インターネット字書きマンの落書き帳
【新堂に片思いしている、という概念の荒井のはなし(BL)】
平和な世界線でいずれ付き合う新堂と荒井の話を虚空に向かってつぶやきつづける創作をしてます。(挨拶)
今回の話は、付き合う付き合わない云々の関係になる前の新堂と荒井です。
基本的に新堂は荒井のこと知らなかったし集会で初めて会ったはず、くらいの認識。
対する荒井は1年になって間もなく新堂の事知っているしその頃から一目惚れの片思いでずっと今まで過ごしている……。
そんな状態で、七不思議の集会で新堂と鉢合わせした荒井の話をしてますよ。
俺は同じシーンを別々の視点で書くのが好きなのでそのように……していますッ。
あと片思いで焦れているシーンが好きなので……それをっ、書きますッ……。
好きなもんを好きなように書いて生きていきたい。
そしてオレの好きなものをみんなも愛してください!
この概念はいずれ同人誌になるかもしれません。
今回の話は、付き合う付き合わない云々の関係になる前の新堂と荒井です。
基本的に新堂は荒井のこと知らなかったし集会で初めて会ったはず、くらいの認識。
対する荒井は1年になって間もなく新堂の事知っているしその頃から一目惚れの片思いでずっと今まで過ごしている……。
そんな状態で、七不思議の集会で新堂と鉢合わせした荒井の話をしてますよ。
俺は同じシーンを別々の視点で書くのが好きなのでそのように……していますッ。
あと片思いで焦れているシーンが好きなので……それをっ、書きますッ……。
好きなもんを好きなように書いて生きていきたい。
そしてオレの好きなものをみんなも愛してください!
この概念はいずれ同人誌になるかもしれません。
<Side A>
今度、学校新聞で怪談特集を組もうと思っているんだ。
確か新堂も怖い話は得意だったよな。
悪いが一つ、とびっきり怖い話を聞かせてくれないか。
新聞部副部長である日野貞夫に頼まれた新堂誠はホームルームが終わるとすぐ新聞部の部室へと向かった。
仮にもボクシング部の主将であり夏休みになれば最後の大会も控えている三年生という立場で練習を差し置いて日野の頼みを受けたのは期末テストの予想問題を準備するという約束を取り付けたからだろう。
日野の予想問題はよく当たる。教師の癖を理解した上でいかにも出そうな問題を作るから事前にその内容を頭にたたき込んでいるだけで赤点回避が確実というシロモノと言っても良い。勉強が苦手な新堂にとってテストで赤点を取らない保証が手に入るのは部を一日休む価値がある報酬になり得たのだ。
確かに一日休むというのは大会も迫っている今の時期で何かと不都合も多いのだが、もしテストで赤点をとれば補習になり部活にさえ出られなくなる可能性が高い。補習の数が増えれば増える程練習する時間は減っていくのだと思えば、今日一日を使って補習回避の勉強法を手に入れておくほうがずっと良い。新堂はそう判断したのだ。
それに、新堂自身も怖い話はかなり好きな方である。
子供の頃、夏休みに親戚の家へ遊びに行くと年上の従兄弟などが持っていた恐怖漫画やホラー特集をよく付き合いで見させられていたのだ。小さい頃は怖くて怯える新堂を従兄弟たちは茶化していたが段々と心霊特集を面白く感じるようになり、彼らの古いコレクションにあった心霊写真特集や妖怪特集、超能力や宇宙人など胡乱な話を見聞きするのが楽しみになっていた。
そして今、鳴神学園では過去に聞いた心霊や妖怪の知識は大いに役立っている。
危険な怪異や怪談が潜み不可解な事件が日常的におこる鳴神学園で、非常識と思える妖怪の対策や不条理とも思える怪異のルールを知っていたからこそ巻き込まれなかったという経験を新堂は何度かしてきたのだ。
殴れる人間相手なら多少のことはどうにでもなるが、怪異の類いは殴る事すらできない相手が多い。
世間ではただの娯楽である怖い話や心霊体験も鳴神学園では役に立つ知識になり得るのだから多く知っておいた方が何かと有利になるだろう。
新堂が怖い話をすすんで聞くようになったのも、もしもの時の対策という面が大きかった。
最も、鳴神学園で三年まで過ごしてわかった事は最初からそのような場所には近づかず巻き込まれないようにしたほうがいい、という至って当たり前の事と危険を察知したら誰かを犠牲にしてでもいち早くその場から逃げ出す方が生き残れる確率が高いという身も蓋もない事実ばかりだったワケだが。
ともかく、頼まれたからにはきちんと役目は果たすとしよう。
逆さ女、高木ババア、地獄の合宿所、空手部の神棚、鳴神学園にある怪異や部活にまつわる奇妙な噂ならいくつも聞いているし自分が体験した妙な生き物の話もいくつかある。
どの話をするかは決めていないが、日野の話だと聞き手はわざと極端に怖がりな一年生を指名したというから相手の様子を見てどの程度怖がらせるか測りながら話すとしよう。
約束の時間に遅れるのも悪いし放課後は他に予定もない、そう思ってすぐに向かったせいか部室は開いてこそいたがまだ誰も来てはいなかった。
「何だ、俺が一番乗りか。思ったより早く着いちまったな……」
他のクラスより早くホームルームが終わったのもあったからか、室内は誰も来ておらずひどく蒸し暑い。 新堂は椅子の上に荷物をおくと部室をぐるりと見渡した。
締め切った室内は湿度のせいで汗が滲むほど暑く、このままじっとしていたら熱中症になりそうだ。先に着いたのだから空調をつけて少しでも部屋を涼しくしようと部屋の様子を確認したが、どう見ても空調がついている様子はない。
鳴神学園はマンモス校だ、有象無象の部や同好会、研究会があり全ての文化部にわざわざエアコンなど支給していたら予算が足りないのだろう。
「まったく、エアコンも無ェのか。こんな暑い部屋だってのによ……」
新堂は呆れた顔をしながらシャツのボタンを外した。
鳴神学園でも室内競技を行える場所は空調がきくようになっている。当然、ボクシング部もだ。普段なら今頃練習場を冷やして涼しい風を浴び一段落してから練習に入っているのだが、文化部はこんなに暑い部屋で会議をしたり作業をしているのだろうか。
鳴神学園の新聞部は壁に貼る校内新聞の他にwebで読めるネット新聞も配信している文化部のなかでも比較的大所帯の部活だ。活動も熱心だし、作った新聞は大会で賞をとった事もあるはずだ。それだけの実績があってもこの扱いということは、文化部の活躍でもマイナーな部はそこまで重要視されていないということだろう。
青春時代に何に対して情熱を燃やすかは生徒たちの自由だ。
だがどの部活に費用をかけるかは学校の都合もある。
大人たちの事情に思いを馳せながら、新堂は安普請のパイプ椅子へとこしかけた。
スマホでも弄って時間を潰そう。そう思って鞄を開けたが西日が強くなってきたからか室内はますます暑くなる。こんな事なら冷たいジュースでも買ってきておくのだったと後悔し、まだ他に誰も来ていないし今から購買か自動販売機で何か買ってこようかとも思いはじめたのだが新聞部の部室から一番近い自動販売機までわざわざ階段を降りて一階まで行かなければいけないのだと思うとなかなか億劫だ。移動している最中に人が集まって遅刻扱いされるのも腹が立つ。
さてどうしようか考えているうちに部室のドアが開いた。
「あぁ……僕より先にもう来てる人がいたんですか」
現れたのは見覚えのない小柄な男だった。
新聞部で聞き手になる一年生は男にしては小柄な体格だと聞いていたから彼がその聞き手なのかと思ったが、上履きの色からすると二年生だろうから語り手の方だろう。
猫背で上目遣いのせいもありあまり小柄な身体はますます小さく見える。長い前髪で顔を隠しており、華奢な身体と蒼白の肌といった外見はいかにも怪談が得意そうに見えた。
これだけ広い学校だ。同学年でも顔をあわせない生徒が沢山いるというのに二年生にも顔見知りがいるとは、やはり日野は顔が広い。そんな事を思いながら男の様子を眺めていれば彼は静かな足取りで部屋へ入ると新堂の向かいへ腰掛けた。
何か話かけようか。自己紹介は皆が集まった時にしたほうがいいとは思うが挨拶くらいはしてもいいだろう。日野とはどんな知り合いなのか、新聞部の後輩か何かか。
あれこれ考えているうちに彼はスマホを取りだすとせわしなく指を動かしはじめた。向かいから画面は見えないが、恐らく誰かにメッセージでも送っているのだろう。家族に今日は遅くなるとでも伝えているのかもしれない。
見る限りあまり喋るのが好きなタイプでもなさそうだし、新堂は強面なのもあり大人しい生徒たちからは意味もなく怖れられたりするのを知っている。後輩に声をかけ怖がられるのも面倒だし、わざわざ話しかける必要もないだろう。そう思い直し、新堂は滲み出る汗を手の甲で拭った。
外は雲が立ちこめ気温は決して高くなかったが、新聞部は日当たりがやけにいい。強い西日のせいで室温はどんどん上がっていくような気さえした。
この暑さも窓を開ければ少しはマシになるだろうか。そう思い新堂は立ち上がると近くの窓を開けてみる。
梅雨時の湿った生ぬるい風が新堂の頬を撫で、やはり窓など開けても暑さはどうしようもないと思った。
「心気を砕いていただきありがとうございます」
窓を開けた新堂に対し、後に入って来た生徒はそう声をかけた。
シンキをクダク、と言ったような気がしたがどういう意味だろう。馬鹿にしている語調ではないが耳慣れない言葉に困惑する新堂を前に、彼は微かに笑ってみせた。
「いえ、お気遣いいただきありがとうございます。という意味です、窓を開けていただいたので……」
遠目で見た時はやけに長い前髪で気付かなかったが、近くで見ると随分と整った顔立ちをしている。中性的な美少年、という奴か。
あまりに均整のとれた顔立ちと長い睫毛をしているから、一瞬人形なのではと錯覚するほど彼の顔立ちは整って見えた。
「あぁ、そういう事か。悪いな勝手に開けちまって、ちょっとマシになるかと思ったんだが全然変わらねぇか」
不自然なほど綺麗な顔をもつ男を前に、新堂は一瞬引き込まれる。
普段からボクシング部ではけんかっ早い相手や粋がった不良崩れのような連中ばかりを相手にしていたし周囲にいる友人たちも小柄で中性的といった容姿をもつ相手がいなかったから彼の容姿は珍しく特別なものに思えてしまったのだ。
「そうですね、今日は湿度も高いですし風も入ってきませんから」
彼は柔らかな笑みを浮かべながら鞄を開けペットボトルを取り出すとそれを新堂へと差し出しす。艶やかな細い手はますます美しく思え、新堂は目の前にいる少年が本当に男なのか、それとも男装をした少女なのかわからなくなっていた。
「良かったらどうぞ」
差し出された手を眺め、新堂は改めて彼の姿を見据える。
やはり顔立ちは人形のように美しい、黒髪も艶があり表情もどこか蠱惑的ではあるが身体は男のそれだ。声だって随分と低い。男装した少女というワケでもなさそうだし、当然に人形の類いでもない。
「いいのか?」
「はい、一応買ったんですけれどもそれ程喉は渇いてないので……あなたは随分と暑そうですから」
だが何だろう、彼と話をしていると妙な気分になる。
自分の周囲にこういったタイプの男がいないのもあるだろうが、あまりにか弱く見える彼は男ではあるが自分の知る連中と同じように扱ったら簡単に壊れてしまうような、そんな気持ちを抱かせた。
「それじゃ、遠慮なくいただくぜ。ありがとな」
だからボトルを受け取る時も、つとめて優しく振る舞う。
彼に触れないよう、触れても壊さないよう普段より力を入れずに手を伸ばせば白い指先が僅かに触れた。
ボトルが冷えていたからか、それとも彼の体温が低いのか触れた指は随分と冷たく思え、眼前にある顔が中性的で人形のように見えたのもありやはり彼は幽霊なのではないかと思う。
だがすぐに足下で影が伸びている事や暑さのためか微かに頬が赤らんでいるのに気付き、幽霊ではなく人間だと思い直すのだ。
まったく、怖い話をしにきたのに目の前のただの人間を幽霊だと思うとは、知らずに緊張しているのか。それとも彼の雰囲気に当てられてしまったのだろうか。どちらにしても自分らしくない、この程度で揺らぐほど自分は弱くないはずだ。
それにしても、このどこか落ち着かない気持ちは何だろう。嫌ではないが、妙にくすぐったい気持ちになる。これから皆で揃って怖い話をする、という雰囲気とは少し違う気がするが調子が狂うのはいつもなら身体を動かしている時間にこんな場所で何もせずぼんやりと過ごしているせいだろうか。
そんな事を思いながら新堂はボトルを開ける。
冷えた水は心地よく梅雨時の湿った暑さを流してくれていた。
<Side B>
荒井、怖い話は得意だったよな。
もし良かったら、お前のもってる怖い話を一つ披露してもらえないか。
日野から唐突にそんな事を頼まれても特に断らなかったのは荒井昭二は恐怖に対する好奇心が人一倍強かったからだろう。
恐怖とは常に人間の死角からくるものだ。
人が何かを怖れる理由の一つは未知からくる恐怖であり、自分が何かに対し恐怖を覚える時はそれに対してまだ未知なる部分を感じているからだ。
そのように考えている荒井にとって恐怖心とは好奇心とほとんど同じものであり、自分の好奇心と知識欲を満たすため荒井は率先して怪異の調査を行っていた。当然、それで危険な目にもあっているし犯罪のような事に巻き込まれた事もあるが後悔は一切していない。
荒井にとって知識を得る事は自分の命より重要なことだった。
日野の言葉を信じるのであれば、この集会では鳴神学園でも屈指の恐怖を知る面々が集まるのだという。
この学校は元々怪異の噂が多く行方不明者や失踪者も後を絶たない。そんな鳴神学園において、三年間数多い調査と油彩をし自身も多くの怪異を目の当たりにしてきた日野が選りすぐりの恐怖を語れる生徒を集めたのだというから、どんな話が聞けるのか興味を抱くのは当然だ。
それに、荒井は日野に僅かだが弱みも握られている身でもある。
別に弱みを握られ脅されているような事はないのだが、彼に逆らえば色々と不利益が生じるという事もあり怪談を語る会という茶番のような企画に付き合う事にしたのだ。
とはいえ、元より人前に出るのはあまり好きではない性格だ。
日野がいったい何人の語り手を選んだかは知らないが他人を気遣いなれ合うように話すのも得意ではない。
なるべく遅くに出かけて他人と関わらないようにしようと思っていたのだが、そう思っている時にかぎって自分のクラスでは普段よりずっと早くホームルームが終わったりするのだから上手く行かないものである。
流石に今から部室に向かっても到着が早すぎる。少し寄り道をしようと思い、荒井は一度一階まで降りてペットボトルの水を買った。
グラウンドからは微かに人の声がする。他にも早くに終わったクラスがあり、運動部が練習をはじめたのだろうか。あるいは練習するための備品などを引っ張り出しているのかもしれない。そんな事を考えながら荒井は自然と武道場のある方へ視線を向けていた。
新堂誠はボクシング部の主将だ。
夏になれば最後の大会があり練習のためにもう部室に向かっているのだろうか。
いや、彼はあまり練習熱心ではない。程ほどの練習で最大の効率が出せればいい、なんて思っているところが見え隠れしているからきっとまだ練習はしてないだろう。部室に入ったらすぐに空調を入れ、涼しい風を受け一段落してからようやく練習をはじめるに違いない。
そんな事を考える自分に気づき、荒井は視線を手元へ向ける。
考えないようにしようといつも思っているのに自然と新堂のことを考えてしまう。人が雑多にいればどこかに居るのではないかと探してしまう。頭ではそんな事をしても無駄なのだとわかっていても身体が自然とそう動いてしまう、そんな自分が荒井は心底嫌であった。
嫌だというのに、このくすぐったいような心の痛みを心地よいと思えている自分がいるのだから尚更だ。
荒井が日野に握られている弱みとは、彼が新堂に恋い焦がれているという事だった。
日野と知り合ったのは1年生の頃だったろう。
旧日本軍が人体実験をしていたとか地下室に怨霊が封印されているといったに恐ろしい噂が飛び交う旧校舎を好奇心から調べていた時、同じように旧校舎の調査にきていた日野と鉢合わせをした時が初対面だったろう。
鳴神学園で多くの人脈を持ち知識も深い日野は荒井が心地よく会話できる数少ない存在であり、それから何度か顔をあわせ時には怪異の噂について語り、時には学校内でおこった事件について推測を巡らせるような仲になっていた。
『荒井、おまえ新堂のこと好きだよな?』
日野からそう告げられたのは、学校内で行方不明事件がありその現場を調査している最中だった。
調査とも事件とも全く関係のない不意打ちの質問に随分と驚いてすぐに次の言葉が出てこなかったのは今でもはっきりと覚えている。
当然、新堂への思いはこれまで誰にも口にしたことはない。
これからも誰かに告げるつもりもなくずっと胸にしまっておくつもりだった秘密を唐突に曝かれ、相当に焦りもあったろう。
『何を言ってるんですか日野さん。新堂さんなんて人、僕は知りませんよ』
とっさに出たのはそんな言葉だった。
生徒の数が多い鳴神学園なら同級生の顔だって全員覚えきれないのだから上級生の名前など知らなくても当然だろう。だから荒井がそう言うのも決して不自然なことではない。新堂は素行の悪さで有名な生徒でもあったが、鳴神学園では不良と呼ばれる生徒は多いのだから全てに注意をはらえなくとも不思議ではないはずだ。
だが日野はそれで確信したように笑っていた。
『でも、おまえのスマホ、パスコードは新堂の誕生日だろう』
何故知ってるのだ、指の動きで見られていたのだろうか。
『何でおまえがそんな単純なパスコード使っているんだろうって不思議だったんだが、まさか接点のない男の誕生日をパスコードにしてるとか思わないもんなぁ』
全くその通りだ。
普段だったらパスコードにする数字はもう少し工夫する。だがスマホのパスをいちいち面倒なルールで決めるのは億劫だったからよく使う番号は新堂の誕生日を利用していたのだ。
『知らない男の誕生日を偶然に使っていた、なんてことはないよな。そもそも知らない、ってのも嘘だろ。もし新堂のこと全く知らないなら、新聞部で運動部の特集がある時に限って学内のネット新聞をわざわざダウンロードして保存とかしないもんな。運動部の特集でも人気のサッカー部じゃなく、必ずボクシング部の記事がある時だけダウンロードしてるワケだし』
それも気付かれているのか。いや、油断していたのはこちらだろう。
まさか学校でダウンロードできるネット新聞の特定の記事をチェックされているとは思ってもいなかった。実際、普通はそんなことを調べる奴はいないだろう。何かしら不自然さを感じ取った日野が疑惑に思ったから調べたに違いない。
『それに荒井、決まって水曜日学食にいるよな。実は新堂もそうなんだよ、決まって水曜日は学食行くんだ。水曜日にだけ出るデザートメニューが目当てでな。ほら、あいつ甘いもの好きだろ? でも、お前もデザートメニューが目当てって事はないよな。おまえが水曜日にデザート頼んでるところ見たことないもんな』
流れるように語られ詰められ、最初に知らないといったのは完全に失敗だと思った。
実際、知らない訳ではないのだ。
まだ一年生だったころ、なにか部活でも入ろうかとボンヤリ考えていたときボクシング部の勧誘を受けたのが初対面だったろう。
一目惚れだ。見た瞬間に感じたことがない程心が乱され吸い寄せられるよう彼の立ち姿に見入っていたし、何を話したか覚えていないほど胸の鼓動がやかましく思えたのは生まれてはじめての経験だった。
その後に新堂誠という名前やボクシング部の部員だということ、中学時代におこした暴力沙汰で中学を退学していること、それが原因でスポーツ推薦は受けられず鳴神学園に入学していること……今でも決して素行はよくなく悪評の方が多いくらいだということは簡単に突き止めることができた。
調べてみればみるほど今まで荒井が接してきたタイプとは全く違う男だ。むしろ荒井が愚かしいと切り捨てて毛嫌いするタイプの人間だったろう。
叱られることがわかっていて自分から校則を破り、ギャンブル好きで金にはルーズ。一時の感情に飲まれて行動しその結果ひどい失敗をしている。斜に構えた性格だが家族仲は良好で普通に愛情を受け育った、甘ったれた性格。
どうしようもないクズだ。これから先の事など考えもせず流されて生きていくんだろう。知れば知るほどロクデナシだというのに、それを曝いても幻滅することはなくますます好意は膨れ上がっていた。
最初はぼんやりとした憧れが、今はもう恋慕の情に変わっているのも気付いている。
手をつないで一緒にいたいという純粋な思いだけではなく、キスやセックスも望んでるほど思いは強くなっているし新堂に抱かれる妄想で何度も自慰にふけっている。
新堂の事が好きだ。
その自分では抑えきれない感情を日野は完全に見抜いていたのだ。
誰にも探られないよう気取られないよう注意深く振る舞っていたというのに。いや、そのように振る舞っていたからこそ記者の探究心が強い日野は気付いてしまったのかもしれないが。
『なぁ荒井、新聞部で撮った新堂の写真、特別に融通してもいいぞ。そのかわり、おまえの力を貸してくれないか。お前は頭もいいし常に冷静でいられるからな、俺の出来ない調査を手伝ってほしいんだ』
そんな風に言われ、どうやったら断れるというのだろう。
荒井はもう従うしかないと覚悟を決めた。
とはいえ、日野は荒井に対してできないような無茶はさせなかったし非道な真似をさせるようなことはなかった。手伝えば見返りもくれたし、弱みを握っているからといって秘密を明かすから従え、とった風に脅すようなこともない。
あくまで対等に、友人として頼むというスタンスは崩さないまま今に至っているのだが、それでも日野に握られた弱みは絶大な効果があったと言えるだろう。
何も脅されていなくても、ただ弱みを握られているという事実があるだけで銃口を向けられているような気分であった。
今回の集会も強制はされなかったが、日野からの頼みは断れないという感情も大きかったろう。最も、断らないでいれば見返りとして自分では手に入れる事ができない新堂のプライベート写真を融通してもらえるのだからそこまで悪い取引でもないのだから、持ちつ持たれつの関係ではあるのだが。
「まだ早そうですけど、遅刻するワケにもいかないでしょうし。そろそろ行きますか」
スマホで時間を確認してから荒井は新聞部の部室へと向かう。
何の話をしようか。定番の学校怪談もいくつか知っているし、鳴神学園で出会った友人たちの話も面白いかもしれない。去年の夏休みに経験した話もある意味で怪談になり得るだろう。 いくつか事前に考えておいた話はあるから、あとは聞き役をつとめる相手に会わせて話を変えればいい。聞き手は怖がりだと日野は言っていたから様子を見て手心を加えていこう。
そう考え新聞部のドアを開けた荒井の目に飛び込んできたのは、新堂誠の姿だった。
「あぁ……」
荒井は思わず声をあげる。
事前に誰が来るかなんて確認はしていなかったがこの場に新堂がいるというのはどういうことだろう。荒井の思いを知っているのなら、語り手に新堂がいることは事前に教えてくれても良かったろうし、もし新堂がいるのを知っていたらきっと自分は来なかった。
もちろん、新堂が怪談話を得意にしているのは知っている。運動部の知り合いが多い彼は様々な部の怪異や幽霊話を聞いているし、彼自身が主将をつとめるボクシング部にも血なまぐさい噂があるのだから。
それにしたって今ここにいるのは完全に予想外だ。
日野も日野だ、新堂を呼ぶなら荒井にも声をかけてほしかったし、荒井の気持ちを知っている上で新堂を呼んだのならあまりに意地が悪い。
荒井は自分の気持ちなど一切伝えず、黙って彼の卒業を見送るつもりでいた。恋心なんてしょせん一時の気の迷いだと思っていたし、新堂が卒業すれば自然と気持ちもおさまっていくだろうと想像していたからだ。
だから荒井は新堂に認識されたくなかった。自分という生徒がこの学校にいる事も知られたくなかったし、知られないまま彼が卒業してくれれば良いと密かに願っていたのだ。
きっと日野は荒井がそう思っているのを知って、意図的に新堂を呼んだのだ。
「……僕より先に来ていた人がいたんですね」
とにかくまずい。少なくとも自分が新堂のことを知っているというのは悟られたくない。
新堂はきっと自分の事を知らないだろう。それだというのに自分が新堂のことを知っていたら流石に妙だと思うはずだ。荒井は視線を逸らすと俯いて、わざと新堂と目を合わさず彼と対面の席へと座った。
そして、座ってから後悔する。対面に新堂がいたら否が応でも目がいってしまう。変に視線を向けたら妙に思われるのではないか、気にされるのではないか、そんな風にも思うが、無意識に対面へ座ったのは彼を見ていたい意識があったからだろう。
普段は遠くからしか見られないし、鳴神学園では学年ごとに別の教室棟が準備されている。偶然学校ですれ違うなんてことはまずないのだからこのチャンスを逃したくない。
まったく、これだけ動揺しているというのに本心は正直なのだからやはり恋愛という感情はどうしようもない。自分自身の行動すら満足に制御できなくなるなど、感情が乱れ冷静さを失う自分を醜く情けないと思っている荒井にとって最も恥ずべき行為だった。
椅子にこしかけてすぐ、荒井はスマホを取りだし日野へとメッセージを飛ばした。
『日野さん、どういう事ですか。新堂さんが居るのは聞いてないんですけど』
抗議のつもりで飛ばしたメッセージにすぐに返信が入る。
『聞かなかっただろ、お前。まぁいいじゃないか、これを機会にアドレスでも交換しておけよ、新堂は気に入った相手なら色々と面倒見てくれるぞ』
この様子だと、やはり意図的に新堂を入れたのだ。荒井は内心舌打ちをする。
『騙し討ちじゃないですか。僕は新堂さんに知られたいと思ってません』
『そういうが、俺たちはあと9ヶ月で卒業だぞ。あれだけ健気に思ってるのに卒業しても顔も覚えてもらえないってのは寂しいだろうと思ってな。何かあっても残り9ヶ月、やり過ごせばいいって思えば気も楽だろう』
『そういう話じゃないんです。というか、今二人しか来てないんですけどまさか僕と新堂さんしかいないって事はないですよね』
『流石に俺だってそこまで酷な真似はしないさ。他の奴にも声をかけてあるからじきに来るだろう。というか、今二人だけなのか。貴重なチャンス、無駄にするなよ』
スマホごしに日野のニヤけた顔が浮かび腹が立ってくる。
旧校舎が取り壊しになるから怖い話を集めてる企画云々が荒井と新堂を引き合わせるためセッティングされたものではないだろうが、集会の語り部として新堂を入れたのは間違いなく荒井に対してのいらぬお節介というやつだ。
だが、わざと新堂を入れたのが明らかならこれ以上日野に文句を言っても無駄だろう。荒井が怒れば怒るほどきっと面白がるはずだ。
荒井は諦めスマホをしまうと、新堂が立ち上がり窓を開けているのに気付いた。
室内が暑いから風でも入れようと思ったのだろう。
「しん……」
新堂さん、ありがとうございます。
そう言いかけ、荒井はすぐまずいと思う。新堂のことを知っていると思われたくないのに彼の名前を言ってしまえば当然「どうして知っているんだ」という話になるだろう。
新堂なら「ボクシングで有名だから」とでも言えばごまかせるだろうが、そもそも知っていることを知られるのが恥ずかしい。
「心気を砕いていただきありがとうございます」
とっさに不自然にならぬよう言い直したが、良い言葉が浮かばずかえって奇妙な言い回しになってしまった。心気を砕くなど、小説でも読まなければ滅多にお目にかからない表現だ。実際に口に出して言うのは荒井自身も初めてのことである。
実際に新堂も何を言っているのかわからなかったのだろう。荒井は取り繕うように笑うと。
「いえ、お気遣いいただきありがとうございます。という意味です、窓を開けていただいたので……」
改めてそう言い直せば合点がいった様子で新堂は幾分か柔らかな笑みを見せた。
「あぁ、そういう事か。悪いな勝手に開けちまって、ちょっとマシになるかと思ったんだが全然変わらねぇか」
今まで遠くでしか。あるいは写真でしか見た事のない笑顔がすぐ近くにある。
日野には騙し討ちにあった気持ちが大きかったが、やはり好きな相手の笑顔がすぐ近くで見られる喜びは大きかった。
「そうですね、今日は湿度も高いですし風も入ってきませんから」
新堂がいる事ですっかり気が動転していたが、室内は随分と暑い。窓を開けてもろくすっぽ風など入ってこない。 先に来ていた新堂は随分と暑い思いをしたのだろう、じっとりと浮かんだ汗をしきりに腕で拭っていた。
たいがいの文化部がそうであるように、この新聞部にもクーラーといった気の利いたものはないのだろう。
荒井はここに来る前にペットボトルの水を買っていたのを思い出すと鞄から取り出した。
「良かったらどうぞ」
「いいのか?」
差し出された水を、新堂は驚いたように見る。
今まで一度も話した事はなかったが、密かに調べていた相手だ。想像していた通りの反応と想像していたよりもずっと眩しい表情を前に、あふれ出る思いを必死におさえ荒井はつとめて冷静に振る舞っていた。
「はい、一応買ったんですけれどもそれ程喉は渇いてないので……あなたは随分と暑そうですから」
「それじゃ、遠慮なくいただくぜ。ありがとな」
手を伸ばした新堂の指先が僅かに触れる。
自分より一回りは大きい手は思ったより柔らかくて温かで、触れた瞬間、やはり愛しいと思ってしまう。
まだ名前も知られてないが、この集会で流石に名乗らない訳にもいくまい。そうすれば新堂も自分の名を知る事になるのだろう。
それで終わりにできるのだろうか。
こんなにも焦がれていて、そばにいる喜びをいま感じて、たったこれだけでこんなにも嬉しいのを知ってしまった自分がいつまで感情を制御できるのだろう。
それとも、それを含めて日野は荒井のことを試しているのだろうか。面白いと思っているのだろうか。
そうだと思うとしゃくに障るが、それでも気持ちは抑えられない。
大嫌いな恋愛という不合理な感情に気持ちを乱されながら、荒井は目の前でボトルを開け無防備に飲む新堂の姿をぼんやりと眺める。
やり場の無い思いを燻らせ、肥大していく欲求をただただ持て余していた。
今度、学校新聞で怪談特集を組もうと思っているんだ。
確か新堂も怖い話は得意だったよな。
悪いが一つ、とびっきり怖い話を聞かせてくれないか。
新聞部副部長である日野貞夫に頼まれた新堂誠はホームルームが終わるとすぐ新聞部の部室へと向かった。
仮にもボクシング部の主将であり夏休みになれば最後の大会も控えている三年生という立場で練習を差し置いて日野の頼みを受けたのは期末テストの予想問題を準備するという約束を取り付けたからだろう。
日野の予想問題はよく当たる。教師の癖を理解した上でいかにも出そうな問題を作るから事前にその内容を頭にたたき込んでいるだけで赤点回避が確実というシロモノと言っても良い。勉強が苦手な新堂にとってテストで赤点を取らない保証が手に入るのは部を一日休む価値がある報酬になり得たのだ。
確かに一日休むというのは大会も迫っている今の時期で何かと不都合も多いのだが、もしテストで赤点をとれば補習になり部活にさえ出られなくなる可能性が高い。補習の数が増えれば増える程練習する時間は減っていくのだと思えば、今日一日を使って補習回避の勉強法を手に入れておくほうがずっと良い。新堂はそう判断したのだ。
それに、新堂自身も怖い話はかなり好きな方である。
子供の頃、夏休みに親戚の家へ遊びに行くと年上の従兄弟などが持っていた恐怖漫画やホラー特集をよく付き合いで見させられていたのだ。小さい頃は怖くて怯える新堂を従兄弟たちは茶化していたが段々と心霊特集を面白く感じるようになり、彼らの古いコレクションにあった心霊写真特集や妖怪特集、超能力や宇宙人など胡乱な話を見聞きするのが楽しみになっていた。
そして今、鳴神学園では過去に聞いた心霊や妖怪の知識は大いに役立っている。
危険な怪異や怪談が潜み不可解な事件が日常的におこる鳴神学園で、非常識と思える妖怪の対策や不条理とも思える怪異のルールを知っていたからこそ巻き込まれなかったという経験を新堂は何度かしてきたのだ。
殴れる人間相手なら多少のことはどうにでもなるが、怪異の類いは殴る事すらできない相手が多い。
世間ではただの娯楽である怖い話や心霊体験も鳴神学園では役に立つ知識になり得るのだから多く知っておいた方が何かと有利になるだろう。
新堂が怖い話をすすんで聞くようになったのも、もしもの時の対策という面が大きかった。
最も、鳴神学園で三年まで過ごしてわかった事は最初からそのような場所には近づかず巻き込まれないようにしたほうがいい、という至って当たり前の事と危険を察知したら誰かを犠牲にしてでもいち早くその場から逃げ出す方が生き残れる確率が高いという身も蓋もない事実ばかりだったワケだが。
ともかく、頼まれたからにはきちんと役目は果たすとしよう。
逆さ女、高木ババア、地獄の合宿所、空手部の神棚、鳴神学園にある怪異や部活にまつわる奇妙な噂ならいくつも聞いているし自分が体験した妙な生き物の話もいくつかある。
どの話をするかは決めていないが、日野の話だと聞き手はわざと極端に怖がりな一年生を指名したというから相手の様子を見てどの程度怖がらせるか測りながら話すとしよう。
約束の時間に遅れるのも悪いし放課後は他に予定もない、そう思ってすぐに向かったせいか部室は開いてこそいたがまだ誰も来てはいなかった。
「何だ、俺が一番乗りか。思ったより早く着いちまったな……」
他のクラスより早くホームルームが終わったのもあったからか、室内は誰も来ておらずひどく蒸し暑い。 新堂は椅子の上に荷物をおくと部室をぐるりと見渡した。
締め切った室内は湿度のせいで汗が滲むほど暑く、このままじっとしていたら熱中症になりそうだ。先に着いたのだから空調をつけて少しでも部屋を涼しくしようと部屋の様子を確認したが、どう見ても空調がついている様子はない。
鳴神学園はマンモス校だ、有象無象の部や同好会、研究会があり全ての文化部にわざわざエアコンなど支給していたら予算が足りないのだろう。
「まったく、エアコンも無ェのか。こんな暑い部屋だってのによ……」
新堂は呆れた顔をしながらシャツのボタンを外した。
鳴神学園でも室内競技を行える場所は空調がきくようになっている。当然、ボクシング部もだ。普段なら今頃練習場を冷やして涼しい風を浴び一段落してから練習に入っているのだが、文化部はこんなに暑い部屋で会議をしたり作業をしているのだろうか。
鳴神学園の新聞部は壁に貼る校内新聞の他にwebで読めるネット新聞も配信している文化部のなかでも比較的大所帯の部活だ。活動も熱心だし、作った新聞は大会で賞をとった事もあるはずだ。それだけの実績があってもこの扱いということは、文化部の活躍でもマイナーな部はそこまで重要視されていないということだろう。
青春時代に何に対して情熱を燃やすかは生徒たちの自由だ。
だがどの部活に費用をかけるかは学校の都合もある。
大人たちの事情に思いを馳せながら、新堂は安普請のパイプ椅子へとこしかけた。
スマホでも弄って時間を潰そう。そう思って鞄を開けたが西日が強くなってきたからか室内はますます暑くなる。こんな事なら冷たいジュースでも買ってきておくのだったと後悔し、まだ他に誰も来ていないし今から購買か自動販売機で何か買ってこようかとも思いはじめたのだが新聞部の部室から一番近い自動販売機までわざわざ階段を降りて一階まで行かなければいけないのだと思うとなかなか億劫だ。移動している最中に人が集まって遅刻扱いされるのも腹が立つ。
さてどうしようか考えているうちに部室のドアが開いた。
「あぁ……僕より先にもう来てる人がいたんですか」
現れたのは見覚えのない小柄な男だった。
新聞部で聞き手になる一年生は男にしては小柄な体格だと聞いていたから彼がその聞き手なのかと思ったが、上履きの色からすると二年生だろうから語り手の方だろう。
猫背で上目遣いのせいもありあまり小柄な身体はますます小さく見える。長い前髪で顔を隠しており、華奢な身体と蒼白の肌といった外見はいかにも怪談が得意そうに見えた。
これだけ広い学校だ。同学年でも顔をあわせない生徒が沢山いるというのに二年生にも顔見知りがいるとは、やはり日野は顔が広い。そんな事を思いながら男の様子を眺めていれば彼は静かな足取りで部屋へ入ると新堂の向かいへ腰掛けた。
何か話かけようか。自己紹介は皆が集まった時にしたほうがいいとは思うが挨拶くらいはしてもいいだろう。日野とはどんな知り合いなのか、新聞部の後輩か何かか。
あれこれ考えているうちに彼はスマホを取りだすとせわしなく指を動かしはじめた。向かいから画面は見えないが、恐らく誰かにメッセージでも送っているのだろう。家族に今日は遅くなるとでも伝えているのかもしれない。
見る限りあまり喋るのが好きなタイプでもなさそうだし、新堂は強面なのもあり大人しい生徒たちからは意味もなく怖れられたりするのを知っている。後輩に声をかけ怖がられるのも面倒だし、わざわざ話しかける必要もないだろう。そう思い直し、新堂は滲み出る汗を手の甲で拭った。
外は雲が立ちこめ気温は決して高くなかったが、新聞部は日当たりがやけにいい。強い西日のせいで室温はどんどん上がっていくような気さえした。
この暑さも窓を開ければ少しはマシになるだろうか。そう思い新堂は立ち上がると近くの窓を開けてみる。
梅雨時の湿った生ぬるい風が新堂の頬を撫で、やはり窓など開けても暑さはどうしようもないと思った。
「心気を砕いていただきありがとうございます」
窓を開けた新堂に対し、後に入って来た生徒はそう声をかけた。
シンキをクダク、と言ったような気がしたがどういう意味だろう。馬鹿にしている語調ではないが耳慣れない言葉に困惑する新堂を前に、彼は微かに笑ってみせた。
「いえ、お気遣いいただきありがとうございます。という意味です、窓を開けていただいたので……」
遠目で見た時はやけに長い前髪で気付かなかったが、近くで見ると随分と整った顔立ちをしている。中性的な美少年、という奴か。
あまりに均整のとれた顔立ちと長い睫毛をしているから、一瞬人形なのではと錯覚するほど彼の顔立ちは整って見えた。
「あぁ、そういう事か。悪いな勝手に開けちまって、ちょっとマシになるかと思ったんだが全然変わらねぇか」
不自然なほど綺麗な顔をもつ男を前に、新堂は一瞬引き込まれる。
普段からボクシング部ではけんかっ早い相手や粋がった不良崩れのような連中ばかりを相手にしていたし周囲にいる友人たちも小柄で中性的といった容姿をもつ相手がいなかったから彼の容姿は珍しく特別なものに思えてしまったのだ。
「そうですね、今日は湿度も高いですし風も入ってきませんから」
彼は柔らかな笑みを浮かべながら鞄を開けペットボトルを取り出すとそれを新堂へと差し出しす。艶やかな細い手はますます美しく思え、新堂は目の前にいる少年が本当に男なのか、それとも男装をした少女なのかわからなくなっていた。
「良かったらどうぞ」
差し出された手を眺め、新堂は改めて彼の姿を見据える。
やはり顔立ちは人形のように美しい、黒髪も艶があり表情もどこか蠱惑的ではあるが身体は男のそれだ。声だって随分と低い。男装した少女というワケでもなさそうだし、当然に人形の類いでもない。
「いいのか?」
「はい、一応買ったんですけれどもそれ程喉は渇いてないので……あなたは随分と暑そうですから」
だが何だろう、彼と話をしていると妙な気分になる。
自分の周囲にこういったタイプの男がいないのもあるだろうが、あまりにか弱く見える彼は男ではあるが自分の知る連中と同じように扱ったら簡単に壊れてしまうような、そんな気持ちを抱かせた。
「それじゃ、遠慮なくいただくぜ。ありがとな」
だからボトルを受け取る時も、つとめて優しく振る舞う。
彼に触れないよう、触れても壊さないよう普段より力を入れずに手を伸ばせば白い指先が僅かに触れた。
ボトルが冷えていたからか、それとも彼の体温が低いのか触れた指は随分と冷たく思え、眼前にある顔が中性的で人形のように見えたのもありやはり彼は幽霊なのではないかと思う。
だがすぐに足下で影が伸びている事や暑さのためか微かに頬が赤らんでいるのに気付き、幽霊ではなく人間だと思い直すのだ。
まったく、怖い話をしにきたのに目の前のただの人間を幽霊だと思うとは、知らずに緊張しているのか。それとも彼の雰囲気に当てられてしまったのだろうか。どちらにしても自分らしくない、この程度で揺らぐほど自分は弱くないはずだ。
それにしても、このどこか落ち着かない気持ちは何だろう。嫌ではないが、妙にくすぐったい気持ちになる。これから皆で揃って怖い話をする、という雰囲気とは少し違う気がするが調子が狂うのはいつもなら身体を動かしている時間にこんな場所で何もせずぼんやりと過ごしているせいだろうか。
そんな事を思いながら新堂はボトルを開ける。
冷えた水は心地よく梅雨時の湿った暑さを流してくれていた。
<Side B>
荒井、怖い話は得意だったよな。
もし良かったら、お前のもってる怖い話を一つ披露してもらえないか。
日野から唐突にそんな事を頼まれても特に断らなかったのは荒井昭二は恐怖に対する好奇心が人一倍強かったからだろう。
恐怖とは常に人間の死角からくるものだ。
人が何かを怖れる理由の一つは未知からくる恐怖であり、自分が何かに対し恐怖を覚える時はそれに対してまだ未知なる部分を感じているからだ。
そのように考えている荒井にとって恐怖心とは好奇心とほとんど同じものであり、自分の好奇心と知識欲を満たすため荒井は率先して怪異の調査を行っていた。当然、それで危険な目にもあっているし犯罪のような事に巻き込まれた事もあるが後悔は一切していない。
荒井にとって知識を得る事は自分の命より重要なことだった。
日野の言葉を信じるのであれば、この集会では鳴神学園でも屈指の恐怖を知る面々が集まるのだという。
この学校は元々怪異の噂が多く行方不明者や失踪者も後を絶たない。そんな鳴神学園において、三年間数多い調査と油彩をし自身も多くの怪異を目の当たりにしてきた日野が選りすぐりの恐怖を語れる生徒を集めたのだというから、どんな話が聞けるのか興味を抱くのは当然だ。
それに、荒井は日野に僅かだが弱みも握られている身でもある。
別に弱みを握られ脅されているような事はないのだが、彼に逆らえば色々と不利益が生じるという事もあり怪談を語る会という茶番のような企画に付き合う事にしたのだ。
とはいえ、元より人前に出るのはあまり好きではない性格だ。
日野がいったい何人の語り手を選んだかは知らないが他人を気遣いなれ合うように話すのも得意ではない。
なるべく遅くに出かけて他人と関わらないようにしようと思っていたのだが、そう思っている時にかぎって自分のクラスでは普段よりずっと早くホームルームが終わったりするのだから上手く行かないものである。
流石に今から部室に向かっても到着が早すぎる。少し寄り道をしようと思い、荒井は一度一階まで降りてペットボトルの水を買った。
グラウンドからは微かに人の声がする。他にも早くに終わったクラスがあり、運動部が練習をはじめたのだろうか。あるいは練習するための備品などを引っ張り出しているのかもしれない。そんな事を考えながら荒井は自然と武道場のある方へ視線を向けていた。
新堂誠はボクシング部の主将だ。
夏になれば最後の大会があり練習のためにもう部室に向かっているのだろうか。
いや、彼はあまり練習熱心ではない。程ほどの練習で最大の効率が出せればいい、なんて思っているところが見え隠れしているからきっとまだ練習はしてないだろう。部室に入ったらすぐに空調を入れ、涼しい風を受け一段落してからようやく練習をはじめるに違いない。
そんな事を考える自分に気づき、荒井は視線を手元へ向ける。
考えないようにしようといつも思っているのに自然と新堂のことを考えてしまう。人が雑多にいればどこかに居るのではないかと探してしまう。頭ではそんな事をしても無駄なのだとわかっていても身体が自然とそう動いてしまう、そんな自分が荒井は心底嫌であった。
嫌だというのに、このくすぐったいような心の痛みを心地よいと思えている自分がいるのだから尚更だ。
荒井が日野に握られている弱みとは、彼が新堂に恋い焦がれているという事だった。
日野と知り合ったのは1年生の頃だったろう。
旧日本軍が人体実験をしていたとか地下室に怨霊が封印されているといったに恐ろしい噂が飛び交う旧校舎を好奇心から調べていた時、同じように旧校舎の調査にきていた日野と鉢合わせをした時が初対面だったろう。
鳴神学園で多くの人脈を持ち知識も深い日野は荒井が心地よく会話できる数少ない存在であり、それから何度か顔をあわせ時には怪異の噂について語り、時には学校内でおこった事件について推測を巡らせるような仲になっていた。
『荒井、おまえ新堂のこと好きだよな?』
日野からそう告げられたのは、学校内で行方不明事件がありその現場を調査している最中だった。
調査とも事件とも全く関係のない不意打ちの質問に随分と驚いてすぐに次の言葉が出てこなかったのは今でもはっきりと覚えている。
当然、新堂への思いはこれまで誰にも口にしたことはない。
これからも誰かに告げるつもりもなくずっと胸にしまっておくつもりだった秘密を唐突に曝かれ、相当に焦りもあったろう。
『何を言ってるんですか日野さん。新堂さんなんて人、僕は知りませんよ』
とっさに出たのはそんな言葉だった。
生徒の数が多い鳴神学園なら同級生の顔だって全員覚えきれないのだから上級生の名前など知らなくても当然だろう。だから荒井がそう言うのも決して不自然なことではない。新堂は素行の悪さで有名な生徒でもあったが、鳴神学園では不良と呼ばれる生徒は多いのだから全てに注意をはらえなくとも不思議ではないはずだ。
だが日野はそれで確信したように笑っていた。
『でも、おまえのスマホ、パスコードは新堂の誕生日だろう』
何故知ってるのだ、指の動きで見られていたのだろうか。
『何でおまえがそんな単純なパスコード使っているんだろうって不思議だったんだが、まさか接点のない男の誕生日をパスコードにしてるとか思わないもんなぁ』
全くその通りだ。
普段だったらパスコードにする数字はもう少し工夫する。だがスマホのパスをいちいち面倒なルールで決めるのは億劫だったからよく使う番号は新堂の誕生日を利用していたのだ。
『知らない男の誕生日を偶然に使っていた、なんてことはないよな。そもそも知らない、ってのも嘘だろ。もし新堂のこと全く知らないなら、新聞部で運動部の特集がある時に限って学内のネット新聞をわざわざダウンロードして保存とかしないもんな。運動部の特集でも人気のサッカー部じゃなく、必ずボクシング部の記事がある時だけダウンロードしてるワケだし』
それも気付かれているのか。いや、油断していたのはこちらだろう。
まさか学校でダウンロードできるネット新聞の特定の記事をチェックされているとは思ってもいなかった。実際、普通はそんなことを調べる奴はいないだろう。何かしら不自然さを感じ取った日野が疑惑に思ったから調べたに違いない。
『それに荒井、決まって水曜日学食にいるよな。実は新堂もそうなんだよ、決まって水曜日は学食行くんだ。水曜日にだけ出るデザートメニューが目当てでな。ほら、あいつ甘いもの好きだろ? でも、お前もデザートメニューが目当てって事はないよな。おまえが水曜日にデザート頼んでるところ見たことないもんな』
流れるように語られ詰められ、最初に知らないといったのは完全に失敗だと思った。
実際、知らない訳ではないのだ。
まだ一年生だったころ、なにか部活でも入ろうかとボンヤリ考えていたときボクシング部の勧誘を受けたのが初対面だったろう。
一目惚れだ。見た瞬間に感じたことがない程心が乱され吸い寄せられるよう彼の立ち姿に見入っていたし、何を話したか覚えていないほど胸の鼓動がやかましく思えたのは生まれてはじめての経験だった。
その後に新堂誠という名前やボクシング部の部員だということ、中学時代におこした暴力沙汰で中学を退学していること、それが原因でスポーツ推薦は受けられず鳴神学園に入学していること……今でも決して素行はよくなく悪評の方が多いくらいだということは簡単に突き止めることができた。
調べてみればみるほど今まで荒井が接してきたタイプとは全く違う男だ。むしろ荒井が愚かしいと切り捨てて毛嫌いするタイプの人間だったろう。
叱られることがわかっていて自分から校則を破り、ギャンブル好きで金にはルーズ。一時の感情に飲まれて行動しその結果ひどい失敗をしている。斜に構えた性格だが家族仲は良好で普通に愛情を受け育った、甘ったれた性格。
どうしようもないクズだ。これから先の事など考えもせず流されて生きていくんだろう。知れば知るほどロクデナシだというのに、それを曝いても幻滅することはなくますます好意は膨れ上がっていた。
最初はぼんやりとした憧れが、今はもう恋慕の情に変わっているのも気付いている。
手をつないで一緒にいたいという純粋な思いだけではなく、キスやセックスも望んでるほど思いは強くなっているし新堂に抱かれる妄想で何度も自慰にふけっている。
新堂の事が好きだ。
その自分では抑えきれない感情を日野は完全に見抜いていたのだ。
誰にも探られないよう気取られないよう注意深く振る舞っていたというのに。いや、そのように振る舞っていたからこそ記者の探究心が強い日野は気付いてしまったのかもしれないが。
『なぁ荒井、新聞部で撮った新堂の写真、特別に融通してもいいぞ。そのかわり、おまえの力を貸してくれないか。お前は頭もいいし常に冷静でいられるからな、俺の出来ない調査を手伝ってほしいんだ』
そんな風に言われ、どうやったら断れるというのだろう。
荒井はもう従うしかないと覚悟を決めた。
とはいえ、日野は荒井に対してできないような無茶はさせなかったし非道な真似をさせるようなことはなかった。手伝えば見返りもくれたし、弱みを握っているからといって秘密を明かすから従え、とった風に脅すようなこともない。
あくまで対等に、友人として頼むというスタンスは崩さないまま今に至っているのだが、それでも日野に握られた弱みは絶大な効果があったと言えるだろう。
何も脅されていなくても、ただ弱みを握られているという事実があるだけで銃口を向けられているような気分であった。
今回の集会も強制はされなかったが、日野からの頼みは断れないという感情も大きかったろう。最も、断らないでいれば見返りとして自分では手に入れる事ができない新堂のプライベート写真を融通してもらえるのだからそこまで悪い取引でもないのだから、持ちつ持たれつの関係ではあるのだが。
「まだ早そうですけど、遅刻するワケにもいかないでしょうし。そろそろ行きますか」
スマホで時間を確認してから荒井は新聞部の部室へと向かう。
何の話をしようか。定番の学校怪談もいくつか知っているし、鳴神学園で出会った友人たちの話も面白いかもしれない。去年の夏休みに経験した話もある意味で怪談になり得るだろう。 いくつか事前に考えておいた話はあるから、あとは聞き役をつとめる相手に会わせて話を変えればいい。聞き手は怖がりだと日野は言っていたから様子を見て手心を加えていこう。
そう考え新聞部のドアを開けた荒井の目に飛び込んできたのは、新堂誠の姿だった。
「あぁ……」
荒井は思わず声をあげる。
事前に誰が来るかなんて確認はしていなかったがこの場に新堂がいるというのはどういうことだろう。荒井の思いを知っているのなら、語り手に新堂がいることは事前に教えてくれても良かったろうし、もし新堂がいるのを知っていたらきっと自分は来なかった。
もちろん、新堂が怪談話を得意にしているのは知っている。運動部の知り合いが多い彼は様々な部の怪異や幽霊話を聞いているし、彼自身が主将をつとめるボクシング部にも血なまぐさい噂があるのだから。
それにしたって今ここにいるのは完全に予想外だ。
日野も日野だ、新堂を呼ぶなら荒井にも声をかけてほしかったし、荒井の気持ちを知っている上で新堂を呼んだのならあまりに意地が悪い。
荒井は自分の気持ちなど一切伝えず、黙って彼の卒業を見送るつもりでいた。恋心なんてしょせん一時の気の迷いだと思っていたし、新堂が卒業すれば自然と気持ちもおさまっていくだろうと想像していたからだ。
だから荒井は新堂に認識されたくなかった。自分という生徒がこの学校にいる事も知られたくなかったし、知られないまま彼が卒業してくれれば良いと密かに願っていたのだ。
きっと日野は荒井がそう思っているのを知って、意図的に新堂を呼んだのだ。
「……僕より先に来ていた人がいたんですね」
とにかくまずい。少なくとも自分が新堂のことを知っているというのは悟られたくない。
新堂はきっと自分の事を知らないだろう。それだというのに自分が新堂のことを知っていたら流石に妙だと思うはずだ。荒井は視線を逸らすと俯いて、わざと新堂と目を合わさず彼と対面の席へと座った。
そして、座ってから後悔する。対面に新堂がいたら否が応でも目がいってしまう。変に視線を向けたら妙に思われるのではないか、気にされるのではないか、そんな風にも思うが、無意識に対面へ座ったのは彼を見ていたい意識があったからだろう。
普段は遠くからしか見られないし、鳴神学園では学年ごとに別の教室棟が準備されている。偶然学校ですれ違うなんてことはまずないのだからこのチャンスを逃したくない。
まったく、これだけ動揺しているというのに本心は正直なのだからやはり恋愛という感情はどうしようもない。自分自身の行動すら満足に制御できなくなるなど、感情が乱れ冷静さを失う自分を醜く情けないと思っている荒井にとって最も恥ずべき行為だった。
椅子にこしかけてすぐ、荒井はスマホを取りだし日野へとメッセージを飛ばした。
『日野さん、どういう事ですか。新堂さんが居るのは聞いてないんですけど』
抗議のつもりで飛ばしたメッセージにすぐに返信が入る。
『聞かなかっただろ、お前。まぁいいじゃないか、これを機会にアドレスでも交換しておけよ、新堂は気に入った相手なら色々と面倒見てくれるぞ』
この様子だと、やはり意図的に新堂を入れたのだ。荒井は内心舌打ちをする。
『騙し討ちじゃないですか。僕は新堂さんに知られたいと思ってません』
『そういうが、俺たちはあと9ヶ月で卒業だぞ。あれだけ健気に思ってるのに卒業しても顔も覚えてもらえないってのは寂しいだろうと思ってな。何かあっても残り9ヶ月、やり過ごせばいいって思えば気も楽だろう』
『そういう話じゃないんです。というか、今二人しか来てないんですけどまさか僕と新堂さんしかいないって事はないですよね』
『流石に俺だってそこまで酷な真似はしないさ。他の奴にも声をかけてあるからじきに来るだろう。というか、今二人だけなのか。貴重なチャンス、無駄にするなよ』
スマホごしに日野のニヤけた顔が浮かび腹が立ってくる。
旧校舎が取り壊しになるから怖い話を集めてる企画云々が荒井と新堂を引き合わせるためセッティングされたものではないだろうが、集会の語り部として新堂を入れたのは間違いなく荒井に対してのいらぬお節介というやつだ。
だが、わざと新堂を入れたのが明らかならこれ以上日野に文句を言っても無駄だろう。荒井が怒れば怒るほどきっと面白がるはずだ。
荒井は諦めスマホをしまうと、新堂が立ち上がり窓を開けているのに気付いた。
室内が暑いから風でも入れようと思ったのだろう。
「しん……」
新堂さん、ありがとうございます。
そう言いかけ、荒井はすぐまずいと思う。新堂のことを知っていると思われたくないのに彼の名前を言ってしまえば当然「どうして知っているんだ」という話になるだろう。
新堂なら「ボクシングで有名だから」とでも言えばごまかせるだろうが、そもそも知っていることを知られるのが恥ずかしい。
「心気を砕いていただきありがとうございます」
とっさに不自然にならぬよう言い直したが、良い言葉が浮かばずかえって奇妙な言い回しになってしまった。心気を砕くなど、小説でも読まなければ滅多にお目にかからない表現だ。実際に口に出して言うのは荒井自身も初めてのことである。
実際に新堂も何を言っているのかわからなかったのだろう。荒井は取り繕うように笑うと。
「いえ、お気遣いいただきありがとうございます。という意味です、窓を開けていただいたので……」
改めてそう言い直せば合点がいった様子で新堂は幾分か柔らかな笑みを見せた。
「あぁ、そういう事か。悪いな勝手に開けちまって、ちょっとマシになるかと思ったんだが全然変わらねぇか」
今まで遠くでしか。あるいは写真でしか見た事のない笑顔がすぐ近くにある。
日野には騙し討ちにあった気持ちが大きかったが、やはり好きな相手の笑顔がすぐ近くで見られる喜びは大きかった。
「そうですね、今日は湿度も高いですし風も入ってきませんから」
新堂がいる事ですっかり気が動転していたが、室内は随分と暑い。窓を開けてもろくすっぽ風など入ってこない。 先に来ていた新堂は随分と暑い思いをしたのだろう、じっとりと浮かんだ汗をしきりに腕で拭っていた。
たいがいの文化部がそうであるように、この新聞部にもクーラーといった気の利いたものはないのだろう。
荒井はここに来る前にペットボトルの水を買っていたのを思い出すと鞄から取り出した。
「良かったらどうぞ」
「いいのか?」
差し出された水を、新堂は驚いたように見る。
今まで一度も話した事はなかったが、密かに調べていた相手だ。想像していた通りの反応と想像していたよりもずっと眩しい表情を前に、あふれ出る思いを必死におさえ荒井はつとめて冷静に振る舞っていた。
「はい、一応買ったんですけれどもそれ程喉は渇いてないので……あなたは随分と暑そうですから」
「それじゃ、遠慮なくいただくぜ。ありがとな」
手を伸ばした新堂の指先が僅かに触れる。
自分より一回りは大きい手は思ったより柔らかくて温かで、触れた瞬間、やはり愛しいと思ってしまう。
まだ名前も知られてないが、この集会で流石に名乗らない訳にもいくまい。そうすれば新堂も自分の名を知る事になるのだろう。
それで終わりにできるのだろうか。
こんなにも焦がれていて、そばにいる喜びをいま感じて、たったこれだけでこんなにも嬉しいのを知ってしまった自分がいつまで感情を制御できるのだろう。
それとも、それを含めて日野は荒井のことを試しているのだろうか。面白いと思っているのだろうか。
そうだと思うとしゃくに障るが、それでも気持ちは抑えられない。
大嫌いな恋愛という不合理な感情に気持ちを乱されながら、荒井は目の前でボトルを開け無防備に飲む新堂の姿をぼんやりと眺める。
やり場の無い思いを燻らせ、肥大していく欲求をただただ持て余していた。
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