インターネット字書きマンの落書き帳
最愛の父と、最愛だが最も憎い母の話。
今よりまだ子供だった頃に押してもらっていた「夏休みのスタンプ」が出てきた。
それはお手伝いをしたら押してもらえるスタンプで、全部たまったらファミレスで食事をしたり、市営プールに連れて行って貰えたりする。
今考えれば子供だましのお手伝い券だったが、それでも父と一緒に遊んでもらえるのが嬉しくて、朝早くに新聞を取りにいったり、花壇に水をやったりと手伝いに勤しんだのを覚えている。
「懐かしいなぁ、こんなものまだ残っていたんだ」
押し入れに入れた古いノートや教科書を処分しようと思って一つにしている時に、偶然見つけたそのスタンプは全部押されているが、何の願い事もしてないようだった。
きちんと「願い事」をしていれば、それはには「お願い」を書いておき、それを両親が見て、きちんと叶えたら花丸をつける……というのが決まりになっていたのだが、そのスタンプ表は何も書かれていないからだ。
スタンプをつけはじめた時。
その夏の終わり頃には母親が急に体調を崩しがちになり入退院を繰り返すようになったからだろう。
母はその後3年ほど闘病し、結局その病が元で亡くなってしまったのだが……。
(きっと、あの時のゴタゴタで……スタンプは押してもらっていたけど、使わないままになってたんだろうな……)
あの時、父は病院と仕事場を往復するコトが多かった。
一人っ子だったから、夜は田舎からきてくれた祖父母と過すコトが多くて、子供ながらにこのスタンプは使えないと思い、しまい込んでいたのだろう。
母が亡くなった時、確か自分は中学生になっていた。
一通りの家事は出来るようになっていたから、多忙な父に代りそれからは自分が家事などを手伝い、父のサポートをしてきたが……。
(……今、願いを叶えて貰えるなら。僕は、何を望むだろう)
いっぱいになったスタンプをテーブルの上に置くと、母の遺影を前に手をあわせる。
夏休みのころ、「お手伝いをしたらスタンプをもらえる」みたいな……。
そんな小さなお手伝いポイント、もらったりしませんでした?
ぼくは特にしませんでしたが。(野生の猿だったのでお手伝いの概念をもっていなかった)
何とはなしにそんな「お手伝いをしたらご褒美をもらえるシステム」のネタを思いついて……。
押しCPとかの話にならんかな……と考えたんですが、どうにも俺の推しには当てはまらなかったので、架空の「父と息子」の話にしました。
子供の頃に使っていた「お手伝いスタンプ」のご褒美を今もらおうと思う、父にたいして強い愛情を抱いている息子の話です。
業が深い!
『嫉妬心は傲慢で、恋心は臆病で』
いつからだろう。
母を偲ぶ時、悲しみよりも嫉妬の方が強くなっていったのは。
父に愛され、家族に愛され、早すぎる命を終らせた故に父にとって「永遠の恋人」になってしまった母に対して、どうやったって届かないという敗北感を抱くようになったのは。
『おまえもいい年なんだから、身を固めたらどうだ?』
そう言われてもどうにも気乗りしなかったのは、父の傍にいたかったからだろう。
仕事ばかりで身の回りのコトを自分に任せっぱなしだったから、今の父を一人にしたらきっとろくなものを食べないなんて心配は建前で、ただ帰ってくる父を迎え続けていたいと、そう思ったからだ。
父は母を偲び、命日には一人酒を傾ける。
その背中は泣いており、今でも母を愛しているのがわかる。
それでも彼にとって父は誰よりも尊敬し、誰よりも愛しいと思える存在だった。
あるいは、彼の人生において「父に注いだ時間」があまりにも長く大きかったから、もう「他の誰か」を考える余裕がないか。
それだけ長く献身してきた時間に何かしらの「見返り」を求めてしまっているのかもしれないが。
「今帰ったぞ、遅くなったな」
午前零時を回る頃、ようやく父は帰ってきた。
この時間になると何かしら食べているはずだ。
「おかえり、父さん。何か食べるかい? それとも飲み物でも」
「そうだな……シャワーを浴びてくるから、冷たいコーヒーをいれておいてくれ」
鞄を預けすぐに浴室へ向う父を見送り、言われた通りアイスコーヒーを作る。
父がいつ帰って来ても大丈夫なようにと、彼は在宅で出来る仕事を選んだ。それ故にコーヒーメーカーはいつだって稼働している。
言われた通り冷たいアイスコーヒーをつくれば、出来上がったのと殆ど同じタイミングで父が現れた。
「悪いな」
「いいよ、それより父さん。見てこれ」
彼はコーヒーを差し出して、すぐにスタンプがいっぱいになったカードを見せる。
父は一瞬怪訝そうな顔をしたが、それが何だか理解すると懐かしそうに頬を緩めた。
「懐かしいな、おまえが小学生の頃に作ったカードか」
「うん」
忙しい父でも、このカードがいっぱいになった時は何とか休みを作ってくれた。遠出は無理だったが、父と遊んで貰える。ただそれだけのコトが嬉しかったのだ。
「イッパイになっているな。何か欲しいものでもあるのか?」
父にとって、自分はずっと「息子」なのだろう。
それは事実で代りはない。
だからこんな昔の品を出してきても、子供を扱うようにそんな風に言うのだ。
「……父さん。僕は……もしこのカードがまだ使えるなら、僕は……」
あなたに、愛されたい。
あなたの唇に触れ、あなたの腕に抱かれて、あなたの一番愛する人になりたい。
あなたに寄り添い、生きていたい……。
「僕は、父さんと久しぶりにゆっくり食事がしたいかな。昔、母さんと一緒にいった喫茶店で……今度の休みの日に、一緒に行こう」
その思いを飲み込んで、作ったような笑顔を向ける。
彼はずっと父にとって「良い息子」であり、これからもそうありつづけるべきなのだ。
それは、分っていたから。
「あぁ、いいな。久しぶりに……お前とゆっくり語るのも悪くない」
アイスコーヒーをすすりながら、父は穏やかな笑みを浮かべる。
その横顔を彼は、笑顔で眺めていた。
泣きそうな思いも、痛みも、悲しみも、そして愛しさも、全てを胸に封じ込めて。
PR
COMMENT