インターネット字書きマンの落書き帳
興家くんと利飛太さんと(真EDネタバレ有り・存在しない後日談)
パラノマサイトの真・EDに続いている、と書いている人が勝手に妄想している後日談です。
基本的に、真EDの後なんやーかんやーで色々なことがあった興家彰吾が蘇りの秘術たるものを全てこんなーかんなーする話ですよ。
ネタバレに配慮した結果、ふわっとした説明になっちゃったな。
今回は、櫂利飛太と接触する興家彰吾の話です。
利飛太……外見の印象とは裏腹に「デキる男」だな……なんて自分で書いてみて思うなどしました。
基本的に、真EDの後なんやーかんやーで色々なことがあった興家彰吾が蘇りの秘術たるものを全てこんなーかんなーする話ですよ。
ネタバレに配慮した結果、ふわっとした説明になっちゃったな。
今回は、櫂利飛太と接触する興家彰吾の話です。
利飛太……外見の印象とは裏腹に「デキる男」だな……なんて自分で書いてみて思うなどしました。
『異形なるもの』
街は日々姿を変え過剰なほど人や物が溢れかえるようにはなったが、それでもまだ夜は暗く静かで人の姿など消え失せてしまう区画も少なくない。
ビジネス街などその最たるもので日中は忙しく働くサラリーマンが箱詰めにされたようなこの区画は日が沈んで随分と経った今は風が吹きすさぶ音だけが鳴るばかりであった。
この辺りであれば人目を気にする事もないだろう。
人通りもなければ余計な遮蔽物もなく、多少声をあらげても会話の邪魔をするような者は誰もいない。
櫂利飛太は周囲の様子を窺うと街灯から少し離れた場所で立ち止まり振り返った。
「さて、こんな時間まで熱心に僕を追い回す理由をそろそろ聞かせてもらおうかな。どうせそこに居るんだろう?」
利飛太はやや芝居がかったような素振りを見せながら誰もいない路上へ向けて声を張る。
目で見える範囲に人の気配は一切存在しなかったが、利飛太はそこに誰かがいるのを確信していた。姿は見えないがここ数日、確実に誰かがつけ回している気配を感じ取っていたからだ。
最初に気付いたのは三日ほど前の帰路で自分以外の足音が響くのに気付いた時だ。
その時は振り返っても誰もいなかったかので気のせいだと思ったのだが、その後も頻繁に誰かの足音が聞こえたりどこからか視線を感じるようになっていた。
相手の様子をうかがう限り足音を消すような動きもなければ物音を立てぬよう気を遣っている様子もなく、時にくしゃみのような大きな音をたてる事すらあった。
試しに利飛太が尾行を巻くためにギリギリの時間で電車を乗り換えてみればそれだけで容易に振り切れるてしまうあたり、後を付けているのは警察や同業者である可能性は限りなく薄いだろう。むしろ尾行をするという意味ではド素人も良い所だ。
だが姿を隠すテクニックは探偵を生業にする利飛太からしても超一流と言わしめるものだった。
後を付けられているのに気付いてから急に振り返ったり、時には鏡を使って背後の様子を伺った事もあるが今に至るまで一度だってその姿を確認できていないからだ。
警察官時代に捜査のイロハをたたき込まれた利飛太の技術をもってしても外見を捉える事ができないのだから、姿を隠すという一点だけは玄人裸足と言えただろう。
相手が何者なのかも、何が目的なのかもわからない。
尾行の拙さや時たま物音をたてるような緊張感のなさなどを考えても利飛太に対し激しい敵意や殺意などを抱いている物騒な相手ではなさそうだ。
それならば思い切ってこちらから声をかけてみても良いだろう。
相手がこちらの知らぬうちに調査を済ませ姿を消すより何とか先手を打ちたいという気持ちも当然ある。
だから利飛太は今日も後を付けられている事に気付いたので普段通りに振る舞いながら人気の無いビジネス街までやってきて、頃合いを見計らい声をかけてみることにしたのだ。
振り返った路地には誰の姿も見えなかったが歩いている最中ずっともう一つの靴音が聞こえていた。今日も自分の後をつけて歩いているのは確実だろうと思い声をかけてみたが、振り返って声をかけた今もその場に人がいるようには見えない。
やはり気のせいだったのだろうか。
大きな仕事が一つ終わったばかりでまだ気が張っているせいか、それとも多少は疲れているのだろう。一瞬そう考えたが、周囲には微かに人の気配がする。そしてそれはビジネス街のビルから漏れる灯りからではなく、自分のすぐ近くで感じた。
人間というのはいくら隠れていても気配を完全に消すのは難しい。例え見えない場所にいても呼吸もすれば心臓が動く限り、場に流れる空気が微かに動いてしまうのだ。
利飛太はそのような周囲にある繊細な動きを読み取る力には長けていた。
「参ったね。少しばかり話し合いたいと思っただけなんだが、姿も見せてもらえないのかな」
利飛太は誰もいない路上へもう一度声をかける。
これで返事がなければ本当に誰もいないのかもしれない。だとしたら誰もいない所で声を張るなど随分と恥ずかしい事をしたか。
だが自分が恥をかく位ならいい。もし相手が姿を見せないまま自分の周囲を探り続けていたとしたらそっちの方が厄介だ。
利飛太が内心そんな事を考えた頃だろう、街灯が照らす道のさらに向こうにある闇が人影のような形をつくり揺らいだかと思えば一人の青年が唐突に姿を現した。
どこにでもあるようなジーンズにどこにでもあるようなスニーカーをはき、どこにでもあるようなシャツをひっかけたいたって特徴のない普通の青年だ。
背丈や雰囲気から二十代半ばくらいだに見えるこの青年は街灯のそばにいるのに何故か顔だけは影にかくれはっきりとは見えなかった。
「驚いたなぁ。おれの尾行、下手だった?」
まるで影のように揺れる青年は頭を掻きながら惚けた事を言う。
言葉に一切の敵意はないがその所作にはどこか人間らしさが欠落している風に見えた。
「あぁ、尾行は下手だね。キミは対象に少し近づきすぎるんだよ。僕が止まったらキミも足を止めるだろ。あれは良くない、僕の後を付けてるってのが丸わかりじゃぁないか。本気で探偵を尾行しようと思ったら、その辺も気をつけたまえ」
「えっ……あんた、探偵なんだ。全然そんな風には見えなかったけど……」
「どういう事だい。どこからどう見てもプロフェッショナル探偵……プロタンじゃぁないか。キミは僕のことを何だと思って後を付けていたのかね」
「えぇっと……そうだなぁ、流しの歌手かな? ほら、あるだろう。飲み屋でギターなんてもって歌ってる奴」
「僕は一度だってそんな飲み屋に入りご機嫌に歌謡曲を歌ったことはないんだけどね……まぁいいさ、探偵に見えないということは世間から僕の本職を知られないよう立ち振る舞う事ができている、という事だからね」
利飛太はそう言うと愛用のつばが広い帽子をふかくかぶる。
尾行をしていた相手の姿をはっきりと見るためにあえて街灯を通り過ぎ明るい場所へ誘導したつもりだったが、何度様子を見ても青年の黒と白のスニーカーが街灯へ照らされるばかりでやはり顔は見えなかった。
いや、いくら夜で月明かりさえ乏しい夜だとはいえ青年の顔はあまりにも見えなさすぎる。自分よりも随分と街灯に近いというのに、靴の色や服の形まではハッキリと分かるというのに、顔だけがこんなにも見えないのは不自然に思えた。
「それで、僕の後を付けていた理由は聞かせてもらえるのかい。一応は、真面目な一市民として慎ましく生活をしているつもりだから誰かに後を付けられるようなやましい真似はしてないんだけどな」
大仰に手を広げ青年へと問いかければ、青年は口元へ手を当てて考えるような素振りを見せる。利飛太の質問に対して悩んでいるというよりは、何から話したら良いのかと考えている風に見えた。
最もその顔はまるでぽっかりと暗い穴が開いているように相変わらず見通す事はできないままなのだが。
「えぇと……おれもどう説明したらいいかわからないんで単刀直入に聞くけど、あんた最近『蘇りの秘術』をほしがる人とかに会ったりしなかったかな」
蘇りの秘術という言葉は利飛太も聞いた事がある。
少し前に巷を騒がせていたオカルトの噂で、本所七不思議に潜む裏には血みどろの惨劇がありその惨劇に死者を蘇らせる呪術だか儀式が隠されているといった内容だったはずだ。
一ヶ月ほど前に新石英樹という学者がセンセーショナルな内容の話を出しいっとき注目を集め、利飛太もその時に話を聞いたのだ。
今は以前より幾分か下火になっており、オカルトマニアの間だけで熱心に語られる程度だがこれはプロレスや漫画にお笑い番組とテレビから次々に新しい娯楽が流れてくるのだから仕方の無い事だろう。
「蘇りの秘術というと、アレかな。本所七不思議が関わっているという、あの話か。呪い殺した魂を集めれば、望んだ相手を生き返らせる事ができる……みたいな内容だったと思うが」
「あぁ、そう、それそれ。厳密にいうと蘇生できるって便利な代物じゃぁ無いんだけどね。肉体まで完全に修復されて復活するって訳でもない、魂を複製して留めておくだけの話だし、元の人格が誇張されたり、記憶に綻びが出たりして思ったより万能じゃないから……」
「でも、流石にそんなものは夢物語のようなものだろう? 現実じゃぁない……僕の知り合いにそういうのを試してみようなんて人間はいないな。だいたい、蘇りの秘術ってのが伝え聞いた通りなら誰かを殺さないといけないんだろう。一人の人間として、人を殺めるような秘術なんてどうかと思う……というのが正直な意見だね」
「おれも同意見ではありますって。だけど夢のような甘い言葉に縋りたい時って、誰にでもあるんじゃないかなぁ。倒れたらすぐに立ち上がれる人間 って少なくて、暫く起き上がれない人間やずぅっと起き上がれず寝転んだまま一生を終える人間だって少なくはないでしょう」
青年は足音をたてながらこちらへと近づいてくる。街灯の下を通り灯りに照らされているにもかかわらず、やはりその顔を見る事はできない。
顔に影が残っているような、穴でも開いているかのように不自然に認識できないのだ。
のっぺらぼうのように顔があるべき場所に何もない、というものではなく目や鼻が確かに存在しているのに影や靄のようなものではっきりと見えていないような感覚のせいか恐怖心はないがそれが異常なことだというのは利飛太にもはっきりと分かる。
目の前にいる青年は明らか様に異質だ。
世の理とは違う場所に身を置いた存在に違いない。
危険だ。あまり近づいて良い存在ではない。
それらを理解してもなお利飛太がその場から逃げようとしなかったのは青年への興味が大きかったろう。
気付いた時、青年は利飛太の肩に触れるほど近くへ来ていた。もちろん、そこまで接近を許したのは彼が両手に何ももっていないという事をアピールするようポケットから手を出してこちらへ向かってきたからだ。
不自然な歩き方もしていないし他に大きな荷物もない。
急に刃物を振り回すような真似は少なくともしないだろうというのが警察時代に幾人かの犯人を取り抑えてきた利飛太の見立てであった。
最も、もし変な動きをしたら取っ組み合いで負けないという自信もあったのだが。
「それで、あんたは会ってないのかな。ここ最近、知らない誰かの命なら奪いかすめ取ってでも誰かを生き返らせたいなんて願ってしまう人間と……誰かに心を支えられていなければ崩れてしまうほど脆く、他者の命を奪うことに躊躇ないほど残酷な……そんな儚くもか弱い人間にさ。方法さえあれば自分の手を汚してでも蘇らせたい大切な存在がいる人とか、恋人か、夫か、妻か、あるいは実子か……そういう人を喪った誰かを」
改めて問われた時、利飛太の脳裏に志岐間春恵の姿が浮かぶ。
一年前に実子を誘拐された挙げ句に殺されそれからずぅっと時を止めてしまったひとだ。
その事件は、利飛太が解決へと導いた。
事件に女性が関わっていたのではないか……その過程からはじめた聞き込みで明らかになったのは根島史周を信望する愚かな男とその男に尊厳を踏みにじられたまま死んでいった共犯者たちの姿である。
元々内々に処理された事件でありこれからも大々的な報道はされない事件だろうが、犯人が逮捕されることで志岐間春恵の心が安まれば良いとそう思っていたのだが。
『櫂さん……事件が終わっても、何も変わらないんですね。修一は戻ってこない……これで終わりにしようと思っていたのに……』
犯人の背を見送った後、力なく呟いた志岐間春恵の小さな背中は今でもはっきりと覚えている。最近利飛太が関わった人物のなかで蘇りの秘術を最も求めている者といえば彼女に間違いないだろう。
そう思った瞬間、青年は利飛太の首元へと触れようと手を伸ばした。
「な、何をするんだキミは……虫も殺せないような顔をして油断ならないな」
利飛太に触れるより先にその手を弾くように叩けば青年の手はぶらりと垂れ下がる。その様子を見て青年は悪戯に失敗したような子供のようにクスクス笑っていた。
やはり彼の行動に悪意は見られない。殺意や敵意も感じられないが、どこか底知れぬ不気味さが利飛太の身体を包み込んでいた。
やはり、この青年は危険だ。
あまり近づけてはいないつもりだったが、思ったよりも彼へと近づきすぎている。
物理的には体格に勝り護身術の心得もある利飛太がこんな華奢に見える青年に負けるはずはないのだが、彼は理屈で推し量れるような存在ではないようだ。
だがすでに青年を懐へと入れてしまっているのだ、ここは覚悟を決めるしかない。
「あれ、俺の顔……見えてる? それとも探偵のブラフって奴? ……まぁいいや。ひとまず、貴方の知り合いに蘇りの秘術へ興味を抱きそうな人がいる……ってのはハッキリ分かったんで」
「どういう事だい。僕は別に何も言ってないが」
「言わなくてもわかるんだ、秘術のニオイに敏感な虫みたいなモノを見つける事ができるんで……ほら、こういう奴」
青年はそう言うと手を開いてこちらへ向ける。
そこには虫とも植物の根ともつかぬ得体の知れない何かうぞうぞと蠢いているのが見えた。
「何だこれは……虫……のようにも見えないが……」
「えぇっと……これは禍根、って奴かなぁ。災いの火種とか、呪詛の種になるようなモノで……人間の心に潜んだ悪い虫みたいなものを誰にでも見えるようにちょっとおれが手を加えた代物だよ。まぁ、これくらいなら握りつぶせば消えちゃから害はないんだけどね。ほら、この通り」
青年は手にした黒い塊をぎゅうと握りつぶすと両手を開き利飛太へ向ける。
彼の言う通りさっきまで動いていた生き物とも思えぬ奇妙な存在は煙のように姿を消していた。
「待ちたまえよキミ、さっきから何を言っているのかまったく意味がわからないんだがキミの目的は何だっていうんだ。今もそうだ、手から奇妙な生き物を出した風に見えたが、キミは手品師か何かか。もしそうならたいした芸当だが……」
胸に募る不安をかき消すよう、利飛太は茶化したように告げる。
この青年は異常だ。目の前でした事も奇術の類いではないのは明らかである。だが彼に気圧されするような素振りを見せるのは危険だと判断した。
もしここで怯えたり逃げるような弱さを見せれば立ち所に彼のペースに飲まれてしまうように思えたからだ。
それに、どのような事態にも対応できるのがプロフェッショナル探偵というものだ。
あくまで平静を保っていた利飛太であったが、次に放たれた青年の言葉には動揺せざるをえなかった。
「うぅん、年齢は30代くらいかな……綺麗な女の人だけど、少し憂鬱そうだ。すごく品があっていかにもお嬢様育ちって印象だけど、きっと実際にお嬢様なんじゃないかな。黒髪を一つに束ねていて、色白で……なるほど、この人が蘇りの秘術を求めているのなら亡くしたのは旦那さんかお子さんかなぁ」
その容姿は志岐間春恵の特徴と一致していた。
利飛太は一言も彼女の話をしていないし依頼が終わってから電話ではなした事こそあるが会いに行った事はない。
それなのにどうして彼女の容姿をこの男が知っているのだろう。
「どういうことだ。キミ……何を考えている。もしキミがマダムに手を出そうというのなら、悪いが僕はキミを排除しなければいけない事になりそうだ」
利飛太の顔から自然と笑みが消えていた。
確かに彼は得体の知れぬ男だが人間である限り殴れば倒れるだろうし組み伏せば捕まえられるはずだ。手荒な事はしたくないと思っていたが仕方ない。
利飛太の雰囲気が変わったのに気付いたのか、青年は少し距離をとると両手を前にし首を振って見せた。
「ちょ、ちょっとまった! いま暴力に訴えようとしなかった? ……殺意が出てたけど」
「そりゃぁね。僕の大切な依頼人の話をされたら事の次第では黙っていられないよ……さぁ、言いたまえよ。キミはどうやってマダムのことを知ったんだい」
「今知ったし、教えたのはあんただよ。ほら、さっき蘇りの秘術について話をしただろ、思い当たる人はいないかって。その時、あんたの首に呪いの根っこが出てきたから、そいつを処分したついでに中に入っていたイメージを読み取ったってだけの話で……名前とかはわからないけど、ぼんやりと外見だけはあんたの見たイメージから覗かせてもらったんだ」
「……何をいってるのか全然わからないのだが、キミは本当に呪いやら呪術でそんな事ができるとでもいうのかい」
「うーん、やっぱりそう思うよな……でも、おれはこの人に何か悪い事をしようとかたぶらかしてやろうなんて気持ちはないよ。簡単に言うと、おれは呪術師で、蘇りの秘術云々について巻き込まれてしまいそうな人たちを巻き込まれないようにしている正義の味方……ってことで了承してくれないかな」
青年はそう言いながらじりじりと利飛太から距離を取る。
腕っ節では利飛太に敵わないということは青年も分かっているのだろう。基本的に荒事を避けたいというのも本音のようだ。
「オーケィ、まだ半信半疑だがキミに悪意がないのは信じてあげよう。だけど、どこの世界に顔すらよくわからない正義の味方がいるっていうんだい? キミの顔がよく見えないのも、キミの使う呪術とやらの影響か」
「あれ、やっぱり顔は見えてなかった? よかった、ある程度信頼できる相手じゃない人にはできるだけ顔は見せないようにしようって思ったばっかりなんだよ。最近、ちょっとアブない人に顔覚えられたりしたから……あ、それにさ。正義の味方って覆面とか多いから顔が見えない方がよくないかな」
「正義の味方がそうでも、お互い信頼を築くには顔が見えない相手というのは良くないと思うけどね」
「それもそうか……じゃぁ、アンタのことを信頼する証って意味で顔くらいは見せておこうかな」
青年はそこで少し思案すると、自分の顔に中指で触れる。 するとそれまで影がかかって見えづらかった顔が徐々にハッキリと見えてきた。
とりたてて目立った所はない平凡な顔立ちをした垢抜けない印象の青年は穏やかな笑みを利飛太へと向ける。
「どうだろ、顔に残していた術を解いたから今度は顔も、見えるんじゃないかな……これ、こういう呪術を使えるんだよね、おれ。どう、呪術師ってのは信用した?」
正直、それでは奇術や手品とあまり変わらない気がするが青年がこれまで姿を見せず利飛太の後を付けていた事や何も語っていないのに志岐間春恵の容姿を言い当てたというのは事実である。
オカルトやら超常現象というものを根っから信じている訳ではないが、彼がそのような力を持っている人間だということを今、嘘だとするような根拠は何もなかった。
「信用するかどうかはひとまず置いておこうか。それよりきちんと説明してくれるんだよな、僕の後を付けた理由とか、マダムの件についてだ」
「そうだなぁ、あんたの後を付けていたのはあんたの身体に呪詛のニオイが染みついていたからだよ。蘇りの秘術は本所七不思議ゆかりの場所に紐付いているからその近辺で強めの呪詛を背負った奴がいないかと探していたらあんたに憑いているのが見えて、それで暫く様子を見ていたんだ。あんたの背負った呪詛が日に日に薄らいでいくからそれがあんた本人のものじゃない、ってのは何となくわかっていたんだけどね」
青年は指先を口元に当てるとここ数日の記憶を掘り返すように目を閉じる。
「できればあんたが呪詛の持ち主本人と会う所を見たいなぁと思って様子を見てたんだけど、先にあんたに気付かれちゃったからこうして姿を現した……って言えば納得してくれるかい」
「なるほど、それで僕の持つ呪詛を抜き取って、その持ち主がマダムである事を確認した……という訳か」
「物わかりがいいね、あんた結構キレる人だ。ま、そういうこと」
青年の言う通りなら彼が探している人物は志岐間春恵に間違いないだろう。
彼女だったら蘇りの秘術が実在するなら求めるだろうし、事件が解決した今も心の拠り所がないまま呆けているような有様なのだから。
「つまり、キミの本当の目的は僕ではなくマダムという訳だね」
「あんたの記憶にある、30代くらいの憂いあるお嬢様育ちの奥様があんたの言うマダムだったら、俺の目的はマダムだよ。彼女はこのままだと呪いに取り込まれる可能性はあるし、そうじゃなくとも今は随分と気持ちが弱っているんだろう。そういう時はやれ救いだ、やれ幸福だという胡乱な言葉を並べて近づいてくる連中も多いから危ないんだ……ほら、幸せになる壺を売るとか先祖が恨んでいるとか。そんな風に脅して高いものを売りつけるなんて悪い商売が流行ってたりするだろう。そういうのからも守ってあげないといけないしね」
「確かにマダムは少しばかり辛い目に会い弱くなっているだろうが、僕からするとキミだってだいぶ怪しい人間だがね。キミこそ壺やら印鑑を売りつけようとしてるんじゃぁないか」
「……そっか。最近資金繰りがよくなくて困ってたんだけど……おれも売ってみようかな、壺とか印鑑」
「おっとやめたまえ、他人に不幸がくるとかデタラメを並べて価値の乏しい壺や印鑑を高値で買わせるとか、人間としてやっていい部分を越えていると思わないか」
「ごもっともで。いやぁ、アンタって見た目は派手だけど思ったより倫理観がある人なんだねぇ安心したよ。正直、おれはそこまで真面目でも全うでもないからさ……何かあると自分の力にさえ飲まれそうになっちゃうんだよ」
青年はそう言うと楽しそうに笑う。
その仕草は年相応の青年らしい姿だったがどこか人間を真似ている人形のような空虚さも感じた。
「それで……キミは何をしたいんだ。僕からマダムの情報を得たいのなら、もう充分のはずだが」
「うん、そうなんだけど……マダム、実はけっこう偉い人とか……そういう系かな」
「言えないね。さっきも言ったが僕は探偵を生業にしている。立場上、顧客について詳しい事を言う訳にはいかないんだ」
「それはわかったけどさ、探偵だって顧客が悲しい目に会うのは避けたいだろ。どうかそのマダムと俺をつないでくれないかな……いや、実はあんたの周辺を調べてみたんだけど、マダムの居る場所は少しばかり固いところでおれみたいな人間は簡単に通してもらえなさそうなんだよね」
確かに志岐間邸は警察官僚の住まいだ。アポもない人間を簡単に通しはしないだろう。
今の志岐間邸を守るのがすっかり人嫌いになってしまった志岐間春恵ならなおさらで、青年がいかに愛想よく振る舞っても決して門を開かないのは目に見えている。
「キミの目的は……何だ? どうしてマダムに拘る」
「マダムは他の人より情念が強いみたいで、呪いを渇望してるんだよね。関わったあんたにもその根が絡みついてくるってのは呪詛的によっぽどの事だしさ。早くその心から遺恨を断たないとずぅっと絶望に引きずられてしまいかねないんだよ。それはマダムの気質ってのもあるんだろうけど今回は蘇りの秘術をするため散らばった呪いの火種も原因があるからさ……蘇りの秘術、関係者の一人としてそういうの、できるだけ取り払ってあげたいと思っているんだ、おれは」
「彼女に危害を加えるつもりは無い……ということかな」
「一応、手荒なことをするつもりはないよ。一応は、だけど」
青年は嘘を言ってるようには見えない。
それに、志岐間春恵が危うい状態だというのは利飛太も同意見だった。
今は電話でしか話をしていないが機会があったら顔を出し大事がないか様子を見たいと考えていたところでもある。
「それで、キミはマダムを苦しみから解放する術を知っているとでもいうのかい?」
「それはちょっと、本人次第だと思うけど……呪いの根だけは排除できるよ。うん、一応はそれが今の本職だから……あ、まだ会社辞めてないから副業か。いや、無償だからボランティア活動かな……」
「おいおい、随分と適当なんだな。呪術師ってのは」
「正直金になってないんだよ、呪術師ってのは。でもおれが呪いを排除したいってのは本気だしあんたの知るマダムもできる限り助けてあげたいってのは結構本心だよ。最も、俺がやるから荒療治になるかもしれないけどね」
「そうか……ふむ……」
利飛太は帽子を直してから両手を組み考える。
青年は嘘つきではないだろうが彼のとる方法が必ずしも安全であり人の心を守るような技ではないというのが利飛太の推測であった。
そもそも呪術師が実在するというのも随分な話だし発言も突拍子も無いことだと言えただろう。
しかし志岐間春恵に対して興味をもっている事実は捨て置けるものではなかった。
青年は随分と蘇りの秘術に執心しているようだし、志岐間春恵がそれに関わっている事に気付いた限り利飛太が断ったとしても別の方法で接触する可能性は充分にあるだろう。
そして、その時志岐間春恵を支えてやれる誰かがいる可能性は限りなく低いのだ。
それならば自分が見届けるのが関わった人間としての責務ではないか。今の志岐間春恵は孤独だ。夫は長らく家に戻らず家族すら腫れ物のように扱っているのだから事情を知る自分くらいしかそばにいてやれないのだ。
「……了解した、マダムへ連絡をつけてやろうじゃないか」
「やった、あんたって見た目と違って話分かるんだね」
「ただし、僕も立ち会うということでいいかな。これはキミが何をするかわからない限りマダムの護衛とキミへの監視の意味が一つ。それと、僕自身がこの事件について全てを見届けたいというのが一つだ。それが飲めるのが条件だが……」
「あぁ、いいよ。おれもあんたと一緒に行くつもりだったからね……わかってるって、おれだって突然現れてそんな提案する奴がいたら怪しくて近づけないから」
青年はにこりと笑うとなれた様子でウインクする。
得体の知れない胡乱な男だがお互い守りたい女がいるというのが共通なら今は敵ではないのだろう。
「……改めて、名前を聞いていいかい? 僕は櫂利飛太、探偵さ」
「おれは興家彰吾、ヒスイ石鹸開発部の普通のサラリーマン兼見習い声聞師ってところかな……よし、ひとまず共闘ってことでよろしく」
そう言いながら興家はにこやかに笑い手を差し出す。
だが利飛太はそれに触れる事なく、代わりにポケットから飴を一つ取り出すとその手へと落とした。
「悪いけど、呪術を扱う人間なんだろう? 何をきっかけに呪われるかわかったものじゃぁないからね、キミとの握手はマダムの件が片付くまでお預けだ。かわりに飴をあげよう、心配しなくても買ったばかりのものさ」
「えぇ、信用ないなぁ……ま、それくらいが探偵としては優秀なんだろうけどね」
興家は受け取った飴を躊躇いなく口に入れてから自分の名刺を差し出した。
本当にヒスイ石鹸の名刺だったから彼が普段会社勤めをしているというのは事実なのだろう。裏には個人宅の電話番号も記載されている。
こんな夜中まで街を歩くような男が昼は普通の会社員として過ごしているのは意外な気がしたが日中に会社員でいる事が興家彰吾という青年を人に留めているよすがの一つかもしれない。
「じゃ、段取りついたらヨロシク。俺はまだちょっと調べたい所もあるからもう少し歩いていくけど、よかったら一緒に来る?」
「いや、遠慮しておこうかな。キミをまだ信用してる訳ではないし」
「そうだよねぇ、じゃ、一人でいくから……櫂さんもあんまり夜ふかししないで気をつけて帰りな。夜はまだまだ、おれたちの時間だからね」
興家はそう言うと穏やかに笑って歩き出す。
彼の背中はさして遠くに行かぬうちからぼんやりと薄れ、すぐそばにあるはずの街灯が下にさしかかる頃には煙のように消えていた。
その瞬間、利飛太は自分がひどい汗をかいている事に気付く。知らぬ間に自分でも気付かぬほど緊張状態にあったのだろう。
やはり、あれは驚異だ。 存在しているだけで人間を脅かす巨大な力そのものだ。
それと対峙していたのだから無意識でもかなり気が張っていたのだろう。
「やれ、あんな化け物と出会えるとは……やはり探偵というのは面白い仕事だ……」
利飛太は滴る汗を拭うと、興家が去った道へと目をやる。
いくつものビルが並んだビジネス街は今は耳が痛くなるほどの静寂に包まれていた。
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街は日々姿を変え過剰なほど人や物が溢れかえるようにはなったが、それでもまだ夜は暗く静かで人の姿など消え失せてしまう区画も少なくない。
ビジネス街などその最たるもので日中は忙しく働くサラリーマンが箱詰めにされたようなこの区画は日が沈んで随分と経った今は風が吹きすさぶ音だけが鳴るばかりであった。
この辺りであれば人目を気にする事もないだろう。
人通りもなければ余計な遮蔽物もなく、多少声をあらげても会話の邪魔をするような者は誰もいない。
櫂利飛太は周囲の様子を窺うと街灯から少し離れた場所で立ち止まり振り返った。
「さて、こんな時間まで熱心に僕を追い回す理由をそろそろ聞かせてもらおうかな。どうせそこに居るんだろう?」
利飛太はやや芝居がかったような素振りを見せながら誰もいない路上へ向けて声を張る。
目で見える範囲に人の気配は一切存在しなかったが、利飛太はそこに誰かがいるのを確信していた。姿は見えないがここ数日、確実に誰かがつけ回している気配を感じ取っていたからだ。
最初に気付いたのは三日ほど前の帰路で自分以外の足音が響くのに気付いた時だ。
その時は振り返っても誰もいなかったかので気のせいだと思ったのだが、その後も頻繁に誰かの足音が聞こえたりどこからか視線を感じるようになっていた。
相手の様子をうかがう限り足音を消すような動きもなければ物音を立てぬよう気を遣っている様子もなく、時にくしゃみのような大きな音をたてる事すらあった。
試しに利飛太が尾行を巻くためにギリギリの時間で電車を乗り換えてみればそれだけで容易に振り切れるてしまうあたり、後を付けているのは警察や同業者である可能性は限りなく薄いだろう。むしろ尾行をするという意味ではド素人も良い所だ。
だが姿を隠すテクニックは探偵を生業にする利飛太からしても超一流と言わしめるものだった。
後を付けられているのに気付いてから急に振り返ったり、時には鏡を使って背後の様子を伺った事もあるが今に至るまで一度だってその姿を確認できていないからだ。
警察官時代に捜査のイロハをたたき込まれた利飛太の技術をもってしても外見を捉える事ができないのだから、姿を隠すという一点だけは玄人裸足と言えただろう。
相手が何者なのかも、何が目的なのかもわからない。
尾行の拙さや時たま物音をたてるような緊張感のなさなどを考えても利飛太に対し激しい敵意や殺意などを抱いている物騒な相手ではなさそうだ。
それならば思い切ってこちらから声をかけてみても良いだろう。
相手がこちらの知らぬうちに調査を済ませ姿を消すより何とか先手を打ちたいという気持ちも当然ある。
だから利飛太は今日も後を付けられている事に気付いたので普段通りに振る舞いながら人気の無いビジネス街までやってきて、頃合いを見計らい声をかけてみることにしたのだ。
振り返った路地には誰の姿も見えなかったが歩いている最中ずっともう一つの靴音が聞こえていた。今日も自分の後をつけて歩いているのは確実だろうと思い声をかけてみたが、振り返って声をかけた今もその場に人がいるようには見えない。
やはり気のせいだったのだろうか。
大きな仕事が一つ終わったばかりでまだ気が張っているせいか、それとも多少は疲れているのだろう。一瞬そう考えたが、周囲には微かに人の気配がする。そしてそれはビジネス街のビルから漏れる灯りからではなく、自分のすぐ近くで感じた。
人間というのはいくら隠れていても気配を完全に消すのは難しい。例え見えない場所にいても呼吸もすれば心臓が動く限り、場に流れる空気が微かに動いてしまうのだ。
利飛太はそのような周囲にある繊細な動きを読み取る力には長けていた。
「参ったね。少しばかり話し合いたいと思っただけなんだが、姿も見せてもらえないのかな」
利飛太は誰もいない路上へもう一度声をかける。
これで返事がなければ本当に誰もいないのかもしれない。だとしたら誰もいない所で声を張るなど随分と恥ずかしい事をしたか。
だが自分が恥をかく位ならいい。もし相手が姿を見せないまま自分の周囲を探り続けていたとしたらそっちの方が厄介だ。
利飛太が内心そんな事を考えた頃だろう、街灯が照らす道のさらに向こうにある闇が人影のような形をつくり揺らいだかと思えば一人の青年が唐突に姿を現した。
どこにでもあるようなジーンズにどこにでもあるようなスニーカーをはき、どこにでもあるようなシャツをひっかけたいたって特徴のない普通の青年だ。
背丈や雰囲気から二十代半ばくらいだに見えるこの青年は街灯のそばにいるのに何故か顔だけは影にかくれはっきりとは見えなかった。
「驚いたなぁ。おれの尾行、下手だった?」
まるで影のように揺れる青年は頭を掻きながら惚けた事を言う。
言葉に一切の敵意はないがその所作にはどこか人間らしさが欠落している風に見えた。
「あぁ、尾行は下手だね。キミは対象に少し近づきすぎるんだよ。僕が止まったらキミも足を止めるだろ。あれは良くない、僕の後を付けてるってのが丸わかりじゃぁないか。本気で探偵を尾行しようと思ったら、その辺も気をつけたまえ」
「えっ……あんた、探偵なんだ。全然そんな風には見えなかったけど……」
「どういう事だい。どこからどう見てもプロフェッショナル探偵……プロタンじゃぁないか。キミは僕のことを何だと思って後を付けていたのかね」
「えぇっと……そうだなぁ、流しの歌手かな? ほら、あるだろう。飲み屋でギターなんてもって歌ってる奴」
「僕は一度だってそんな飲み屋に入りご機嫌に歌謡曲を歌ったことはないんだけどね……まぁいいさ、探偵に見えないということは世間から僕の本職を知られないよう立ち振る舞う事ができている、という事だからね」
利飛太はそう言うと愛用のつばが広い帽子をふかくかぶる。
尾行をしていた相手の姿をはっきりと見るためにあえて街灯を通り過ぎ明るい場所へ誘導したつもりだったが、何度様子を見ても青年の黒と白のスニーカーが街灯へ照らされるばかりでやはり顔は見えなかった。
いや、いくら夜で月明かりさえ乏しい夜だとはいえ青年の顔はあまりにも見えなさすぎる。自分よりも随分と街灯に近いというのに、靴の色や服の形まではハッキリと分かるというのに、顔だけがこんなにも見えないのは不自然に思えた。
「それで、僕の後を付けていた理由は聞かせてもらえるのかい。一応は、真面目な一市民として慎ましく生活をしているつもりだから誰かに後を付けられるようなやましい真似はしてないんだけどな」
大仰に手を広げ青年へと問いかければ、青年は口元へ手を当てて考えるような素振りを見せる。利飛太の質問に対して悩んでいるというよりは、何から話したら良いのかと考えている風に見えた。
最もその顔はまるでぽっかりと暗い穴が開いているように相変わらず見通す事はできないままなのだが。
「えぇと……おれもどう説明したらいいかわからないんで単刀直入に聞くけど、あんた最近『蘇りの秘術』をほしがる人とかに会ったりしなかったかな」
蘇りの秘術という言葉は利飛太も聞いた事がある。
少し前に巷を騒がせていたオカルトの噂で、本所七不思議に潜む裏には血みどろの惨劇がありその惨劇に死者を蘇らせる呪術だか儀式が隠されているといった内容だったはずだ。
一ヶ月ほど前に新石英樹という学者がセンセーショナルな内容の話を出しいっとき注目を集め、利飛太もその時に話を聞いたのだ。
今は以前より幾分か下火になっており、オカルトマニアの間だけで熱心に語られる程度だがこれはプロレスや漫画にお笑い番組とテレビから次々に新しい娯楽が流れてくるのだから仕方の無い事だろう。
「蘇りの秘術というと、アレかな。本所七不思議が関わっているという、あの話か。呪い殺した魂を集めれば、望んだ相手を生き返らせる事ができる……みたいな内容だったと思うが」
「あぁ、そう、それそれ。厳密にいうと蘇生できるって便利な代物じゃぁ無いんだけどね。肉体まで完全に修復されて復活するって訳でもない、魂を複製して留めておくだけの話だし、元の人格が誇張されたり、記憶に綻びが出たりして思ったより万能じゃないから……」
「でも、流石にそんなものは夢物語のようなものだろう? 現実じゃぁない……僕の知り合いにそういうのを試してみようなんて人間はいないな。だいたい、蘇りの秘術ってのが伝え聞いた通りなら誰かを殺さないといけないんだろう。一人の人間として、人を殺めるような秘術なんてどうかと思う……というのが正直な意見だね」
「おれも同意見ではありますって。だけど夢のような甘い言葉に縋りたい時って、誰にでもあるんじゃないかなぁ。倒れたらすぐに立ち上がれる人間 って少なくて、暫く起き上がれない人間やずぅっと起き上がれず寝転んだまま一生を終える人間だって少なくはないでしょう」
青年は足音をたてながらこちらへと近づいてくる。街灯の下を通り灯りに照らされているにもかかわらず、やはりその顔を見る事はできない。
顔に影が残っているような、穴でも開いているかのように不自然に認識できないのだ。
のっぺらぼうのように顔があるべき場所に何もない、というものではなく目や鼻が確かに存在しているのに影や靄のようなものではっきりと見えていないような感覚のせいか恐怖心はないがそれが異常なことだというのは利飛太にもはっきりと分かる。
目の前にいる青年は明らか様に異質だ。
世の理とは違う場所に身を置いた存在に違いない。
危険だ。あまり近づいて良い存在ではない。
それらを理解してもなお利飛太がその場から逃げようとしなかったのは青年への興味が大きかったろう。
気付いた時、青年は利飛太の肩に触れるほど近くへ来ていた。もちろん、そこまで接近を許したのは彼が両手に何ももっていないという事をアピールするようポケットから手を出してこちらへ向かってきたからだ。
不自然な歩き方もしていないし他に大きな荷物もない。
急に刃物を振り回すような真似は少なくともしないだろうというのが警察時代に幾人かの犯人を取り抑えてきた利飛太の見立てであった。
最も、もし変な動きをしたら取っ組み合いで負けないという自信もあったのだが。
「それで、あんたは会ってないのかな。ここ最近、知らない誰かの命なら奪いかすめ取ってでも誰かを生き返らせたいなんて願ってしまう人間と……誰かに心を支えられていなければ崩れてしまうほど脆く、他者の命を奪うことに躊躇ないほど残酷な……そんな儚くもか弱い人間にさ。方法さえあれば自分の手を汚してでも蘇らせたい大切な存在がいる人とか、恋人か、夫か、妻か、あるいは実子か……そういう人を喪った誰かを」
改めて問われた時、利飛太の脳裏に志岐間春恵の姿が浮かぶ。
一年前に実子を誘拐された挙げ句に殺されそれからずぅっと時を止めてしまったひとだ。
その事件は、利飛太が解決へと導いた。
事件に女性が関わっていたのではないか……その過程からはじめた聞き込みで明らかになったのは根島史周を信望する愚かな男とその男に尊厳を踏みにじられたまま死んでいった共犯者たちの姿である。
元々内々に処理された事件でありこれからも大々的な報道はされない事件だろうが、犯人が逮捕されることで志岐間春恵の心が安まれば良いとそう思っていたのだが。
『櫂さん……事件が終わっても、何も変わらないんですね。修一は戻ってこない……これで終わりにしようと思っていたのに……』
犯人の背を見送った後、力なく呟いた志岐間春恵の小さな背中は今でもはっきりと覚えている。最近利飛太が関わった人物のなかで蘇りの秘術を最も求めている者といえば彼女に間違いないだろう。
そう思った瞬間、青年は利飛太の首元へと触れようと手を伸ばした。
「な、何をするんだキミは……虫も殺せないような顔をして油断ならないな」
利飛太に触れるより先にその手を弾くように叩けば青年の手はぶらりと垂れ下がる。その様子を見て青年は悪戯に失敗したような子供のようにクスクス笑っていた。
やはり彼の行動に悪意は見られない。殺意や敵意も感じられないが、どこか底知れぬ不気味さが利飛太の身体を包み込んでいた。
やはり、この青年は危険だ。
あまり近づけてはいないつもりだったが、思ったよりも彼へと近づきすぎている。
物理的には体格に勝り護身術の心得もある利飛太がこんな華奢に見える青年に負けるはずはないのだが、彼は理屈で推し量れるような存在ではないようだ。
だがすでに青年を懐へと入れてしまっているのだ、ここは覚悟を決めるしかない。
「あれ、俺の顔……見えてる? それとも探偵のブラフって奴? ……まぁいいや。ひとまず、貴方の知り合いに蘇りの秘術へ興味を抱きそうな人がいる……ってのはハッキリ分かったんで」
「どういう事だい。僕は別に何も言ってないが」
「言わなくてもわかるんだ、秘術のニオイに敏感な虫みたいなモノを見つける事ができるんで……ほら、こういう奴」
青年はそう言うと手を開いてこちらへ向ける。
そこには虫とも植物の根ともつかぬ得体の知れない何かうぞうぞと蠢いているのが見えた。
「何だこれは……虫……のようにも見えないが……」
「えぇっと……これは禍根、って奴かなぁ。災いの火種とか、呪詛の種になるようなモノで……人間の心に潜んだ悪い虫みたいなものを誰にでも見えるようにちょっとおれが手を加えた代物だよ。まぁ、これくらいなら握りつぶせば消えちゃから害はないんだけどね。ほら、この通り」
青年は手にした黒い塊をぎゅうと握りつぶすと両手を開き利飛太へ向ける。
彼の言う通りさっきまで動いていた生き物とも思えぬ奇妙な存在は煙のように姿を消していた。
「待ちたまえよキミ、さっきから何を言っているのかまったく意味がわからないんだがキミの目的は何だっていうんだ。今もそうだ、手から奇妙な生き物を出した風に見えたが、キミは手品師か何かか。もしそうならたいした芸当だが……」
胸に募る不安をかき消すよう、利飛太は茶化したように告げる。
この青年は異常だ。目の前でした事も奇術の類いではないのは明らかである。だが彼に気圧されするような素振りを見せるのは危険だと判断した。
もしここで怯えたり逃げるような弱さを見せれば立ち所に彼のペースに飲まれてしまうように思えたからだ。
それに、どのような事態にも対応できるのがプロフェッショナル探偵というものだ。
あくまで平静を保っていた利飛太であったが、次に放たれた青年の言葉には動揺せざるをえなかった。
「うぅん、年齢は30代くらいかな……綺麗な女の人だけど、少し憂鬱そうだ。すごく品があっていかにもお嬢様育ちって印象だけど、きっと実際にお嬢様なんじゃないかな。黒髪を一つに束ねていて、色白で……なるほど、この人が蘇りの秘術を求めているのなら亡くしたのは旦那さんかお子さんかなぁ」
その容姿は志岐間春恵の特徴と一致していた。
利飛太は一言も彼女の話をしていないし依頼が終わってから電話ではなした事こそあるが会いに行った事はない。
それなのにどうして彼女の容姿をこの男が知っているのだろう。
「どういうことだ。キミ……何を考えている。もしキミがマダムに手を出そうというのなら、悪いが僕はキミを排除しなければいけない事になりそうだ」
利飛太の顔から自然と笑みが消えていた。
確かに彼は得体の知れぬ男だが人間である限り殴れば倒れるだろうし組み伏せば捕まえられるはずだ。手荒な事はしたくないと思っていたが仕方ない。
利飛太の雰囲気が変わったのに気付いたのか、青年は少し距離をとると両手を前にし首を振って見せた。
「ちょ、ちょっとまった! いま暴力に訴えようとしなかった? ……殺意が出てたけど」
「そりゃぁね。僕の大切な依頼人の話をされたら事の次第では黙っていられないよ……さぁ、言いたまえよ。キミはどうやってマダムのことを知ったんだい」
「今知ったし、教えたのはあんただよ。ほら、さっき蘇りの秘術について話をしただろ、思い当たる人はいないかって。その時、あんたの首に呪いの根っこが出てきたから、そいつを処分したついでに中に入っていたイメージを読み取ったってだけの話で……名前とかはわからないけど、ぼんやりと外見だけはあんたの見たイメージから覗かせてもらったんだ」
「……何をいってるのか全然わからないのだが、キミは本当に呪いやら呪術でそんな事ができるとでもいうのかい」
「うーん、やっぱりそう思うよな……でも、おれはこの人に何か悪い事をしようとかたぶらかしてやろうなんて気持ちはないよ。簡単に言うと、おれは呪術師で、蘇りの秘術云々について巻き込まれてしまいそうな人たちを巻き込まれないようにしている正義の味方……ってことで了承してくれないかな」
青年はそう言いながらじりじりと利飛太から距離を取る。
腕っ節では利飛太に敵わないということは青年も分かっているのだろう。基本的に荒事を避けたいというのも本音のようだ。
「オーケィ、まだ半信半疑だがキミに悪意がないのは信じてあげよう。だけど、どこの世界に顔すらよくわからない正義の味方がいるっていうんだい? キミの顔がよく見えないのも、キミの使う呪術とやらの影響か」
「あれ、やっぱり顔は見えてなかった? よかった、ある程度信頼できる相手じゃない人にはできるだけ顔は見せないようにしようって思ったばっかりなんだよ。最近、ちょっとアブない人に顔覚えられたりしたから……あ、それにさ。正義の味方って覆面とか多いから顔が見えない方がよくないかな」
「正義の味方がそうでも、お互い信頼を築くには顔が見えない相手というのは良くないと思うけどね」
「それもそうか……じゃぁ、アンタのことを信頼する証って意味で顔くらいは見せておこうかな」
青年はそこで少し思案すると、自分の顔に中指で触れる。 するとそれまで影がかかって見えづらかった顔が徐々にハッキリと見えてきた。
とりたてて目立った所はない平凡な顔立ちをした垢抜けない印象の青年は穏やかな笑みを利飛太へと向ける。
「どうだろ、顔に残していた術を解いたから今度は顔も、見えるんじゃないかな……これ、こういう呪術を使えるんだよね、おれ。どう、呪術師ってのは信用した?」
正直、それでは奇術や手品とあまり変わらない気がするが青年がこれまで姿を見せず利飛太の後を付けていた事や何も語っていないのに志岐間春恵の容姿を言い当てたというのは事実である。
オカルトやら超常現象というものを根っから信じている訳ではないが、彼がそのような力を持っている人間だということを今、嘘だとするような根拠は何もなかった。
「信用するかどうかはひとまず置いておこうか。それよりきちんと説明してくれるんだよな、僕の後を付けた理由とか、マダムの件についてだ」
「そうだなぁ、あんたの後を付けていたのはあんたの身体に呪詛のニオイが染みついていたからだよ。蘇りの秘術は本所七不思議ゆかりの場所に紐付いているからその近辺で強めの呪詛を背負った奴がいないかと探していたらあんたに憑いているのが見えて、それで暫く様子を見ていたんだ。あんたの背負った呪詛が日に日に薄らいでいくからそれがあんた本人のものじゃない、ってのは何となくわかっていたんだけどね」
青年は指先を口元に当てるとここ数日の記憶を掘り返すように目を閉じる。
「できればあんたが呪詛の持ち主本人と会う所を見たいなぁと思って様子を見てたんだけど、先にあんたに気付かれちゃったからこうして姿を現した……って言えば納得してくれるかい」
「なるほど、それで僕の持つ呪詛を抜き取って、その持ち主がマダムである事を確認した……という訳か」
「物わかりがいいね、あんた結構キレる人だ。ま、そういうこと」
青年の言う通りなら彼が探している人物は志岐間春恵に間違いないだろう。
彼女だったら蘇りの秘術が実在するなら求めるだろうし、事件が解決した今も心の拠り所がないまま呆けているような有様なのだから。
「つまり、キミの本当の目的は僕ではなくマダムという訳だね」
「あんたの記憶にある、30代くらいの憂いあるお嬢様育ちの奥様があんたの言うマダムだったら、俺の目的はマダムだよ。彼女はこのままだと呪いに取り込まれる可能性はあるし、そうじゃなくとも今は随分と気持ちが弱っているんだろう。そういう時はやれ救いだ、やれ幸福だという胡乱な言葉を並べて近づいてくる連中も多いから危ないんだ……ほら、幸せになる壺を売るとか先祖が恨んでいるとか。そんな風に脅して高いものを売りつけるなんて悪い商売が流行ってたりするだろう。そういうのからも守ってあげないといけないしね」
「確かにマダムは少しばかり辛い目に会い弱くなっているだろうが、僕からするとキミだってだいぶ怪しい人間だがね。キミこそ壺やら印鑑を売りつけようとしてるんじゃぁないか」
「……そっか。最近資金繰りがよくなくて困ってたんだけど……おれも売ってみようかな、壺とか印鑑」
「おっとやめたまえ、他人に不幸がくるとかデタラメを並べて価値の乏しい壺や印鑑を高値で買わせるとか、人間としてやっていい部分を越えていると思わないか」
「ごもっともで。いやぁ、アンタって見た目は派手だけど思ったより倫理観がある人なんだねぇ安心したよ。正直、おれはそこまで真面目でも全うでもないからさ……何かあると自分の力にさえ飲まれそうになっちゃうんだよ」
青年はそう言うと楽しそうに笑う。
その仕草は年相応の青年らしい姿だったがどこか人間を真似ている人形のような空虚さも感じた。
「それで……キミは何をしたいんだ。僕からマダムの情報を得たいのなら、もう充分のはずだが」
「うん、そうなんだけど……マダム、実はけっこう偉い人とか……そういう系かな」
「言えないね。さっきも言ったが僕は探偵を生業にしている。立場上、顧客について詳しい事を言う訳にはいかないんだ」
「それはわかったけどさ、探偵だって顧客が悲しい目に会うのは避けたいだろ。どうかそのマダムと俺をつないでくれないかな……いや、実はあんたの周辺を調べてみたんだけど、マダムの居る場所は少しばかり固いところでおれみたいな人間は簡単に通してもらえなさそうなんだよね」
確かに志岐間邸は警察官僚の住まいだ。アポもない人間を簡単に通しはしないだろう。
今の志岐間邸を守るのがすっかり人嫌いになってしまった志岐間春恵ならなおさらで、青年がいかに愛想よく振る舞っても決して門を開かないのは目に見えている。
「キミの目的は……何だ? どうしてマダムに拘る」
「マダムは他の人より情念が強いみたいで、呪いを渇望してるんだよね。関わったあんたにもその根が絡みついてくるってのは呪詛的によっぽどの事だしさ。早くその心から遺恨を断たないとずぅっと絶望に引きずられてしまいかねないんだよ。それはマダムの気質ってのもあるんだろうけど今回は蘇りの秘術をするため散らばった呪いの火種も原因があるからさ……蘇りの秘術、関係者の一人としてそういうの、できるだけ取り払ってあげたいと思っているんだ、おれは」
「彼女に危害を加えるつもりは無い……ということかな」
「一応、手荒なことをするつもりはないよ。一応は、だけど」
青年は嘘を言ってるようには見えない。
それに、志岐間春恵が危うい状態だというのは利飛太も同意見だった。
今は電話でしか話をしていないが機会があったら顔を出し大事がないか様子を見たいと考えていたところでもある。
「それで、キミはマダムを苦しみから解放する術を知っているとでもいうのかい?」
「それはちょっと、本人次第だと思うけど……呪いの根だけは排除できるよ。うん、一応はそれが今の本職だから……あ、まだ会社辞めてないから副業か。いや、無償だからボランティア活動かな……」
「おいおい、随分と適当なんだな。呪術師ってのは」
「正直金になってないんだよ、呪術師ってのは。でもおれが呪いを排除したいってのは本気だしあんたの知るマダムもできる限り助けてあげたいってのは結構本心だよ。最も、俺がやるから荒療治になるかもしれないけどね」
「そうか……ふむ……」
利飛太は帽子を直してから両手を組み考える。
青年は嘘つきではないだろうが彼のとる方法が必ずしも安全であり人の心を守るような技ではないというのが利飛太の推測であった。
そもそも呪術師が実在するというのも随分な話だし発言も突拍子も無いことだと言えただろう。
しかし志岐間春恵に対して興味をもっている事実は捨て置けるものではなかった。
青年は随分と蘇りの秘術に執心しているようだし、志岐間春恵がそれに関わっている事に気付いた限り利飛太が断ったとしても別の方法で接触する可能性は充分にあるだろう。
そして、その時志岐間春恵を支えてやれる誰かがいる可能性は限りなく低いのだ。
それならば自分が見届けるのが関わった人間としての責務ではないか。今の志岐間春恵は孤独だ。夫は長らく家に戻らず家族すら腫れ物のように扱っているのだから事情を知る自分くらいしかそばにいてやれないのだ。
「……了解した、マダムへ連絡をつけてやろうじゃないか」
「やった、あんたって見た目と違って話分かるんだね」
「ただし、僕も立ち会うということでいいかな。これはキミが何をするかわからない限りマダムの護衛とキミへの監視の意味が一つ。それと、僕自身がこの事件について全てを見届けたいというのが一つだ。それが飲めるのが条件だが……」
「あぁ、いいよ。おれもあんたと一緒に行くつもりだったからね……わかってるって、おれだって突然現れてそんな提案する奴がいたら怪しくて近づけないから」
青年はにこりと笑うとなれた様子でウインクする。
得体の知れない胡乱な男だがお互い守りたい女がいるというのが共通なら今は敵ではないのだろう。
「……改めて、名前を聞いていいかい? 僕は櫂利飛太、探偵さ」
「おれは興家彰吾、ヒスイ石鹸開発部の普通のサラリーマン兼見習い声聞師ってところかな……よし、ひとまず共闘ってことでよろしく」
そう言いながら興家はにこやかに笑い手を差し出す。
だが利飛太はそれに触れる事なく、代わりにポケットから飴を一つ取り出すとその手へと落とした。
「悪いけど、呪術を扱う人間なんだろう? 何をきっかけに呪われるかわかったものじゃぁないからね、キミとの握手はマダムの件が片付くまでお預けだ。かわりに飴をあげよう、心配しなくても買ったばかりのものさ」
「えぇ、信用ないなぁ……ま、それくらいが探偵としては優秀なんだろうけどね」
興家は受け取った飴を躊躇いなく口に入れてから自分の名刺を差し出した。
本当にヒスイ石鹸の名刺だったから彼が普段会社勤めをしているというのは事実なのだろう。裏には個人宅の電話番号も記載されている。
こんな夜中まで街を歩くような男が昼は普通の会社員として過ごしているのは意外な気がしたが日中に会社員でいる事が興家彰吾という青年を人に留めているよすがの一つかもしれない。
「じゃ、段取りついたらヨロシク。俺はまだちょっと調べたい所もあるからもう少し歩いていくけど、よかったら一緒に来る?」
「いや、遠慮しておこうかな。キミをまだ信用してる訳ではないし」
「そうだよねぇ、じゃ、一人でいくから……櫂さんもあんまり夜ふかししないで気をつけて帰りな。夜はまだまだ、おれたちの時間だからね」
興家はそう言うと穏やかに笑って歩き出す。
彼の背中はさして遠くに行かぬうちからぼんやりと薄れ、すぐそばにあるはずの街灯が下にさしかかる頃には煙のように消えていた。
その瞬間、利飛太は自分がひどい汗をかいている事に気付く。知らぬ間に自分でも気付かぬほど緊張状態にあったのだろう。
やはり、あれは驚異だ。 存在しているだけで人間を脅かす巨大な力そのものだ。
それと対峙していたのだから無意識でもかなり気が張っていたのだろう。
「やれ、あんな化け物と出会えるとは……やはり探偵というのは面白い仕事だ……」
利飛太は滴る汗を拭うと、興家が去った道へと目をやる。
いくつものビルが並んだビジネス街は今は耳が痛くなるほどの静寂に包まれていた。
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