インターネット字書きマンの落書き帳
グレゴールは知っていたのだろうか(リンバス)
リンバス一章をクリアしたのかな?
した……多分した!
そう思ったので記念に書いてみました、グレゴールとカフカの「変身」の話です。
グレゴールは出ません!
グレゴールは出ないけどグレゴールの二次創作。
そう言い張ってもきっと大丈夫だよねッ。
した……多分した!
そう思ったので記念に書いてみました、グレゴールとカフカの「変身」の話です。
グレゴールは出ません!
グレゴールは出ないけどグレゴールの二次創作。
そう言い張ってもきっと大丈夫だよねッ。
『グレゴールはザムザ青年を知っていたのだろうか』
グレゴールは知っていただろうか。
「変身」という物語のことを。
その物語が、毒虫に生まれ疎まれた男の悲哀を書いたものだということを。
青年は、目覚めた時にすでに虫となっていた。
拒否権もなく、全長もなく、目覚めたら巨大な毒虫になっていたのだ。
言葉をかわす事も出来ず、満足に動く事もできない、醜いだけの巨大な虫に。
故に男は拒まれた。
それまでは一家のためにと身を粉にして働き、給金を預けて家族に楽な生活をさせることを生きがいとしてきた男だ。
仕事があまり出来なくとも、懸命に己の任務には忠実であった。
さして稼ぎがなくともそれで良かった。ただ家族が仲良く暮らしていられれば、男はそれでよかった。
それ以上は望まなかった。
男の望むことなどおおよそ市井に生きるものから見てもささやかで贅沢とは言えぬ望みだったに違いない。
だが、青年は毒虫になった。そして望みの全てが断たれ、孤独を与えられたのだ。
家族はそれまで自慢にしていた長男をひた隠しにするようになり、室内から一歩も出さなかった。
男もまた自分の姿を恥として、外に出ようとしなかった。
外に出なかったのは変貌に対する羞恥心か、それとももっと単純に手足が外に出る形をしていなかっただけなのか。
家に籠もり、餌を与えられる生活を続けたザムザ青年は、最後に愛した家族に殺されるのだ。
愛した妹に毒虫と呼ばれ、食事用に運ばれた硬いリンゴを投げつけられて、その傷のせいで死に至るのだ。
あれだけ愛して、慈しみ、支えようと懸命に接していた家族のなかでも最も愛していた妹に。
家族は男が。いや、毒虫が死んだのを見届けると、ようやく安寧が訪れたかのように笑顔を見せる。そして久しぶりに旅行をするのだ。
自分たちの家族に、毒虫がいるなんてことを誰も知らない遠い場所まで出向いて笑うのだ。
きっとその毒虫が、かつて家族が愛し自慢にしたザムザ青年である事など思い出す事もないのだろう。
「カフカの書いた変身という物語ですね」
振り返ればファウストが私の後ろに立っている。
誰かに伝えるつもりはなかったが、彼女は何でもお見通しだ。こちらの考えていることくらい、分かっていたんだろう。
グレゴールは、この物語の主人公であるグレゴール・ザムザと同じ境遇にあり、だが真逆の道をたどった言えただろう。
全身が毒虫に変わり果てたザムザ青年と違い、グレゴールの変化が如実なのは右腕だけだ。
頭も身体も虫そのものに変貌している実験体(と、呼ぶのには流石に抵抗があるが)と比べても、腕だけが変貌しているグレゴールはよほどマシな方だろう。
そして、シンボルとして堂々とポスターに載せられプロパガンダの材料としていい笑顔で希望に溢れる未来を示している。
元々男前なのもある。写真が輝く未来を投影しているように見えたのもあったろう。
実際グレゴールの後を追うよう施術をし、そして多くは虫へと変貌した。
リンバス・カンパニーにいるグレゴールのようにではなく、カフカの描いた物語「変身」のザムザ青年のように無様な姿になり、疎まれ、そして死んだのだ。
「ザムザ青年は望まなかった。望んで施術を受けた人とは違います」
ファウストは抑揚のない声でいう。
確かにそうだ、彼らは自ら選んで毒蠹となった。だが、選択肢の乏しい世界で知識も与えられず迫られたのなら、それは望まない変化だったのではないか。
あぁ、それにしても皮肉だ。
旧L社にはフランツ・カフカを読む趣味の人間がいたのだろうか。
それともL社にはリンゴをモチーフにした幻想体をやたらと飼っていたのだろうか。
リンゴを投げて兄であった毒虫を殺した妹。
妹と同じ年頃の娘をリンゴに食われ殺されたグレゴール。
まるで対比するかのような、おあつらえ向きの舞台じゃないか。
踊っていたのだろうか、俺も、グレゴールも、ユーリも。全て。
(どうせ踊るなら楽しい踊りがいい。ワルツでも、何でも……)
俺はわずかに空を仰ぐが、どこまでも闇に包まれた灰色の空しか見えやしない。
まったく、忌々しい。そう思う俺へ、ファウストは手を伸ばした。
「お教えしましょうか?」
何を。
「ダンスを。ワルツでも、タンゴでも、パトソブレでも。一通りは、教えられると思います」
俺は無意識に苦笑する。とはいえ顔はわからないだろう。
いいさ、ここでは役に立つと思えない。
俺はファウストを拒絶すると、静かにその場を立ち去った。
最愛の家族に疎まれて殺される孤独と、英雄となり多くの見知らぬ若者を死地へと追いやる孤独。
果たしてどちらが空しいのだろう。
そんなことを、考えながら。
グレゴールは知っていただろうか。
「変身」という物語のことを。
その物語が、毒虫に生まれ疎まれた男の悲哀を書いたものだということを。
青年は、目覚めた時にすでに虫となっていた。
拒否権もなく、全長もなく、目覚めたら巨大な毒虫になっていたのだ。
言葉をかわす事も出来ず、満足に動く事もできない、醜いだけの巨大な虫に。
故に男は拒まれた。
それまでは一家のためにと身を粉にして働き、給金を預けて家族に楽な生活をさせることを生きがいとしてきた男だ。
仕事があまり出来なくとも、懸命に己の任務には忠実であった。
さして稼ぎがなくともそれで良かった。ただ家族が仲良く暮らしていられれば、男はそれでよかった。
それ以上は望まなかった。
男の望むことなどおおよそ市井に生きるものから見てもささやかで贅沢とは言えぬ望みだったに違いない。
だが、青年は毒虫になった。そして望みの全てが断たれ、孤独を与えられたのだ。
家族はそれまで自慢にしていた長男をひた隠しにするようになり、室内から一歩も出さなかった。
男もまた自分の姿を恥として、外に出ようとしなかった。
外に出なかったのは変貌に対する羞恥心か、それとももっと単純に手足が外に出る形をしていなかっただけなのか。
家に籠もり、餌を与えられる生活を続けたザムザ青年は、最後に愛した家族に殺されるのだ。
愛した妹に毒虫と呼ばれ、食事用に運ばれた硬いリンゴを投げつけられて、その傷のせいで死に至るのだ。
あれだけ愛して、慈しみ、支えようと懸命に接していた家族のなかでも最も愛していた妹に。
家族は男が。いや、毒虫が死んだのを見届けると、ようやく安寧が訪れたかのように笑顔を見せる。そして久しぶりに旅行をするのだ。
自分たちの家族に、毒虫がいるなんてことを誰も知らない遠い場所まで出向いて笑うのだ。
きっとその毒虫が、かつて家族が愛し自慢にしたザムザ青年である事など思い出す事もないのだろう。
「カフカの書いた変身という物語ですね」
振り返ればファウストが私の後ろに立っている。
誰かに伝えるつもりはなかったが、彼女は何でもお見通しだ。こちらの考えていることくらい、分かっていたんだろう。
グレゴールは、この物語の主人公であるグレゴール・ザムザと同じ境遇にあり、だが真逆の道をたどった言えただろう。
全身が毒虫に変わり果てたザムザ青年と違い、グレゴールの変化が如実なのは右腕だけだ。
頭も身体も虫そのものに変貌している実験体(と、呼ぶのには流石に抵抗があるが)と比べても、腕だけが変貌しているグレゴールはよほどマシな方だろう。
そして、シンボルとして堂々とポスターに載せられプロパガンダの材料としていい笑顔で希望に溢れる未来を示している。
元々男前なのもある。写真が輝く未来を投影しているように見えたのもあったろう。
実際グレゴールの後を追うよう施術をし、そして多くは虫へと変貌した。
リンバス・カンパニーにいるグレゴールのようにではなく、カフカの描いた物語「変身」のザムザ青年のように無様な姿になり、疎まれ、そして死んだのだ。
「ザムザ青年は望まなかった。望んで施術を受けた人とは違います」
ファウストは抑揚のない声でいう。
確かにそうだ、彼らは自ら選んで毒蠹となった。だが、選択肢の乏しい世界で知識も与えられず迫られたのなら、それは望まない変化だったのではないか。
あぁ、それにしても皮肉だ。
旧L社にはフランツ・カフカを読む趣味の人間がいたのだろうか。
それともL社にはリンゴをモチーフにした幻想体をやたらと飼っていたのだろうか。
リンゴを投げて兄であった毒虫を殺した妹。
妹と同じ年頃の娘をリンゴに食われ殺されたグレゴール。
まるで対比するかのような、おあつらえ向きの舞台じゃないか。
踊っていたのだろうか、俺も、グレゴールも、ユーリも。全て。
(どうせ踊るなら楽しい踊りがいい。ワルツでも、何でも……)
俺はわずかに空を仰ぐが、どこまでも闇に包まれた灰色の空しか見えやしない。
まったく、忌々しい。そう思う俺へ、ファウストは手を伸ばした。
「お教えしましょうか?」
何を。
「ダンスを。ワルツでも、タンゴでも、パトソブレでも。一通りは、教えられると思います」
俺は無意識に苦笑する。とはいえ顔はわからないだろう。
いいさ、ここでは役に立つと思えない。
俺はファウストを拒絶すると、静かにその場を立ち去った。
最愛の家族に疎まれて殺される孤独と、英雄となり多くの見知らぬ若者を死地へと追いやる孤独。
果たしてどちらが空しいのだろう。
そんなことを、考えながら。
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