インターネット字書きマンの落書き帳
呪術付き物件を解決します
オリジナル作品を書きました。
ホラー小説…………。
ではなく、曰く付き物件を無責任に浄化させるタイプの呪術師が出るほんわか(?)ストーリーです。
ホラーといえばホラー、日常といえば日常ノベル。
呪術師が普通に生活をしている話です。
日常! そうこれは……日常トーク!
ホラーが苦手なひとでも大丈夫な、ホラーっぽいエピソードですよ。
たぶん(?)
ホラー小説…………。
ではなく、曰く付き物件を無責任に浄化させるタイプの呪術師が出るほんわか(?)ストーリーです。
ホラーといえばホラー、日常といえば日常ノベル。
呪術師が普通に生活をしている話です。
日常! そうこれは……日常トーク!
ホラーが苦手なひとでも大丈夫な、ホラーっぽいエピソードですよ。
たぶん(?)
『アパートの怨念と呪術師の行使』
多忙な日々が続き息つく間もなかった仕事にようやくけりが付き、自分へのご褒美のため随分とご無沙汰になっていた行きつけのBARへと赴いた。
久しぶりにあったマスターと他愛もない雑談を交わし、いつも飲むウイスキーをロックで傾ける。照明の加減といい、流れる音楽といい、マスターとの会話といい、客層といい、全てが私好みの秘密基地で程ほどに酔いが回った頃、ふとマスターは思い出したように私を見据えた。
「そういえば、ご存じでしたか。よく、貴方が飲んでいる時にお隣に座っていたご婦人の話なんですけれども」
ウイスキーを傾けていた私は、彼女の顔より先に百足の紋様を思い浮かべる。
そして静かに首を振るとマスターの言葉を留めた。
「ごめんね、マスター。彼女の話はききたくないんだ。最後にあったのは随分と前だけれども、あまり良くない別れ方をしたから」
マスターは察したように頷くとそれ以上何も詮索することもなく、サービスと言いながら普段飲まないウイスキーを私の方へ差し出した。
「普段お飲みになっているウイスキーがお好きでしたら、きっとこちらも気に入ると思いますよ」
嫌な事を思い出さないよう、マスターに気を遣わせてしまったようだ。
私は小さく頭を下げると、あの日の出来事を思い返していた。
「えぇ、何で俺を呼んだんですか。こういうの専門外ですよぉ」
一切の家具が置かれていない賃貸アパートの一室で、まだ年若い男は困ったような顔をすると鼻の頭を掻いていた。
顔立ちはまだどこかあどけなく、身体も完成されていない。年齢は10代半ばか後半程度、高校生くらいか、もっと年かさだとしても大学生くらいだろう。 左手の手首には黒く磨かれた数珠をしている他は特徴らしい特徴はない、どこにでもいる普通の青年に見える。
「でも、あなたは有名な拝み屋さんなんですよね。そう聞いているのですけれども」
私がそう問えば、青年は大げさなくらい驚いて見せた。
「えぇっ!? そういう事になってるんですか。どこで話が入れ違っちゃったんだろうなぁ、俺はその。除霊とか浄霊っていうんですか。そういうのは専門外で、どちらかというと逆の方の人間なんですけど」
「逆のほう……?」
意味もわからぬまま私が首を傾げるのを見て、青年は「何でもないです、こっちの話なので」と小さく首を振ってみせた。
だが、彼が専門外となるとどうしたらいいのだろう。伝手をたどってやっと見つけたというのに。私はすっかり途方に暮れてしまった。
ここは私の管理しているアパートの一つになる。
私はいくつかの貸しビルやアパートをもっており、それを貸して生計を立てている身の上なのだ。そう言えばサラリーマンから「不労所得で楽して収入がもらえて気楽なものだ」とうらやましがられるが、オーナーというのも結構仕事が多い。 持ちビル周辺の管理として掃除などはこまめにやらなければいけないし、住民同士のトラブルも解決しなければならない。備品が壊れた時の修理依頼もあれば家賃を払わない住人への取り立てや、夜逃げをして消えた住人の荷物整理もある。 時には部屋で死んだ遺体を処理しなければいけないのだから人が言うほど気楽な仕事ではないだろう。
私の場合、多少なりとも働きながら物件を管理しているから忙しさは殊更で休日に趣味を楽しむ時間すらろくにない有様だが、これは両親の死後思わぬ不動産を目先の欲につられ後先考えず相続したのだからしかたないだろう。
そんな私の頭を悩ませていたるのがこの、六畳キッチンつき、風呂トイレ別という好立地の賃貸アパートだった。
立地上は何ら問題はない。駅もコンビニもスーパーも徒歩圏内にあり、近場には商店街まであるという良物件といっていいだろう。 だがこの3年ほど、この部屋にかぎって人がまったく居着かないのだ。新しい入居者がやってきても皆、半年たたず逃げるように解約していく有様で、あまりに人が居着かないのでどうしてこんなに早く解約したのか聞けば、皆口をそろえて「幽霊が出る」と言うではないか。
まさかそんな事はと思っていたが、皆がみな一様に黒髪で痩せぎすの女が立っている。いつもカーテンのそば、窓のあたりにいると、同じ場所で同じ姿をした女の話を聴かされれば、幽霊など眉唾だと疑っていた私でも無碍にするわけにはいかなくもなるだろう。
それに、不動産を管理するようになってから同業者からはよく似たような話も聴くようになっていた。 何ら問題ない場所にあるというのに人がいつかないテナントは幽霊が出るとか風水が悪いとか、ゲン担ぎのような部分もあるのだろうがそんな話をする同業は多いのだ。
だが私はそんな話とは無縁だろうと思ってすごしてきたので、拝み屋や霊媒師の伝手など何ももっていなかったのだ。
これは今まで管理している不動産は親の代から幽霊騒ぎなどなく、アパートでは病死で亡くなった住人こそいたが自殺や殺人というような事件騒ぎは一切なかったので自分とは無縁のトラブルだろうと決めつけていた私も悪いのだろう。実際、あまりオカルト騒ぎなど信じておらず話を聴いても他人事にとらえていたし、やれお祓いをした、除霊をしたといったオーナーの話も眉唾で聞いていたので、いざ自分の所にそれが舞い込んできた時、何のノウハウももっていなかったのだ。
ひとまず、神社や仏閣に電話をしてみたが存外と除霊をやっている所は少なく、幽霊が出るからお祓いをと言えば「そんなものおりません、魂はみな成仏するものですから」とご丁重にお断りされる始末。やっとの思いで連れてきた拝み屋らしい人物も「これはちょっと自分には手に負えないです」なんて青ざめた顔で言って逃げ出してしまったから、どうしたものかと悩んでいたところ、行きつけのコーヒーショップにいるオーナーが「知り合いがオカルトに詳しいから」と言っていたのを思いだし、藁にも縋る思いで連絡をとってもらってようやくやってきた「凄腕の使い手」というのがこの青年だったというわけだ。
「そんな、専門外だなんて。やはりそれだけ強力な霊がいるのでしょうか」
私には何ら普通の部屋にしか見えないのだが、実際ここの住人は誰しもが女の影を見たという。私は一番よく女が立っているという窓辺へ視線を向けると何か見えるか目を細めた。カーテンも取り付けられてない一階の部屋からは雑に草が刈られた小さな庭の向こうから曇り空が覗くだけだ。
「強力な霊とかじゃないんですよね、えぇと、霊ジャンルでいうと生き霊って奴になるんでしょうか。これ、呪いなんですよ。この部屋に住んでる人間を、どこかの誰かが執拗に呪っているだけなんです」
青年は事もなげにそう告げながら、窓枠の端へこしかけフローリングに触ってみたり窓を開けて室外機が何とかおける程度の狭い庭をのぞき込んだりしている。
「たぶん、この部屋に以前住んでいた男の人を呪っていたんだと思うんですよね。痴情のもつれ、って奴でしょうか。彼女がいるのをかくして他の女と付き合うとか、奥さんと別れるなんて甘い言葉を吐いて不倫するとか、そういうのってよくある話ですよね。そのよくある話の中にある、よくある怨嗟のもつれがこの場所に楔をうち巣くってしまったと。まぁそんな話です」
私は青年の話をどこか他人事のように聞いていた。
手前のアパートながらどうにも実感が沸かないのは、やはり自分の目で見る事がないからだろう。
青年の語る男女の色恋はよくある話だろうと思うし、私も住人の婚姻関係は把握していても恋愛にまではつっこんで話などしないから、この部屋を借りた人間の中には女性関係にルーズな輩も一人くらいはいただろう。
だが、彼は何でそんな話をするのだろうか。バーナム効果という奴を狙った話術の一つなのだろうか。何処にでもある話を家主である私に聞かせて除霊などに説得力をもたせようというのが彼のやり口なのかもしれない。
ぼんやりとそんな事を考える私をよそに、青年は自分のこめかみあたりをぐるぐる回すと記憶をたぐり寄せるように話をし出した。
「うーん、時期は2年? いや、3年くらい前かな。見た目は普通のサラリーマンっぽい人だね、顔立ちは年齢より少し幼い頼りない雰囲気で、いつも猫背で、どちらかというと中性的な印象かな。ぱっと見て誠実そうなんだけど、息を吐くように嘘をつくのがクセになってる。眼鏡をかけてて、笑うとやけに卑屈そうに見えて、その笑い顔がちょっと人の苛立ちを誘うタイプの。うん、見た目は本当に普通の人だよ。彼女が呪ってるのは、その人だ。最もこの場所には2年半ほど前に引っ越してもういないんだけどね」
青年の言葉を聞いて、私は思わず息をのむ。
ちょうど二年半前、確かに青年のいうような入居者がここに住んでいたからだ。
決して派手な外見ではなく大人しそうな印象だが、引きつったような笑顔を浮かべるのだけが妙に白々しい所があって私はあまり好かなかったが、家賃を滞納する訳でもなければうるさく騒ぎ立てる訳でもなくあまり気にしていなかった。
思えば彼が引っ越して以後、この場所に人が居着かなくなったのだ。
「その人が、二股して? うん、二股じゃない? 結婚の約束をしていたのにそれを裏切られた、みたいな話で呪ったんだけど、その人当人じゃなくてこの場所の印象が強くて、この場所で呪いが発動しちゃってるやつなんですよねー、これ。あ、だから俺の担当だと思ったのかな。霊とは若干違うジャンルなんで。でも、こういうのも拝み屋なら俺より安全に対処できると思うんだけどなぁ」
まるでそこに人がいるかのように青年は何かと話すような素振りをして私の方を向き直る。
「えぇと、俺は拝み屋じゃなくて呪術師の方なんで、この手の呪いや怨念は基本的に払ったり浄化したりじゃなくて、誰かにぶつけたり相手に戻したりするか、カルピスの原液に水を足して薄めてしばらく様子を見るかとか、そういう方面での対処しか出来ないんですけどいいですか」
何を言っているのかもうよくわからない。
私は以前、ここに住んでいた人の良さそうだがどこか卑屈な笑みを浮かべる住人のことを思い出していた。たしか、単身赴任で5年ほど住む予定だったはずだ。契約より早く出ていくことになったのは、予定より早く本社に戻るよう要請を受けたからだと言っていた。一人暮らしだが、妻子を残していたし単身赴任中に新しい我が子を授かっていた気がする。
「いいですよ、何でも。ここで幽霊騒ぎがなくなってくれるのなら有り難いので」
私は正直に今の気持ちを伝えた。
もう、呪いでも幽霊でも何でもいなくなってくれればいい。それが私の素直な気持ちだったのだ。
「じゃぁ、とりあえず呪いの主に話をきいてみたいと思うのでお客さんにも見えるようにやってみますね」
青年はそう言いながら、人の形に切り抜いた紙を取り出す。
本当に、彼は何を言っているのだろう。何でもいいから早くしてほしい。 全てが面倒になってきた私は「それでいいです」と適当な相づちし、青年の行動を事を見守った。
彼は手にはめていた数珠を右手にもちかえると人の形を摸した紙切れをライターで燃やし灰にした後
「天網恢々疎にして漏らさず、我が名いかるがが汝の呪詛たる念をここに受け確かめたり。いま、その姿を顕在させ我に汝が恨み、苦悩、憤怒、そのほか諸々の思いを露わにせよ。さすればその痛み、一時おさめたらんことを」
なんて、呪文にしては存外に聞き取りやすい言葉をつらつらと述べる。
そうして片隅にぼんやりと現れたのは、髪の長い陰気そうな影であった。
「あ、おッ、女の幽霊……」
今まで何もなかったその場所に、確かに人の影がある。顔や姿ははっきりわからないが、ボブカットくらいの髪をした女という形だけはわかる。突然立ち上るように現れた影を前に、いったいどんなまやかしを使われたのか、手品か何かじゃないかという疑いより「これは幽霊だ」「彼は本当に霊を呼び出したに違いない」と思ってしまったのは、青年が拝み屋と紹介されたことと、私が事前に女の霊が出る事を聞かされていたからだろう。
「髪の短いやせぎすの、古びた寝間着……」
徐々に浮かび上がる容姿を見て、私はつい声をあげる。それは、今まで逃げ出した入居者たちが見たという女の容姿そのものだった。
幽霊といえば何とはなしに髪が長く、黒だか白だか赤だかのワンピースを着ているというイメージがあるのだが、ここで見える女性は髪が比較的に短く、服装も着古したような寝間着姿であることが多かったのだ。
「あっ、急に出しちゃってすいません。いちおう、お客さんにも見えるようにしたほうがいいかなぁと思って。えっと、本当なら俺だけで対話してもいいんだけど、この人の場合あなたにも見えた方がいいかなぁと思ったんで……今、見えるようになったのは俺が力添えしたからですけど、もともとこの怨念は部屋についていたものなので基本的に見える人はここの入居者だけなんですよ。だから、住んでる人と、住んでる人がつれてきた友人・知人・恋人なんかには見えてしまうんですけど、持ち主である貴方には見えないし、まだ入居契約してない人にも見えない。どうして場所についちゃったのかは、最初に呪った男が相手に告げてた名前もデタラメだったからですね。呪詛って不確定要素が多いから、簡単な事で不安定になっちゃうんです。名前と顔が一致してないなんて事でもちゃんと動作しないで、こうやって場所に着くみたいな不具合が起きちゃうんですよ」
青年は髪の毛をくしゃくしゃに掻きながら懸命に説明する。どうやら私にもわかるように説明しようとしているようだが、話の全てが突飛すぎて目の前でおこっていることでもとても現実味がなかった
「どうして、私にも見えるようにしたほうがいいと思ったんでしょうか……」
私は辛うじて気になった所だけを口にする。すると青年はまた髪の毛をくしゃくしゃにかき回すと浮かぶ影を一瞥した。
「えぇと、このひと、貴方の知り合いなんです。話したらそうだっていうから。今、もうちょっと顔とかハッキリ映しますね」
青年はそう言いながら手元の珠を伸ばす。数珠のように見えていたそれは百足をあしらった長い紐状のアクセサリーのようだった。 木彫りのビーズをいくつも連ねおり、モチーフが百足というのもあってアクセサリーと言うより随分と禍々しい見た目ではある。
「ダメじゃないですか、そんなぼんやりとしか姿を現さないのは卑怯だと思いますよ。ほら、もっとしっかりコッチに顔を見せてくださいって」
青年は百足を模した紐を腕に巻き付けると強く引き締め上げるような所作をする。するとぼんやり立っていた幻影のような女は小さく悲鳴をあげ薄ぼんやりした灰色から白黒写真くらいには鮮明な姿へと変化していった。
「いや、まさか。キミは……」
現れた姿を見て、私は驚きの声をあげる。 彼女は確かに見た事のある顔だったからだ。
出会ったのは半年ほど前だったろうか。彼女はBARで飲んでいた私の隣に座り、他愛もない話をしてきた。 私は独り身だったしBARに行くのも人恋しかったからで話しかけてきた彼女は実に都合の良い相手で、それから何度か顔を合わせ話をし、ただの顔見知りより深い関係になっていた。恋人と言うほど特別な仲ではないが、ただの知り合いほど浅い関係でもないと言えるだろう。
見知った彼女を前に困惑する私に、彼女の顔をした影は申し訳なさと悪事を開かされた気まずさと両方を抱いた表情を向けていた。
「私は、あなたがこのアパートのもちぬしだとしっていました」
声がする。青年の声ではないが、私の知っている彼女の声とも違うもっとしゃがれた老婆のような声だ。
「しっていて、貴方に近づいたのは私を捨てた憎いおとこがどこに居るのか知るため。あなたなら、引っ越し先を知っているのではと思って、利用した……好きでもないあなた、あなた、何も教えてくれなかった……」
「お、教えるも何もきみがあの男を捜していたなんて知らなかったよ私は。いや、仮に知っていたとしても顧客の情報を他人に言う訳がないだろう」
私はつい、声を出す。この影と話をしているのか、話が通じるのか、相手に聞こえているのかと色々疑問はあったが、一方的に言われるのは筋違いな気がしたからだ。
「恨める場所がそこしかなかった……あぁ、あなたが何も教えてくれないから、あなたが意地悪だから、あなたに迷惑がかかるのも別にいいと、そう思って……」
どうやら相手にもこちらの言葉は届くらしい。私はたどたどしい記憶の向こうから、以前ここに住んでいた人物のことを思い出していた。
「まて、件の入居者は元々既婚者だぞ、単身赴任で、奥さんも子供もいた。キミはそれを知らなかったのか……」
私の言葉に、影は小刻みに震えて自分の身体を抱く。その様子はまるで自分が被害者で、世界中の悲しみを背負ったヒロインが不幸に酔うような所作にも見えた。
「知っていた、わかっていた……でも、奥さんとは別れるって。彼は奥さんの愚痴ばかりで、私といるほうが幸せだといっていたから……」
よくある話だ。うまくいかないのは火を見るより明らかだ。
「私は友達を捨てて尽くしたのに……」
揺らぐ影は泣きそうな顔をしているくせに、随分と身勝手な言い分ばかりを並べている。
そもそも、この部屋に呪いをかけたのも逆恨みのようなものだろう。どうしてその責任を私がとらなければいけないのだ。騙す相手は当然に良くないとは思うが、騙されてしまった自分の立ち振る舞いなども見直した方がいいのではないか。
不倫だと最初から分かっていたのに勝手に飛び込んだのならなおさらで、自分が傷ついたら他人を恨むなど私からすると身勝手だ。友人を捨てたというが、友人にその境遇を話せば離れていくのも至極当然だろう。それでも残っているのは友人としてではなく不倫女がどのような顛末をたどるのか見届けてやろうという野次馬根性丸出しの部外者に違いない。
「えっと、この人の怨嗟どうしましょうか」
青年はキリキリと音をたてながら影を締め付ける。
依頼人は私だから私に処遇を聞いているのだろうが、不倫女の逆恨みなど心底どうでも良かった。
「私はこの部屋に妙な現象がおこらなければそれでいいんだ。除霊……除念なのか? そういうのは出来るのかい」
「俺はそういうの得意じゃなくて……別料金でもう一桁くらい多めに出してもらえればやってもいいんですけど、通常メニューじゃないですね、オプションです」
「拝み屋の業界もマッサージみたいにオプションなんて概念で動いているんだねぇ。だけど、私怨に私の私財を投じるのは少しばかりしゃくに障るね。通常メニューで出来る範囲では何が出来るのかな」
「この呪詛をそのままの勢いで相手にブチ返すのが、一番簡単ですね。元の場所に戻すだけですから」
「ふぅん……それをやると、彼女はどうなるのかな」
私の問いかけに、青年は悪戯っぽく笑って見せた。知る必要はないということか、あるいは青年もよく知らないのかもしれない。
「じゃぁ、一番簡単な方法で処理してくれないかな。もともと彼女のものみたいだしね」
悪いのは彼女だけではないというのも分かっていたが、私まで利用した上に迷惑をかけてもいいとさえ思われていたのは流石に頭にくる。彼女を騙した男も一発くらい殴ってやりたいが、単身赴任で他の女に手を出すような輩だ。きっと他でもやらかしてろくでもない道をたどっている事だろう。
「わかりました、じゃ……矢を射るように元の場所へ穿つということで」
青年は年相応の屈託ない笑みを浮かべると、言葉通り矢を射るような所作を天井へ向ける。灰色がかった影は青年の指先にあつまり矢のような形になると、射貫く仕草をした青年の動きにあわせ天高く飛びそして消えていった。
消える間際、男とも女ともつかぬ叫びが部屋全体に響き渡り、真横を電車でも通った時のように窓枠や部屋がぐらぐらと揺れたがそれっきり、あの部屋に異常は起きていない。
青年は役目が終わったしゲン担ぎに少し良い事がおこるようまじないをした、なんて言っていたがその後良い借り手がつき、今でも何ら問題なく住んでいるようだ。
しばらくは忙しさもあって幽霊騒ぎなど記憶から薄れていたところだが、マスターの言葉で思い出してしまった。
あの時、彼は元の場所に返すと行っていた。それでどうなるのか、詳しくは言わなかった。
マスターはきっと彼女がどうなったのか知っているのだろう。私が聞かなかったのは、あの時彼女のところへ戻すと決めたのは私であり多少の責任を感じてしまっているからだ。
「人を呪わば穴二つ、といいまして、この穴は墓穴のことです。呪いをかけた時には自分も死ぬ覚悟じゃなきゃいけない。殺すつもりなら殺されるつもりじゃないといけないんで、彼女がどうなっても自己責任ってやつですよ」
去り際に青年はそう言って笑っていた。
私が妙な罪悪感を覚える事のないよう気を遣ってくれたのが、今ならわかる。
「マスター、あの、彼女の……彼女の好きだった酒をもらっていいかな。モスコミュールだっけ」
私の注文に、マスターは静かに頷いて笑う。
私もきっと彼女がどうなったか聞かないかわりに、僅かな罪悪感を酒で流す事にした。
けっきょく私には、こうすることくらいしか出来ないのだから。
多忙な日々が続き息つく間もなかった仕事にようやくけりが付き、自分へのご褒美のため随分とご無沙汰になっていた行きつけのBARへと赴いた。
久しぶりにあったマスターと他愛もない雑談を交わし、いつも飲むウイスキーをロックで傾ける。照明の加減といい、流れる音楽といい、マスターとの会話といい、客層といい、全てが私好みの秘密基地で程ほどに酔いが回った頃、ふとマスターは思い出したように私を見据えた。
「そういえば、ご存じでしたか。よく、貴方が飲んでいる時にお隣に座っていたご婦人の話なんですけれども」
ウイスキーを傾けていた私は、彼女の顔より先に百足の紋様を思い浮かべる。
そして静かに首を振るとマスターの言葉を留めた。
「ごめんね、マスター。彼女の話はききたくないんだ。最後にあったのは随分と前だけれども、あまり良くない別れ方をしたから」
マスターは察したように頷くとそれ以上何も詮索することもなく、サービスと言いながら普段飲まないウイスキーを私の方へ差し出した。
「普段お飲みになっているウイスキーがお好きでしたら、きっとこちらも気に入ると思いますよ」
嫌な事を思い出さないよう、マスターに気を遣わせてしまったようだ。
私は小さく頭を下げると、あの日の出来事を思い返していた。
「えぇ、何で俺を呼んだんですか。こういうの専門外ですよぉ」
一切の家具が置かれていない賃貸アパートの一室で、まだ年若い男は困ったような顔をすると鼻の頭を掻いていた。
顔立ちはまだどこかあどけなく、身体も完成されていない。年齢は10代半ばか後半程度、高校生くらいか、もっと年かさだとしても大学生くらいだろう。 左手の手首には黒く磨かれた数珠をしている他は特徴らしい特徴はない、どこにでもいる普通の青年に見える。
「でも、あなたは有名な拝み屋さんなんですよね。そう聞いているのですけれども」
私がそう問えば、青年は大げさなくらい驚いて見せた。
「えぇっ!? そういう事になってるんですか。どこで話が入れ違っちゃったんだろうなぁ、俺はその。除霊とか浄霊っていうんですか。そういうのは専門外で、どちらかというと逆の方の人間なんですけど」
「逆のほう……?」
意味もわからぬまま私が首を傾げるのを見て、青年は「何でもないです、こっちの話なので」と小さく首を振ってみせた。
だが、彼が専門外となるとどうしたらいいのだろう。伝手をたどってやっと見つけたというのに。私はすっかり途方に暮れてしまった。
ここは私の管理しているアパートの一つになる。
私はいくつかの貸しビルやアパートをもっており、それを貸して生計を立てている身の上なのだ。そう言えばサラリーマンから「不労所得で楽して収入がもらえて気楽なものだ」とうらやましがられるが、オーナーというのも結構仕事が多い。 持ちビル周辺の管理として掃除などはこまめにやらなければいけないし、住民同士のトラブルも解決しなければならない。備品が壊れた時の修理依頼もあれば家賃を払わない住人への取り立てや、夜逃げをして消えた住人の荷物整理もある。 時には部屋で死んだ遺体を処理しなければいけないのだから人が言うほど気楽な仕事ではないだろう。
私の場合、多少なりとも働きながら物件を管理しているから忙しさは殊更で休日に趣味を楽しむ時間すらろくにない有様だが、これは両親の死後思わぬ不動産を目先の欲につられ後先考えず相続したのだからしかたないだろう。
そんな私の頭を悩ませていたるのがこの、六畳キッチンつき、風呂トイレ別という好立地の賃貸アパートだった。
立地上は何ら問題はない。駅もコンビニもスーパーも徒歩圏内にあり、近場には商店街まであるという良物件といっていいだろう。 だがこの3年ほど、この部屋にかぎって人がまったく居着かないのだ。新しい入居者がやってきても皆、半年たたず逃げるように解約していく有様で、あまりに人が居着かないのでどうしてこんなに早く解約したのか聞けば、皆口をそろえて「幽霊が出る」と言うではないか。
まさかそんな事はと思っていたが、皆がみな一様に黒髪で痩せぎすの女が立っている。いつもカーテンのそば、窓のあたりにいると、同じ場所で同じ姿をした女の話を聴かされれば、幽霊など眉唾だと疑っていた私でも無碍にするわけにはいかなくもなるだろう。
それに、不動産を管理するようになってから同業者からはよく似たような話も聴くようになっていた。 何ら問題ない場所にあるというのに人がいつかないテナントは幽霊が出るとか風水が悪いとか、ゲン担ぎのような部分もあるのだろうがそんな話をする同業は多いのだ。
だが私はそんな話とは無縁だろうと思ってすごしてきたので、拝み屋や霊媒師の伝手など何ももっていなかったのだ。
これは今まで管理している不動産は親の代から幽霊騒ぎなどなく、アパートでは病死で亡くなった住人こそいたが自殺や殺人というような事件騒ぎは一切なかったので自分とは無縁のトラブルだろうと決めつけていた私も悪いのだろう。実際、あまりオカルト騒ぎなど信じておらず話を聴いても他人事にとらえていたし、やれお祓いをした、除霊をしたといったオーナーの話も眉唾で聞いていたので、いざ自分の所にそれが舞い込んできた時、何のノウハウももっていなかったのだ。
ひとまず、神社や仏閣に電話をしてみたが存外と除霊をやっている所は少なく、幽霊が出るからお祓いをと言えば「そんなものおりません、魂はみな成仏するものですから」とご丁重にお断りされる始末。やっとの思いで連れてきた拝み屋らしい人物も「これはちょっと自分には手に負えないです」なんて青ざめた顔で言って逃げ出してしまったから、どうしたものかと悩んでいたところ、行きつけのコーヒーショップにいるオーナーが「知り合いがオカルトに詳しいから」と言っていたのを思いだし、藁にも縋る思いで連絡をとってもらってようやくやってきた「凄腕の使い手」というのがこの青年だったというわけだ。
「そんな、専門外だなんて。やはりそれだけ強力な霊がいるのでしょうか」
私には何ら普通の部屋にしか見えないのだが、実際ここの住人は誰しもが女の影を見たという。私は一番よく女が立っているという窓辺へ視線を向けると何か見えるか目を細めた。カーテンも取り付けられてない一階の部屋からは雑に草が刈られた小さな庭の向こうから曇り空が覗くだけだ。
「強力な霊とかじゃないんですよね、えぇと、霊ジャンルでいうと生き霊って奴になるんでしょうか。これ、呪いなんですよ。この部屋に住んでる人間を、どこかの誰かが執拗に呪っているだけなんです」
青年は事もなげにそう告げながら、窓枠の端へこしかけフローリングに触ってみたり窓を開けて室外機が何とかおける程度の狭い庭をのぞき込んだりしている。
「たぶん、この部屋に以前住んでいた男の人を呪っていたんだと思うんですよね。痴情のもつれ、って奴でしょうか。彼女がいるのをかくして他の女と付き合うとか、奥さんと別れるなんて甘い言葉を吐いて不倫するとか、そういうのってよくある話ですよね。そのよくある話の中にある、よくある怨嗟のもつれがこの場所に楔をうち巣くってしまったと。まぁそんな話です」
私は青年の話をどこか他人事のように聞いていた。
手前のアパートながらどうにも実感が沸かないのは、やはり自分の目で見る事がないからだろう。
青年の語る男女の色恋はよくある話だろうと思うし、私も住人の婚姻関係は把握していても恋愛にまではつっこんで話などしないから、この部屋を借りた人間の中には女性関係にルーズな輩も一人くらいはいただろう。
だが、彼は何でそんな話をするのだろうか。バーナム効果という奴を狙った話術の一つなのだろうか。何処にでもある話を家主である私に聞かせて除霊などに説得力をもたせようというのが彼のやり口なのかもしれない。
ぼんやりとそんな事を考える私をよそに、青年は自分のこめかみあたりをぐるぐる回すと記憶をたぐり寄せるように話をし出した。
「うーん、時期は2年? いや、3年くらい前かな。見た目は普通のサラリーマンっぽい人だね、顔立ちは年齢より少し幼い頼りない雰囲気で、いつも猫背で、どちらかというと中性的な印象かな。ぱっと見て誠実そうなんだけど、息を吐くように嘘をつくのがクセになってる。眼鏡をかけてて、笑うとやけに卑屈そうに見えて、その笑い顔がちょっと人の苛立ちを誘うタイプの。うん、見た目は本当に普通の人だよ。彼女が呪ってるのは、その人だ。最もこの場所には2年半ほど前に引っ越してもういないんだけどね」
青年の言葉を聞いて、私は思わず息をのむ。
ちょうど二年半前、確かに青年のいうような入居者がここに住んでいたからだ。
決して派手な外見ではなく大人しそうな印象だが、引きつったような笑顔を浮かべるのだけが妙に白々しい所があって私はあまり好かなかったが、家賃を滞納する訳でもなければうるさく騒ぎ立てる訳でもなくあまり気にしていなかった。
思えば彼が引っ越して以後、この場所に人が居着かなくなったのだ。
「その人が、二股して? うん、二股じゃない? 結婚の約束をしていたのにそれを裏切られた、みたいな話で呪ったんだけど、その人当人じゃなくてこの場所の印象が強くて、この場所で呪いが発動しちゃってるやつなんですよねー、これ。あ、だから俺の担当だと思ったのかな。霊とは若干違うジャンルなんで。でも、こういうのも拝み屋なら俺より安全に対処できると思うんだけどなぁ」
まるでそこに人がいるかのように青年は何かと話すような素振りをして私の方を向き直る。
「えぇと、俺は拝み屋じゃなくて呪術師の方なんで、この手の呪いや怨念は基本的に払ったり浄化したりじゃなくて、誰かにぶつけたり相手に戻したりするか、カルピスの原液に水を足して薄めてしばらく様子を見るかとか、そういう方面での対処しか出来ないんですけどいいですか」
何を言っているのかもうよくわからない。
私は以前、ここに住んでいた人の良さそうだがどこか卑屈な笑みを浮かべる住人のことを思い出していた。たしか、単身赴任で5年ほど住む予定だったはずだ。契約より早く出ていくことになったのは、予定より早く本社に戻るよう要請を受けたからだと言っていた。一人暮らしだが、妻子を残していたし単身赴任中に新しい我が子を授かっていた気がする。
「いいですよ、何でも。ここで幽霊騒ぎがなくなってくれるのなら有り難いので」
私は正直に今の気持ちを伝えた。
もう、呪いでも幽霊でも何でもいなくなってくれればいい。それが私の素直な気持ちだったのだ。
「じゃぁ、とりあえず呪いの主に話をきいてみたいと思うのでお客さんにも見えるようにやってみますね」
青年はそう言いながら、人の形に切り抜いた紙を取り出す。
本当に、彼は何を言っているのだろう。何でもいいから早くしてほしい。 全てが面倒になってきた私は「それでいいです」と適当な相づちし、青年の行動を事を見守った。
彼は手にはめていた数珠を右手にもちかえると人の形を摸した紙切れをライターで燃やし灰にした後
「天網恢々疎にして漏らさず、我が名いかるがが汝の呪詛たる念をここに受け確かめたり。いま、その姿を顕在させ我に汝が恨み、苦悩、憤怒、そのほか諸々の思いを露わにせよ。さすればその痛み、一時おさめたらんことを」
なんて、呪文にしては存外に聞き取りやすい言葉をつらつらと述べる。
そうして片隅にぼんやりと現れたのは、髪の長い陰気そうな影であった。
「あ、おッ、女の幽霊……」
今まで何もなかったその場所に、確かに人の影がある。顔や姿ははっきりわからないが、ボブカットくらいの髪をした女という形だけはわかる。突然立ち上るように現れた影を前に、いったいどんなまやかしを使われたのか、手品か何かじゃないかという疑いより「これは幽霊だ」「彼は本当に霊を呼び出したに違いない」と思ってしまったのは、青年が拝み屋と紹介されたことと、私が事前に女の霊が出る事を聞かされていたからだろう。
「髪の短いやせぎすの、古びた寝間着……」
徐々に浮かび上がる容姿を見て、私はつい声をあげる。それは、今まで逃げ出した入居者たちが見たという女の容姿そのものだった。
幽霊といえば何とはなしに髪が長く、黒だか白だか赤だかのワンピースを着ているというイメージがあるのだが、ここで見える女性は髪が比較的に短く、服装も着古したような寝間着姿であることが多かったのだ。
「あっ、急に出しちゃってすいません。いちおう、お客さんにも見えるようにしたほうがいいかなぁと思って。えっと、本当なら俺だけで対話してもいいんだけど、この人の場合あなたにも見えた方がいいかなぁと思ったんで……今、見えるようになったのは俺が力添えしたからですけど、もともとこの怨念は部屋についていたものなので基本的に見える人はここの入居者だけなんですよ。だから、住んでる人と、住んでる人がつれてきた友人・知人・恋人なんかには見えてしまうんですけど、持ち主である貴方には見えないし、まだ入居契約してない人にも見えない。どうして場所についちゃったのかは、最初に呪った男が相手に告げてた名前もデタラメだったからですね。呪詛って不確定要素が多いから、簡単な事で不安定になっちゃうんです。名前と顔が一致してないなんて事でもちゃんと動作しないで、こうやって場所に着くみたいな不具合が起きちゃうんですよ」
青年は髪の毛をくしゃくしゃに掻きながら懸命に説明する。どうやら私にもわかるように説明しようとしているようだが、話の全てが突飛すぎて目の前でおこっていることでもとても現実味がなかった
「どうして、私にも見えるようにしたほうがいいと思ったんでしょうか……」
私は辛うじて気になった所だけを口にする。すると青年はまた髪の毛をくしゃくしゃにかき回すと浮かぶ影を一瞥した。
「えぇと、このひと、貴方の知り合いなんです。話したらそうだっていうから。今、もうちょっと顔とかハッキリ映しますね」
青年はそう言いながら手元の珠を伸ばす。数珠のように見えていたそれは百足をあしらった長い紐状のアクセサリーのようだった。 木彫りのビーズをいくつも連ねおり、モチーフが百足というのもあってアクセサリーと言うより随分と禍々しい見た目ではある。
「ダメじゃないですか、そんなぼんやりとしか姿を現さないのは卑怯だと思いますよ。ほら、もっとしっかりコッチに顔を見せてくださいって」
青年は百足を模した紐を腕に巻き付けると強く引き締め上げるような所作をする。するとぼんやり立っていた幻影のような女は小さく悲鳴をあげ薄ぼんやりした灰色から白黒写真くらいには鮮明な姿へと変化していった。
「いや、まさか。キミは……」
現れた姿を見て、私は驚きの声をあげる。 彼女は確かに見た事のある顔だったからだ。
出会ったのは半年ほど前だったろうか。彼女はBARで飲んでいた私の隣に座り、他愛もない話をしてきた。 私は独り身だったしBARに行くのも人恋しかったからで話しかけてきた彼女は実に都合の良い相手で、それから何度か顔を合わせ話をし、ただの顔見知りより深い関係になっていた。恋人と言うほど特別な仲ではないが、ただの知り合いほど浅い関係でもないと言えるだろう。
見知った彼女を前に困惑する私に、彼女の顔をした影は申し訳なさと悪事を開かされた気まずさと両方を抱いた表情を向けていた。
「私は、あなたがこのアパートのもちぬしだとしっていました」
声がする。青年の声ではないが、私の知っている彼女の声とも違うもっとしゃがれた老婆のような声だ。
「しっていて、貴方に近づいたのは私を捨てた憎いおとこがどこに居るのか知るため。あなたなら、引っ越し先を知っているのではと思って、利用した……好きでもないあなた、あなた、何も教えてくれなかった……」
「お、教えるも何もきみがあの男を捜していたなんて知らなかったよ私は。いや、仮に知っていたとしても顧客の情報を他人に言う訳がないだろう」
私はつい、声を出す。この影と話をしているのか、話が通じるのか、相手に聞こえているのかと色々疑問はあったが、一方的に言われるのは筋違いな気がしたからだ。
「恨める場所がそこしかなかった……あぁ、あなたが何も教えてくれないから、あなたが意地悪だから、あなたに迷惑がかかるのも別にいいと、そう思って……」
どうやら相手にもこちらの言葉は届くらしい。私はたどたどしい記憶の向こうから、以前ここに住んでいた人物のことを思い出していた。
「まて、件の入居者は元々既婚者だぞ、単身赴任で、奥さんも子供もいた。キミはそれを知らなかったのか……」
私の言葉に、影は小刻みに震えて自分の身体を抱く。その様子はまるで自分が被害者で、世界中の悲しみを背負ったヒロインが不幸に酔うような所作にも見えた。
「知っていた、わかっていた……でも、奥さんとは別れるって。彼は奥さんの愚痴ばかりで、私といるほうが幸せだといっていたから……」
よくある話だ。うまくいかないのは火を見るより明らかだ。
「私は友達を捨てて尽くしたのに……」
揺らぐ影は泣きそうな顔をしているくせに、随分と身勝手な言い分ばかりを並べている。
そもそも、この部屋に呪いをかけたのも逆恨みのようなものだろう。どうしてその責任を私がとらなければいけないのだ。騙す相手は当然に良くないとは思うが、騙されてしまった自分の立ち振る舞いなども見直した方がいいのではないか。
不倫だと最初から分かっていたのに勝手に飛び込んだのならなおさらで、自分が傷ついたら他人を恨むなど私からすると身勝手だ。友人を捨てたというが、友人にその境遇を話せば離れていくのも至極当然だろう。それでも残っているのは友人としてではなく不倫女がどのような顛末をたどるのか見届けてやろうという野次馬根性丸出しの部外者に違いない。
「えっと、この人の怨嗟どうしましょうか」
青年はキリキリと音をたてながら影を締め付ける。
依頼人は私だから私に処遇を聞いているのだろうが、不倫女の逆恨みなど心底どうでも良かった。
「私はこの部屋に妙な現象がおこらなければそれでいいんだ。除霊……除念なのか? そういうのは出来るのかい」
「俺はそういうの得意じゃなくて……別料金でもう一桁くらい多めに出してもらえればやってもいいんですけど、通常メニューじゃないですね、オプションです」
「拝み屋の業界もマッサージみたいにオプションなんて概念で動いているんだねぇ。だけど、私怨に私の私財を投じるのは少しばかりしゃくに障るね。通常メニューで出来る範囲では何が出来るのかな」
「この呪詛をそのままの勢いで相手にブチ返すのが、一番簡単ですね。元の場所に戻すだけですから」
「ふぅん……それをやると、彼女はどうなるのかな」
私の問いかけに、青年は悪戯っぽく笑って見せた。知る必要はないということか、あるいは青年もよく知らないのかもしれない。
「じゃぁ、一番簡単な方法で処理してくれないかな。もともと彼女のものみたいだしね」
悪いのは彼女だけではないというのも分かっていたが、私まで利用した上に迷惑をかけてもいいとさえ思われていたのは流石に頭にくる。彼女を騙した男も一発くらい殴ってやりたいが、単身赴任で他の女に手を出すような輩だ。きっと他でもやらかしてろくでもない道をたどっている事だろう。
「わかりました、じゃ……矢を射るように元の場所へ穿つということで」
青年は年相応の屈託ない笑みを浮かべると、言葉通り矢を射るような所作を天井へ向ける。灰色がかった影は青年の指先にあつまり矢のような形になると、射貫く仕草をした青年の動きにあわせ天高く飛びそして消えていった。
消える間際、男とも女ともつかぬ叫びが部屋全体に響き渡り、真横を電車でも通った時のように窓枠や部屋がぐらぐらと揺れたがそれっきり、あの部屋に異常は起きていない。
青年は役目が終わったしゲン担ぎに少し良い事がおこるようまじないをした、なんて言っていたがその後良い借り手がつき、今でも何ら問題なく住んでいるようだ。
しばらくは忙しさもあって幽霊騒ぎなど記憶から薄れていたところだが、マスターの言葉で思い出してしまった。
あの時、彼は元の場所に返すと行っていた。それでどうなるのか、詳しくは言わなかった。
マスターはきっと彼女がどうなったのか知っているのだろう。私が聞かなかったのは、あの時彼女のところへ戻すと決めたのは私であり多少の責任を感じてしまっているからだ。
「人を呪わば穴二つ、といいまして、この穴は墓穴のことです。呪いをかけた時には自分も死ぬ覚悟じゃなきゃいけない。殺すつもりなら殺されるつもりじゃないといけないんで、彼女がどうなっても自己責任ってやつですよ」
去り際に青年はそう言って笑っていた。
私が妙な罪悪感を覚える事のないよう気を遣ってくれたのが、今ならわかる。
「マスター、あの、彼女の……彼女の好きだった酒をもらっていいかな。モスコミュールだっけ」
私の注文に、マスターは静かに頷いて笑う。
私もきっと彼女がどうなったか聞かないかわりに、僅かな罪悪感を酒で流す事にした。
けっきょく私には、こうすることくらいしか出来ないのだから。
PR
COMMENT