がBLといっているからBLです。
どこか自分の人生に対して投げやりで、行きずりの男とかマチアプで出会った男に抱かれるような刹那な日々を送っている山ガスと、そんな彼を何となく放っておけない松田……。
みたいな話をしますよ。
特にネタバレはないと思うけど、クリアした人向けコンテンツだぞ♥
クリアした後に、見えないものを見ようとしていこうな♥
(ここまで元気な挨拶)
とはいえラブラブ・イチャイチャ描写は一切ないですね。
サツバツ・ドライ描写しかないですが、俺がBLといっているからBLです。
どこか自分の人生に対して投げやりで、行きずりの男とかマチアプで出会った男に抱かれるような刹那な日々を送っている山ガスと、そんな彼を何となく放っておけない松田……。
みたいな話をしますよ。
特にネタバレはないと思うけど、クリアした人向けコンテンツだぞ♥
クリアした後に、見えないものを見ようとしていこうな♥
『月の無い夜は星も見えない』
月の無い夜でも都会の居酒屋は喧騒に包まれている。
どこかでグラスが倒れる音がしたかと思えばごめんなさいと幾度も頭を下げる声の元に店員らしい人物がタオルをもって小走りで近づいていく。だが他の客は誰もそんなアクシデントがあった事すら気付いていないように、各々が好きな話をしていた。
大半が仕事の愚痴なのだろう。酒が入って幾分か気が大きくなっているのか、下品な言葉で口さがなく喚いている姿は滑稽を通り越して無様であったが、周囲の人間はその無様さを当然のように受け入れている。
やけに賑やかに思えるのは、今が春先で歓迎会をする企業が多いからだろう。
飲み会に誘うタイプのコミュニケーションは飲みにケーションと揶揄され、社員と飲み会をする事で親睦を深める交流は現代ではアルコールハラスメント呼ばれ毛嫌いされる傾向にあるのだが、それでも会社終わりに打ち上げだったり歓迎だったりと酒席に誘う風習は根強く残っている。
特に古い慣習が残る中小企業などは、酒や会食が嫌いな性分でも出なければコミュニケーション不足の役立たずなんてレッテルが貼られるのだろう。
山田はそんなこと思いながら、グラスについた結露を眺めていた。
まだ2杯目のレモンサワーだが、あまり飲む気になれないのは周囲の喧騒だけではないだろう。
「それでさ、確か山田くんって言ったっけ? 本当、綺麗な肌してるよねぇ……色白で、清潔感があるタイプっていうのかな。そういうの、嫌いじゃないよ」
隣に座る男は、しきりに山田へ話しかけてくる。
顔立ちも整っているし、背丈も高くいかにも堅い職業が好む服装から、エリートサラリーマンのように見えるし、実際その通りなのだろう。靴も時計も上等な品を身につけていた。話し方も巧みで、男相手でも口説き慣れているのがはっきりとわかった。
年の頃なら、黒沢優弥と同じくらいだろう。
そう思っている自分に気付き、山田は静かに首を振る。
過去の男の影を重ねるのはよくないと思ったからだが、どうせ一夜だけ遊ぶ相手なのだからそれでもいいかと思い直した。
相手にそういう趣味があるのなら、思い切り黒沢の名前を呼びながら抱かれるのも面白いかもしれない。
氷が溶けて幾分か薄くなったレモンサワーを傾ければ、男はもう当然というように山田の腰に腕を回していた。
「……この後、いいだろ? なに、悪いようにはしないからさ」
男はそう告げ、優しい笑みを向ける。
マッチングアプリで知り合った名前も知らない男だ。独身だといっていたが、既婚者なのかもしれないし恋人がいるのかもしれない。だがそんなことどうだっていいし、どうでもいい。一時的に肌を重ね、唇を貪り、乱暴に扱われ身も心も蹂躙されている時だけ、自分の内にある黒い感情を忘れる事ができたから、今日もそうしてもらうだけだ。
「ん……そうだね。でも、ちょっと悪い事されたほうが嬉しいかな。僕ね……乱暴にされるほうが、好きなんだ」
男は目を細くして山田を見る。
「偶然だね。俺もそのほうが嬉しいんだ。でも、俺は本当に乱暴にするし、ボロボロになるかもしれないけど、大丈夫かな?」
「大丈夫。というか、そうされたい気分なんだよね」
山田は曖昧に笑うと、手にしたサワーを一気に飲み干す。完全に酔ってしまったらできる事もできなくなるから、この位が頃合いだろう。
男はすでに待ちきれない様子で山田の耳に触れ、どこか陰湿に笑う。
彼のようなエリートの仮面を被っている男は、嗜虐的な人間が多い。きっと山田の望む通りかそれ以上の傷を残してくれるだろう。
そう思った、その時。
「あ……」
リュックの紐を引けば、スマホが光っているのがわかる。見れば松田から、メッセージが届いていた。届いた言葉は至ってシンプルなもので。
「おう、山田元気しとるか」
「お前はなんか、時々ムチャクチャなことしよるから心配でしゃーないわ」
「ヤケになって妙な真似せんと、何か困った事があったら俺に言うんやで。何だって聞いたるからな」
ただそれだけだったが、それだけだったからこそ山田を正気に引き戻すには充分だった。
冷や水をぶっかけられたように精神が冷めていき、自分のしようとしている事が矮小で卑しい事のように思えてくる。
「……あー、ごめんお兄さん。僕、今日ちょっとダメかも。別にあなたがダメって訳じゃなくて、僕が無理になっちゃったからごめんね」
山田は肩に掛けるタイプのリュックを背負うと、今日の飲み代半分を置いて立ち去ろうとする。
だが、男はそれを許さなかった。
「何言ってんだよここまで来て。待てよ」
店を出た後、男は山田の首根っこを掴むと強引に路地裏まで引きずっていく。
嫌だ、やめてと声をあげれば男はかえって喜んでいるようだった。
都心はどこいでも人がいる。凄まじく人通りが多いとはいえ、狭い路地に入れば見ている人間などほどんどいなくなる。
男は山田の頬を強かに殴ると、勢いに変えかねた山田はそのまま後ろにあるゴミ捨て場で尻もちをついた。
「お前さぁ、俺の誘いを断るとか一体何様だと思ってんだよ」
苛立たしな口調は、山田の気変わりに対しての明確な怒りだった。この男、これまで誘った相手に断られた事がなかったのだろう。そこで山田のように地味な男からお断りを出されたので怒っているに違いない。
わかっていたからこそ、山田は特に抵抗しなかった。
もし仮に抵抗したところで、背丈も体つきも相手の方が上だ。下手に逃げて余計な怒りを与えるより、このまま好きなだけ殴らせた方がいいと思ったからだ。
だが、理解し納得しても痛いものはかわらない。
顔も殴るし身体を容赦なく蹴飛ばして、倒れた所で頭まで踏むのは手加減すら知らないようだった。
あー、これ……死んじゃうかもしれないな。
血に濡れたシャツを眺めながら、山田はただぼんやりとそう思っていた。殺されるかもしれない。そう思っていてもなお冷めた心でいたのは、自分など死んでもいいと心のどこかで思っていたのかもしれない。
このままつまらない罪悪感に縛られ、物音に怯え自身の罪に怯えて生きているのなら、誰かに殺されて気の毒がられる死に方をするのも悪くない。
自然と笑みがこぼれる山田を、男は訝しげに見ていた。
「おいおい、お前笑ってんのか? 酷くされるのが好きだとか言ってたが、ただ殴られただけで興奮するほどのマゾ犬だってのかよ、気持ち悪いな」
「ははッ……そうだよ。僕たちは、気持ち悪い生き物なんだよ。それでいいじゃないか……でも、笑ってるのは別に殴られるのが好きってわけじゃない。ただ、そう……死ぬならこんな日がいい、そう思っただけかな」
空を見上げても、星一つ見えない。都会の歓楽街からネオン看板などが消え去って久しいが、それでも爛々と輝く蛍光灯や看板の光は日中のように明るく、普段よりずっと星を遠くに感じさせた。 あぁ、死ぬならこんな日がいい。 男に散々殴られ、蹴られ、身体中がボロ雑巾のようにズタズタになって床に倒れ伏す山田の耳に。
「テメェら、何やっとんのじゃボケが!」
今、一番聞きたくない男の声が届いた。
しばらく怒号が飛び去り、少しの暴力の後路地裏はしぃんと静まりかえる。
半ば意識を手放していた山田の頬を、知っている男が手のひらで拭った。
「おい、山田。大丈夫だったか?」
自分の前に座り、心配そうにこちらの様子をのぞき込むのは紛れもなく松田の顔だ。
散々殴られ蹴り飛ばされて痛みから意識が朦朧としているのもあって、死ぬ前の幻覚かとさえ思う。だが、ハンカチを取り出し血を拭う感触と身体中を冷やす夜風がまだ、ここは現実で死後の世界や幻覚などではないという事を山田に知らせた。
「ガイドの奴から、知らない男に引っ張られていくお前を見たっちゅーて連絡があってな。あいつ、皿洗いのバイト中で手が離せないからって俺にわざわざメッセージを送ってきおったんや。ほんま、酷いツラしてるで。お前、頭えぇんと違うか? 何でそんなに他人(ひと)のこと怒らせとんねん」
あぁ、だから来てきれたのか。
まさかさっき飲んでいた店にあの時のツアーガイドがいたとは思わなかったが、どうやら死に損なったようだ。
「別に、松田サンには関係ないでしょ」
「助けてもらっておいて、関係ないもクソもあるかい」
「勝手に助けたんだから偉そうにしないでくんない? ……あー、でも、一応……ありがと。正直、死んじゃうかと思ったから」
松田は山田の胸元にハンカチを投げつける。悪態をつけるほど元気になったのなら、傷は自分で抑えろというのだろう。
見ればハンカチは随分と血で汚れていた。
「アホなこと言うなや。死んだら事件になるやろ。おまえのせいで今の兄ちゃんが人殺しになったら可哀想やないか」
「えー、僕の心配じゃなくて殴った相手の心配するの酷くない?」
「酷いもクソもあるか。お前が死にたがりなのは別にえぇ。でも、それで人を巻き込むのはやめーや」
つまり、死ぬなら誰にも迷惑をかけず一人で死ね、ということか。
ハンカチで額を抑え、まとまらない思考を投げ出してぼんやりと地べたに座り込む山田を見る松田の表情が、わずかに緩む。
「巻き込むなら俺にしとけ。俺やったら、お前の話くらいナンボでも聞いたる。お前の相手ならナンボでもしたる。お前が死にたいっちゅーんなら、そないな事せんように考えたるし、それでもアカンかったら一緒に……そう、してやってもえぇ。だからなぁ……俺の見てないところで、勝手にいなくなろうとすんなや」
松田が当然のように告げた言葉は、山田にとって一番欲しい言葉であり、だが絶対に得られないと思っていた言葉だった。
それは松田も同じだったのだろう。言ってから照れくさそうに頭を掻くと。
「あー、つまりアレや。あんまり何でもかんでも一人で背負うな、ちゅーことや。わかったか? わかったならほら、立て。その顔じゃ電車に乗れへんやろ。タクシーで送ってってやるから。何も心配すんな、貸しにしといたるからな」
誤魔化すように早口でまくし立て、山田の方に手を伸ばす。山田はその手をどこか熱っぽくなりぼんやりする頭で握るも、上手く立ち上がれないため結局松田に抱き支えられる形で立たされた。
顔だけじゃなく、身体中の痛みが思い出したように吹き出てくる。
その場で崩れ落ちそうになる山田の身体をしっかり支えると、松田は自分の胸に顔を埋めさせるように抱き留めた。
「フラッフラやないけ。立てないんか?」
「う、うん……」
「当たり所が悪かったんかもなぁ。一応、病院行っとこか?」
「だ、大丈夫。一日様子見て本当にマズかったら行くから。それより、松田サン。そんな風にしたら、スーツ汚れちゃうよ?」
「そないなこと、お前が気にする事ちゃうやろ。ほら、行くで。家に帰ったら赤チン付けてやるから染みても泣いたらアカンで」
「なに? 赤チンって……ホント、松田さん……」
優しすぎて、好きになってしまう。
自分が巻き込んでしまった人なのだ。自分なんかが好きになっては、いけない人なのに。
言葉を詰まらせる山田の頭を、松田は強く抱きしめる。
スーツごしからわずかに感じる松田の鼓動と温もりを確かめながら、山田は彼の腕に全てを委ねた。
愛してはいけない人なのはわかっている。
だからせめて、一瞬の温もりを求めるのだけは許してほしい。
夜空の下に抱かれた密かな願いは、誰も知る事はない。
その日は月も、星も見えぬ夜だった。
月の無い夜でも都会の居酒屋は喧騒に包まれている。
どこかでグラスが倒れる音がしたかと思えばごめんなさいと幾度も頭を下げる声の元に店員らしい人物がタオルをもって小走りで近づいていく。だが他の客は誰もそんなアクシデントがあった事すら気付いていないように、各々が好きな話をしていた。
大半が仕事の愚痴なのだろう。酒が入って幾分か気が大きくなっているのか、下品な言葉で口さがなく喚いている姿は滑稽を通り越して無様であったが、周囲の人間はその無様さを当然のように受け入れている。
やけに賑やかに思えるのは、今が春先で歓迎会をする企業が多いからだろう。
飲み会に誘うタイプのコミュニケーションは飲みにケーションと揶揄され、社員と飲み会をする事で親睦を深める交流は現代ではアルコールハラスメント呼ばれ毛嫌いされる傾向にあるのだが、それでも会社終わりに打ち上げだったり歓迎だったりと酒席に誘う風習は根強く残っている。
特に古い慣習が残る中小企業などは、酒や会食が嫌いな性分でも出なければコミュニケーション不足の役立たずなんてレッテルが貼られるのだろう。
山田はそんなこと思いながら、グラスについた結露を眺めていた。
まだ2杯目のレモンサワーだが、あまり飲む気になれないのは周囲の喧騒だけではないだろう。
「それでさ、確か山田くんって言ったっけ? 本当、綺麗な肌してるよねぇ……色白で、清潔感があるタイプっていうのかな。そういうの、嫌いじゃないよ」
隣に座る男は、しきりに山田へ話しかけてくる。
顔立ちも整っているし、背丈も高くいかにも堅い職業が好む服装から、エリートサラリーマンのように見えるし、実際その通りなのだろう。靴も時計も上等な品を身につけていた。話し方も巧みで、男相手でも口説き慣れているのがはっきりとわかった。
年の頃なら、黒沢優弥と同じくらいだろう。
そう思っている自分に気付き、山田は静かに首を振る。
過去の男の影を重ねるのはよくないと思ったからだが、どうせ一夜だけ遊ぶ相手なのだからそれでもいいかと思い直した。
相手にそういう趣味があるのなら、思い切り黒沢の名前を呼びながら抱かれるのも面白いかもしれない。
氷が溶けて幾分か薄くなったレモンサワーを傾ければ、男はもう当然というように山田の腰に腕を回していた。
「……この後、いいだろ? なに、悪いようにはしないからさ」
男はそう告げ、優しい笑みを向ける。
マッチングアプリで知り合った名前も知らない男だ。独身だといっていたが、既婚者なのかもしれないし恋人がいるのかもしれない。だがそんなことどうだっていいし、どうでもいい。一時的に肌を重ね、唇を貪り、乱暴に扱われ身も心も蹂躙されている時だけ、自分の内にある黒い感情を忘れる事ができたから、今日もそうしてもらうだけだ。
「ん……そうだね。でも、ちょっと悪い事されたほうが嬉しいかな。僕ね……乱暴にされるほうが、好きなんだ」
男は目を細くして山田を見る。
「偶然だね。俺もそのほうが嬉しいんだ。でも、俺は本当に乱暴にするし、ボロボロになるかもしれないけど、大丈夫かな?」
「大丈夫。というか、そうされたい気分なんだよね」
山田は曖昧に笑うと、手にしたサワーを一気に飲み干す。完全に酔ってしまったらできる事もできなくなるから、この位が頃合いだろう。
男はすでに待ちきれない様子で山田の耳に触れ、どこか陰湿に笑う。
彼のようなエリートの仮面を被っている男は、嗜虐的な人間が多い。きっと山田の望む通りかそれ以上の傷を残してくれるだろう。
そう思った、その時。
「あ……」
リュックの紐を引けば、スマホが光っているのがわかる。見れば松田から、メッセージが届いていた。届いた言葉は至ってシンプルなもので。
「おう、山田元気しとるか」
「お前はなんか、時々ムチャクチャなことしよるから心配でしゃーないわ」
「ヤケになって妙な真似せんと、何か困った事があったら俺に言うんやで。何だって聞いたるからな」
ただそれだけだったが、それだけだったからこそ山田を正気に引き戻すには充分だった。
冷や水をぶっかけられたように精神が冷めていき、自分のしようとしている事が矮小で卑しい事のように思えてくる。
「……あー、ごめんお兄さん。僕、今日ちょっとダメかも。別にあなたがダメって訳じゃなくて、僕が無理になっちゃったからごめんね」
山田は肩に掛けるタイプのリュックを背負うと、今日の飲み代半分を置いて立ち去ろうとする。
だが、男はそれを許さなかった。
「何言ってんだよここまで来て。待てよ」
店を出た後、男は山田の首根っこを掴むと強引に路地裏まで引きずっていく。
嫌だ、やめてと声をあげれば男はかえって喜んでいるようだった。
都心はどこいでも人がいる。凄まじく人通りが多いとはいえ、狭い路地に入れば見ている人間などほどんどいなくなる。
男は山田の頬を強かに殴ると、勢いに変えかねた山田はそのまま後ろにあるゴミ捨て場で尻もちをついた。
「お前さぁ、俺の誘いを断るとか一体何様だと思ってんだよ」
苛立たしな口調は、山田の気変わりに対しての明確な怒りだった。この男、これまで誘った相手に断られた事がなかったのだろう。そこで山田のように地味な男からお断りを出されたので怒っているに違いない。
わかっていたからこそ、山田は特に抵抗しなかった。
もし仮に抵抗したところで、背丈も体つきも相手の方が上だ。下手に逃げて余計な怒りを与えるより、このまま好きなだけ殴らせた方がいいと思ったからだ。
だが、理解し納得しても痛いものはかわらない。
顔も殴るし身体を容赦なく蹴飛ばして、倒れた所で頭まで踏むのは手加減すら知らないようだった。
あー、これ……死んじゃうかもしれないな。
血に濡れたシャツを眺めながら、山田はただぼんやりとそう思っていた。殺されるかもしれない。そう思っていてもなお冷めた心でいたのは、自分など死んでもいいと心のどこかで思っていたのかもしれない。
このままつまらない罪悪感に縛られ、物音に怯え自身の罪に怯えて生きているのなら、誰かに殺されて気の毒がられる死に方をするのも悪くない。
自然と笑みがこぼれる山田を、男は訝しげに見ていた。
「おいおい、お前笑ってんのか? 酷くされるのが好きだとか言ってたが、ただ殴られただけで興奮するほどのマゾ犬だってのかよ、気持ち悪いな」
「ははッ……そうだよ。僕たちは、気持ち悪い生き物なんだよ。それでいいじゃないか……でも、笑ってるのは別に殴られるのが好きってわけじゃない。ただ、そう……死ぬならこんな日がいい、そう思っただけかな」
空を見上げても、星一つ見えない。都会の歓楽街からネオン看板などが消え去って久しいが、それでも爛々と輝く蛍光灯や看板の光は日中のように明るく、普段よりずっと星を遠くに感じさせた。 あぁ、死ぬならこんな日がいい。 男に散々殴られ、蹴られ、身体中がボロ雑巾のようにズタズタになって床に倒れ伏す山田の耳に。
「テメェら、何やっとんのじゃボケが!」
今、一番聞きたくない男の声が届いた。
しばらく怒号が飛び去り、少しの暴力の後路地裏はしぃんと静まりかえる。
半ば意識を手放していた山田の頬を、知っている男が手のひらで拭った。
「おい、山田。大丈夫だったか?」
自分の前に座り、心配そうにこちらの様子をのぞき込むのは紛れもなく松田の顔だ。
散々殴られ蹴り飛ばされて痛みから意識が朦朧としているのもあって、死ぬ前の幻覚かとさえ思う。だが、ハンカチを取り出し血を拭う感触と身体中を冷やす夜風がまだ、ここは現実で死後の世界や幻覚などではないという事を山田に知らせた。
「ガイドの奴から、知らない男に引っ張られていくお前を見たっちゅーて連絡があってな。あいつ、皿洗いのバイト中で手が離せないからって俺にわざわざメッセージを送ってきおったんや。ほんま、酷いツラしてるで。お前、頭えぇんと違うか? 何でそんなに他人(ひと)のこと怒らせとんねん」
あぁ、だから来てきれたのか。
まさかさっき飲んでいた店にあの時のツアーガイドがいたとは思わなかったが、どうやら死に損なったようだ。
「別に、松田サンには関係ないでしょ」
「助けてもらっておいて、関係ないもクソもあるかい」
「勝手に助けたんだから偉そうにしないでくんない? ……あー、でも、一応……ありがと。正直、死んじゃうかと思ったから」
松田は山田の胸元にハンカチを投げつける。悪態をつけるほど元気になったのなら、傷は自分で抑えろというのだろう。
見ればハンカチは随分と血で汚れていた。
「アホなこと言うなや。死んだら事件になるやろ。おまえのせいで今の兄ちゃんが人殺しになったら可哀想やないか」
「えー、僕の心配じゃなくて殴った相手の心配するの酷くない?」
「酷いもクソもあるか。お前が死にたがりなのは別にえぇ。でも、それで人を巻き込むのはやめーや」
つまり、死ぬなら誰にも迷惑をかけず一人で死ね、ということか。
ハンカチで額を抑え、まとまらない思考を投げ出してぼんやりと地べたに座り込む山田を見る松田の表情が、わずかに緩む。
「巻き込むなら俺にしとけ。俺やったら、お前の話くらいナンボでも聞いたる。お前の相手ならナンボでもしたる。お前が死にたいっちゅーんなら、そないな事せんように考えたるし、それでもアカンかったら一緒に……そう、してやってもえぇ。だからなぁ……俺の見てないところで、勝手にいなくなろうとすんなや」
松田が当然のように告げた言葉は、山田にとって一番欲しい言葉であり、だが絶対に得られないと思っていた言葉だった。
それは松田も同じだったのだろう。言ってから照れくさそうに頭を掻くと。
「あー、つまりアレや。あんまり何でもかんでも一人で背負うな、ちゅーことや。わかったか? わかったならほら、立て。その顔じゃ電車に乗れへんやろ。タクシーで送ってってやるから。何も心配すんな、貸しにしといたるからな」
誤魔化すように早口でまくし立て、山田の方に手を伸ばす。山田はその手をどこか熱っぽくなりぼんやりする頭で握るも、上手く立ち上がれないため結局松田に抱き支えられる形で立たされた。
顔だけじゃなく、身体中の痛みが思い出したように吹き出てくる。
その場で崩れ落ちそうになる山田の身体をしっかり支えると、松田は自分の胸に顔を埋めさせるように抱き留めた。
「フラッフラやないけ。立てないんか?」
「う、うん……」
「当たり所が悪かったんかもなぁ。一応、病院行っとこか?」
「だ、大丈夫。一日様子見て本当にマズかったら行くから。それより、松田サン。そんな風にしたら、スーツ汚れちゃうよ?」
「そないなこと、お前が気にする事ちゃうやろ。ほら、行くで。家に帰ったら赤チン付けてやるから染みても泣いたらアカンで」
「なに? 赤チンって……ホント、松田さん……」
優しすぎて、好きになってしまう。
自分が巻き込んでしまった人なのだ。自分なんかが好きになっては、いけない人なのに。
言葉を詰まらせる山田の頭を、松田は強く抱きしめる。
スーツごしからわずかに感じる松田の鼓動と温もりを確かめながら、山田は彼の腕に全てを委ねた。
愛してはいけない人なのはわかっている。
だからせめて、一瞬の温もりを求めるのだけは許してほしい。
夜空の下に抱かれた密かな願いは、誰も知る事はない。
その日は月も、星も見えぬ夜だった。
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