インターネット字書きマンの落書き帳
死を思う山ガスと、死を託される松田の話(松ガス)
人間って、強いけど……脆いねぇ。(西園寺馨)
という訳で、「殺されたい」「殺してほしい」「殺すなら松田さんがいい」という、死を渇望する山ガスと
俺が殺してやりたい。
だけど、殺してやる意外に何かできることがあるなら、それをしてやりたい。
なんて甘い考えを抱いている松田の話をしますよ。
沈んでいる、底ったれにあるこの感情が、時々とても心地よいのです。
という訳で、「殺されたい」「殺してほしい」「殺すなら松田さんがいい」という、死を渇望する山ガスと
俺が殺してやりたい。
だけど、殺してやる意外に何かできることがあるなら、それをしてやりたい。
なんて甘い考えを抱いている松田の話をしますよ。
沈んでいる、底ったれにあるこの感情が、時々とても心地よいのです。
『本能に最も遠い楽園』
細い首を包み込むよう締め上げれば、薄っぺらい身体が弓なりにしなる。
最初は抵抗しまいと必死にシーツを握り絞めていた山田だったが、喉が潰され呼吸が苦しくなるに従い暴れ出し松田の腕を強く引っ掻いた。
ベッドのスプリングがギシギシと音をたて、山田の抵抗もますます激しくなる。
「殺して欲しい」
そう頼んだ相手でもやはり、いざ死を前にすると激しい抵抗を見せるのは人間が持つ希死念慮より肉体が、あるいは生命がもつ生存本能の方がよほど強いからだろう。
松田の腕は引っ掻き傷でズタボロになり、山田の爪もまた割れて血塗れている。
馬乗りになりしっかり身体を押さえつけていたはずだが、足を激しく動かして拘束から逃れたのを見て、松田は大きくため息をついた。
殺してくれといったのは山田自身だ。それは間違いない。
生に執着しない性分や刹那的な生活から、どこか投げやりな印象を抱いていたからそんな提案をされた時もさして驚かなかったのが正直なところだ。
むしろ、いとも容易く彼の希死念慮を受け入れ、殺してやろうと思い山田の殺人依頼をあっさりと受け入れた自分に驚いたくらいだ。
だが、失敗した。
ベッドから転がり落ち嘔吐くように息をつく山田を松田はぼんやりと眺めていた。
殺してやろうと思ったのは本心からだ。
山田がどうして自ら死を願っているのか、当人が語ろうとしないからこれ以上聞くつもりはない。 ただ、彼がもう一生、自分の生に満足することがないということだけはわかっていた。
すでに自分には生きる価値がないと思っているのだろうか。
死んで詫びたいような相手が存在するのだろうか。
ただ漫然と、30歳になる頃には死にたいと思っていたのだろうか。
推測することしか出来ない胸の内に思いを馳せ、松田は煙草をくわえた。
長らく禁煙していたのだが、山田と出会ってからまた吸うようになったのは自分もどこか生に対して諦念を抱いていたからだろう。
いかに自分が生を全うしても、もう誰も自分のことを信じてはくれない。
人殺しの男として、自分の怒りも制御できぬ悪党として世の中から見られるのが似合いでありそういう運命を背負って生きるのが自分の決められた人生なのだ。
漠然と抱いていた将来に対する不安が、山田と会ってから急速に現実味を帯びてきた。
そして今の松田はいっそ、人殺しとして汚名を雪ぐ機会が二度とないのであれば、自らの意志で目的をもった殺人をするのも悪くないと、そうとさえ考えるようになっていたのである。
山田が死を望み、死ぬことでしか幸福にたどり着けないと思っているのならなおさらだ。
散々餌付いてからようやく呼吸が整ってきた山田に、煙草の煙を吹き付けた。
「何や、死にたいいうた割りには随分暴れるやないか。見てみい、腕がボロッボロやで。どないしてくれるんや、これ」
山田は焦点の定まらぬ目でしばらく松田を見ていたが、首を押さえながら身体ごと引きずるように近づくと傷だらけになった松田の傷を舌で舐る。
腕に残された傷を慈しむように。あるいは血を罪の味としてその身に受けるように静かに、丁寧に舐めとろうとする山田の肩を少し強めに突き放した。
「もうええわ、そないなことされても、何も嬉しゅうない」
突き放された山田はしばらく所在なさげに視線を彷徨わせていたが、自分の爪が割れ血が流れているのに気付いたようで、をの手を掲げぼんやりと眺めていた。
「何でだろうね。僕、本当に死にたいんだ。それは本当なんだ。でも……僕のなかの何がこんなに、生きたいと思うんだろう……」
別段、それは山田の意志ではない。
人間が本来もっている動物的な本能であり、それは人間の意志ごときでは制御できないものだ。
つまるところ、人間というのは死にたい気持ちより生きたい本能のほうがよほど強いのである。
自分の命を他人に委ねた時は、なおさら抵抗も激しくなるのだろう。
本気で死にたいと思ったのなら、思いつきのように松田へ「死にたい」と甘えるのではなく、計画をもち準備をすれば成し遂げることができるのだろう。
あるいは松田のように他人の死に躊躇がある人間ではなく、率先して人を殺したいと願っている者や、自殺者をきちんと殺すことに使命感を覚えるような人間に頼めばいいのだ。
世間ではそういう奴らを狂人や、犯罪者と呼ぶのだろうが、そう呼ばれる存在は他人の死に対して敬意や尊重は一切ない。
あるのは自己賛美と他責思考、あるいは自己欺瞞。自分は特別であるという壮大な勘違いだけだ。他人の死をアチーブメントのようにして語る相手なら、喜んで他者を死地に追いやるのだろう。
「しゃぁないやろ、人間ってのは思ったより丈夫なもんや。丈夫なんやけど、肝心なときには脆い。大概そういうもんやで」
くわえた煙草が短くなったので、携帯灰皿の中に乱暴に突っ込んでもみ消す。
本当に死にたいなら、自分で死ぬなり殺してくれる相手を探すなりしたらいいのだ。それがわかっていてあえて言わなかったのは、山田の思いを理解していたからだ。
「……僕は、殺されるなら松田さんに殺されたい」
割れた爪を舐りながら、山田は呟くように言う。 この言葉に嘘はないのだろう。
だが、思うこともある。
そないなこと言うて、もしお前のそばに黒沢ってヤツがおったんなら、そいつに殺してくれって頼むん違うか。
思っていた言葉を飲み込み、松田は新たな煙草を出した。
山田は今でも過去の男に縛られている。
黒沢という男に執着し、彼のために何か出来ないかと模索する様子もうかがえる。
二人が会うことはもうないだろうが、何かのきっかけで会うことになったら、山田はきっと黒沢にも同じ願いを告げるのだろう。
そんなことを考えても詮無き事なのだということくらい、松田にもわかっていた。
今の山田の立場では黒沢とは到底会えないのだから。
「俺も、いつかお前を殺してやりたいと思うとる。他の誰かにお前を殺されるくらいなら、俺がこの手で殺したい。せやけどなぁ……」
新しく火をつけた煙草から、一筋の煙が立ち上る。
「おまえが、死なんでも幸せになれる方法があるなら……お前が死ぬより先に、それ……見つけたいとも、思うとるで」
山田は、光のない目で松田を見つめる。
「優しいね、松田サン」
そして口角を僅かにあげる、普段見せる作り笑いを浮かべた。
「青い鳥みたいに、近くにあればいいんだけど」
割れた爪をいじりながら、誰に聞かせるともなく呟く。
幸せの青い鳥は近くにいた。どういう物語か知らないが、ただそのフレーズだけは覚えている。 松田は目を閉じると、深く煙を吐き出した。
どうかその幸せが、死に至ることだけではありませんように。
薄暗い夜も、程なくして夜が明ける。
窓の外から一瞬だけ、青い鳥が飛び去ったように見えたのはきっと気のせいだったろう。
細い首を包み込むよう締め上げれば、薄っぺらい身体が弓なりにしなる。
最初は抵抗しまいと必死にシーツを握り絞めていた山田だったが、喉が潰され呼吸が苦しくなるに従い暴れ出し松田の腕を強く引っ掻いた。
ベッドのスプリングがギシギシと音をたて、山田の抵抗もますます激しくなる。
「殺して欲しい」
そう頼んだ相手でもやはり、いざ死を前にすると激しい抵抗を見せるのは人間が持つ希死念慮より肉体が、あるいは生命がもつ生存本能の方がよほど強いからだろう。
松田の腕は引っ掻き傷でズタボロになり、山田の爪もまた割れて血塗れている。
馬乗りになりしっかり身体を押さえつけていたはずだが、足を激しく動かして拘束から逃れたのを見て、松田は大きくため息をついた。
殺してくれといったのは山田自身だ。それは間違いない。
生に執着しない性分や刹那的な生活から、どこか投げやりな印象を抱いていたからそんな提案をされた時もさして驚かなかったのが正直なところだ。
むしろ、いとも容易く彼の希死念慮を受け入れ、殺してやろうと思い山田の殺人依頼をあっさりと受け入れた自分に驚いたくらいだ。
だが、失敗した。
ベッドから転がり落ち嘔吐くように息をつく山田を松田はぼんやりと眺めていた。
殺してやろうと思ったのは本心からだ。
山田がどうして自ら死を願っているのか、当人が語ろうとしないからこれ以上聞くつもりはない。 ただ、彼がもう一生、自分の生に満足することがないということだけはわかっていた。
すでに自分には生きる価値がないと思っているのだろうか。
死んで詫びたいような相手が存在するのだろうか。
ただ漫然と、30歳になる頃には死にたいと思っていたのだろうか。
推測することしか出来ない胸の内に思いを馳せ、松田は煙草をくわえた。
長らく禁煙していたのだが、山田と出会ってからまた吸うようになったのは自分もどこか生に対して諦念を抱いていたからだろう。
いかに自分が生を全うしても、もう誰も自分のことを信じてはくれない。
人殺しの男として、自分の怒りも制御できぬ悪党として世の中から見られるのが似合いでありそういう運命を背負って生きるのが自分の決められた人生なのだ。
漠然と抱いていた将来に対する不安が、山田と会ってから急速に現実味を帯びてきた。
そして今の松田はいっそ、人殺しとして汚名を雪ぐ機会が二度とないのであれば、自らの意志で目的をもった殺人をするのも悪くないと、そうとさえ考えるようになっていたのである。
山田が死を望み、死ぬことでしか幸福にたどり着けないと思っているのならなおさらだ。
散々餌付いてからようやく呼吸が整ってきた山田に、煙草の煙を吹き付けた。
「何や、死にたいいうた割りには随分暴れるやないか。見てみい、腕がボロッボロやで。どないしてくれるんや、これ」
山田は焦点の定まらぬ目でしばらく松田を見ていたが、首を押さえながら身体ごと引きずるように近づくと傷だらけになった松田の傷を舌で舐る。
腕に残された傷を慈しむように。あるいは血を罪の味としてその身に受けるように静かに、丁寧に舐めとろうとする山田の肩を少し強めに突き放した。
「もうええわ、そないなことされても、何も嬉しゅうない」
突き放された山田はしばらく所在なさげに視線を彷徨わせていたが、自分の爪が割れ血が流れているのに気付いたようで、をの手を掲げぼんやりと眺めていた。
「何でだろうね。僕、本当に死にたいんだ。それは本当なんだ。でも……僕のなかの何がこんなに、生きたいと思うんだろう……」
別段、それは山田の意志ではない。
人間が本来もっている動物的な本能であり、それは人間の意志ごときでは制御できないものだ。
つまるところ、人間というのは死にたい気持ちより生きたい本能のほうがよほど強いのである。
自分の命を他人に委ねた時は、なおさら抵抗も激しくなるのだろう。
本気で死にたいと思ったのなら、思いつきのように松田へ「死にたい」と甘えるのではなく、計画をもち準備をすれば成し遂げることができるのだろう。
あるいは松田のように他人の死に躊躇がある人間ではなく、率先して人を殺したいと願っている者や、自殺者をきちんと殺すことに使命感を覚えるような人間に頼めばいいのだ。
世間ではそういう奴らを狂人や、犯罪者と呼ぶのだろうが、そう呼ばれる存在は他人の死に対して敬意や尊重は一切ない。
あるのは自己賛美と他責思考、あるいは自己欺瞞。自分は特別であるという壮大な勘違いだけだ。他人の死をアチーブメントのようにして語る相手なら、喜んで他者を死地に追いやるのだろう。
「しゃぁないやろ、人間ってのは思ったより丈夫なもんや。丈夫なんやけど、肝心なときには脆い。大概そういうもんやで」
くわえた煙草が短くなったので、携帯灰皿の中に乱暴に突っ込んでもみ消す。
本当に死にたいなら、自分で死ぬなり殺してくれる相手を探すなりしたらいいのだ。それがわかっていてあえて言わなかったのは、山田の思いを理解していたからだ。
「……僕は、殺されるなら松田さんに殺されたい」
割れた爪を舐りながら、山田は呟くように言う。 この言葉に嘘はないのだろう。
だが、思うこともある。
そないなこと言うて、もしお前のそばに黒沢ってヤツがおったんなら、そいつに殺してくれって頼むん違うか。
思っていた言葉を飲み込み、松田は新たな煙草を出した。
山田は今でも過去の男に縛られている。
黒沢という男に執着し、彼のために何か出来ないかと模索する様子もうかがえる。
二人が会うことはもうないだろうが、何かのきっかけで会うことになったら、山田はきっと黒沢にも同じ願いを告げるのだろう。
そんなことを考えても詮無き事なのだということくらい、松田にもわかっていた。
今の山田の立場では黒沢とは到底会えないのだから。
「俺も、いつかお前を殺してやりたいと思うとる。他の誰かにお前を殺されるくらいなら、俺がこの手で殺したい。せやけどなぁ……」
新しく火をつけた煙草から、一筋の煙が立ち上る。
「おまえが、死なんでも幸せになれる方法があるなら……お前が死ぬより先に、それ……見つけたいとも、思うとるで」
山田は、光のない目で松田を見つめる。
「優しいね、松田サン」
そして口角を僅かにあげる、普段見せる作り笑いを浮かべた。
「青い鳥みたいに、近くにあればいいんだけど」
割れた爪をいじりながら、誰に聞かせるともなく呟く。
幸せの青い鳥は近くにいた。どういう物語か知らないが、ただそのフレーズだけは覚えている。 松田は目を閉じると、深く煙を吐き出した。
どうかその幸せが、死に至ることだけではありませんように。
薄暗い夜も、程なくして夜が明ける。
窓の外から一瞬だけ、青い鳥が飛び去ったように見えたのはきっと気のせいだったろう。
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