インターネット字書きマンの落書き帳
興家彰吾の暗躍(存在しない真・ED後日談の幻覚)
興家彰吾という人物がまとう雰囲気が好きでたまらない。(挨拶)
好きでたまらないので、比較的に興家彰吾を描きたい人がこちらです。
今回は真EDの存在しない後日談という名の幻覚を出力しました。
一段落ついた後、「ひょっとしてコレ、おれにも責任がある……」「だとしたら、おれが何とかしないといけないなぁ」「おれしかやれる人いなそうだし……」と行動に移しはじめた直後くらいの話ですよ。
俺が連々と描いている「なんか裏でやってる興家彰吾」という概念のプロローグです。
こうして書き続けて密かに発表することで、もし「パラノマサイトの同人イベントあります!」となった時、一冊にまとめて同人誌にしようって知能犯よ……。
とはいえ、俺の趣味煮こごりになってしまいました!
俺にとっては美味しい趣味の煮こごりなので、皆さんも美味しく食べてください!
好きでたまらないので、比較的に興家彰吾を描きたい人がこちらです。
今回は真EDの存在しない後日談という名の幻覚を出力しました。
一段落ついた後、「ひょっとしてコレ、おれにも責任がある……」「だとしたら、おれが何とかしないといけないなぁ」「おれしかやれる人いなそうだし……」と行動に移しはじめた直後くらいの話ですよ。
俺が連々と描いている「なんか裏でやってる興家彰吾」という概念のプロローグです。
こうして書き続けて密かに発表することで、もし「パラノマサイトの同人イベントあります!」となった時、一冊にまとめて同人誌にしようって知能犯よ……。
とはいえ、俺の趣味煮こごりになってしまいました!
俺にとっては美味しい趣味の煮こごりなので、皆さんも美味しく食べてください!
『牡丹と獅子と桐の箱』
興家彰吾は休日の昼下がりに人で賑わう蚤の市をぶらついていた。
豪奢な西洋骨董品を並べて巧みなセールストークを畳みかける物腰柔らかそうな商売人や紙魚に喰われすっかりと変色した古書を積み上げ胡座をかく老人、一体どこから品物を見繕ってきたのかその出処を疑いたくなるような品々を並べる胡乱な小太りの男と様々な人でごった返している。
やはり常連の店を覗きに来ている古株や古物などを扱う同業者が多いのだろう。集まっている人間は皆似たような色をしており鵜の目鷹の目で品物を吟味している者が多く、骨董にも古書にも疎い興家は明らかにその場では浮いていた。
それは店主たちから見ても同様で、明らかに何も分かっておらず人の多さに圧倒されるだけの若造の客など単なる冷やかしか迷子くらいにしか見えなかったのだろう。周囲を眺め人に揉まれる興家に率先して話しかけようとする者は誰一人いなかった。
最もそれは興家にとっても都合が良く、人の多さに辟易こそしていたものの話しかけられないのは随分と気楽ではある。骨董や古書にあまり興味が無いというのも持ち合わせが乏しいというのも商売人たちの見立て通りであり、下手に声をかけられても何かを気軽に変えるような場所も資金も彼にはなかったのだ。
雅な掛け軸を理解せず乙な湯飲みにも興味のない興家が蚤の市を覗いているのには一つの理由があった。 それはつい先日解かれた蘇りの秘術に関連したものである。
秘術は完成されぬまま呪いは解除され中心となった術者自身も呪詛返しにより密かに葬られたことで表面上は全て終わったかのように思えた禄命簿と蘇りの秘術にまつわる因縁だが、呪詛の力を強めるために広められた噂は小さな火種となってあちらこちらへばら撒かれ未だ燻り続けている。
平時であれば死者が蘇るといった話など眉唾ものだと笑い相手にしないのが当然だろうが、大概の人間がもし本当であれば試してみたいと思う気持ちがあるのもまた当然だろう。心の底から愛していた存在や拠り所としていた人物を喪って間もないのであれば尚更である。
呪詛というのは僅かな期待という甘い蜜で人の心を惑わして蝕んで、人として越えてはならぬ境界線を濃霧で隠し見えぬものとするのが常なのだ。
もし本当に生き返るのならば戻ってきてほしい。
微かにでもそのような情念を抱くのであれば呪詛の種はそこに根付き魂の奥底へ深く入り込んで人の心を蝕み食い潰していこうとするものであり、食い潰された魂は死んでもなお地脈へ残り淀みやら穢れと言われるものへ変貌するとそれはそれは厄介なものとなる。
やたらと事故がおこる交差点やら自殺者が後を絶たない踏切といった場所が存在するが、それは大半が事故の起こりやすいような視覚的問題や油断に繋がる心理的な死角が原因ではあるのだが地脈に留まった淀みとも穢れとも言われるものが判断を鈍らせ心を摩耗させるといった部分も少なからずあるのだから。
そうなる前に、少しでも多くの禍根を断たねばならぬ。
本来、興家にそこまでする義理など微塵もないのだが彼自身がそうしようと思ったのは乗りかかった船というものもあるのだろう。
また、呪いの渦中に存在した張本人がこの世にもういないのだから後始末が出来ないというのも理由の一つである。
興家自身の本意でなかったとはいえ相手を呪詛返しで殺めてしまった罪悪感というのも幾分かはあったろう。
何よりも多少なりとも好意を抱いた女に対し何かしらしてやりたいという気持ちが抑えられなかったというのも大きかったに違いない。
福永葉子に対する感情が単純な愛情や好意だったのかそれとも宿縁による執着なのかは興家自身にもわからない部分ではあるし、また彼女の蒔いた悪意の種を出来る限り回収し事態を収拾しようと思ったのは好意を利用された事に対する意趣返しのような心持ちに近いような気持ちでもあるため単純に好き嫌いといった恋慕の情とは幾分か違うのだろう。
だがどのような思いであれ興家にとって福永が特別な女である事はきっと代わりはないのだ。
さて、話を悩める若人の心境から現在の蚤の市へと戻すとしよう。
興家がこの場にいるのは福永がまき散らした呪詛の火だねを封印するに相応しい器がないか探しに来ているのである。
当初は呪いの根を自身の身体に移してしまえばいいかと軽く考えていた興家であったが、呪いという存在を学び多少は操れるようになっていくうちにこれが想像以上に自身の思考や価値観を蝕んでいく危険を孕んでいる事に気づき安易に自分を差し出すのはまずいと考え直したからだ。
これはもし今の自分が福永のようにそのまま外法へ手を染める事になれば、あるいは自らの先祖すじにあたる土御門清曼のように禁じられた秘術に手を染めるようになればそれを止められる存在が早々に現れないだろうという自制心もあってのことである。
当然、他人の身体を使うのなどもってのほかだ。
だとするならば、呪いの根を集めるのに相応しい器が必用となる。
なにゆえに呪詛を集めるのかと言われれば、小豆を部屋にまき散らした時、一つ一つを箸で拾いゴミ箱に捨てるよりは箒で一つにまとめて捨てた方が楽だと言えば良いだろう。
小さくても呪詛として重みを増した危険な存在をその都度処理していくよりも一気にまとめて処理をした方が楽だろうというのが興家の見立てであったし、もし呪詛の力を何かしら他の事に使えたら都合がいいだろうといったちょっとした打算もある。
とはいえ呪詛を集めるには鉛のような感情を一つに入れ集めても壊れることもなければ溢れることもないような丈夫さと大きさは必用不可欠だ。
理想としては長い年月を生きた大樹で作られた彫刻や信仰の対象になり得る神像・仏像、呪詛に耐えうるよう作られた呪物の類いが欲しいのだが、そういった有象無象が集う場所といえばこのような蚤の市が随分と都合がいいのである。
これは興家自身が身につけた付け焼き刃の占術で今日のこの場に吉兆があると出たのも理由の一つではあるのだが。
それにしても、蚤の市とはこんなにも人が集まるものかと興家は思っていた。
今までは古本にも骨董にも無縁で生きてきた為に素人も商売人も入り交じって店を出す場というのにこれほどまでに興味を抱くものがいるなど予想もしていなかったからだ。
満足に店を覗く事も出来ぬまま人混みに揉まれ右往左往し、何とか足を止められる店も素焼きの皿にしか見えぬ品に目玉が飛び出るほどの値段がつけられているといった有様でこれは徒労に終わるかと半ば諦めた頃、一つの店が目に留まる。 狭いシートにぽつりと座り客などどうせ来ないだろうと煙草を飲み呆けた男の前には印籠やら矢立、煙管筒といった着物を飾る小物をずらりと取りそろえた小さな店だ。
どれもこれも今日のため綺麗に磨かれてはいるが随分と古いものであるのは違いない。興家は誘われるように店の前へと座り並べられた品を眺めればそこには根付けもいくつかおかれていた。
そういえば、本所事変に巻き込まれ縊り殺された甚吉は根付職人であったか。
そんな事を思いながら黒檀やら象牙やらで作られた根付けを一つ一つ眺めていれば、柘植で作られた牡丹獅子の根付けに自然と視線が吸い込まれていた。
興家が見た甚吉が作の根付けは「置いてけ堀」の根付けただ一つであり土御門清曼が甚吉が技と魂の残渣を結びつけて顕在化させた実際には存在しない品ではあったが、この牡丹獅子はまさしく甚吉の癖が残る作品だと確信させるにおいを感じたからだ。
あるいはそれこそ土御門清曼が大病に伏せ甚吉の世話になった頃、病床で彼の仕事を見て来た記憶の残り香だったのかもしれないが。
「牡丹に獅子ってのはつきものなんだよ、兄さんご存じかい」
ついその根付けを手に取ってじっと見つめる興家に店主らしき壮年の男は煙草を吹かした。
「いえ、知りません。ただこの根付けが随分と懐かしいような気がして」
「ははッ、最近は着物を好んで着る奴なんざとんと見なくなっちまったが根付けを懐かしむなんて人もまだいるもんだねぇ。そいつはちょいと傷はあるものの、なかなか良い品だと思うぜ。兄さん若いのに随分目利きだね」
「いえいえ、おれは骨董なんて無縁で生きてきたんで……あぁ、何で牡丹獅子なんです」
「獅子身中の虫なんて言葉ぁ知ってるかい。自分の味方だと思っていた所に実は仇なす相手がいる、なぁんて意味なんだが獅子ってのは自分の腹ん中に命を奪う危うい虫を飼っているもんだ。で、その虫を封じるのが牡丹から作られる薬だって話でね。獅子が生きるにゃ牡丹が欠かせないから屏風やら何やらに牡丹と獅子は一緒に描かれるのがままあるってわけさ」
なるほど、と呟いて興家はしばし瞑目する。
獅子というのはいかにも禍々しきものを封じるのに向いているのではあるまいか。それに、牡丹と獅子という組み合わせは何とも良い。
興家と福永と共にいた時間は人生においてあまりに短かったが不思議と心地よくそこにあるのが必然だったようにさえ思えるのはまさに牡丹と獅子の如く姿だったに違いなかろう。
もっとも、その場合は獅子が福永葉子であり自分が牡丹なのだろうが。
ともかく、これならきっと丁度いい。器としても充分な品であり、縁としても深いもの。きっと全てを担えるはずだ。
「あの、これはおいくらですか」
根付けを手に取り問えば、男は歯を見せて笑うと片手で金額を告げる。
それは会社員三年目の興家からすると悲鳴が出るほどの値段であった。
「無銘の職人がつくった品だし傷もあるがこれだけの腕でこれだけの誂えだから、まぁこれでも安いほうだよ。どうする、兄さん」
物欲しそうにしていたから足下を見られたか。それとも根付けというのは概ねこの位の値段がするものなのだろうか。いかんせんその知識がないのでわからない。
だが今日ほかの店を見て回っても甚吉作の根付けが二つとあるとも思えないし、もし甚吉の作が見つかったとしてもこの牡丹獅子ほど心に迫る出会いはないだろう。
今日の手持ちを思い出し、興家は腹をくくる。
「いただきます。これを是非」
「おぉ、剛毅だねぇお兄さん。まいどどうも」
男はニタニタ笑いながら興家から金を受け取ると小さな桐箱にそれをおさめて差し出した。
「ありがとございます、いい買い物をしました」
興家は懐の痛手を誤魔化すかのように丁重な物言いで頭を下げると鞄の中へ根付けを入れる。 そして人の流れに乗るともはやここには用がないといった案配で蚤の市を後にした。
「あぁ、参ったなァ。思わぬ出費ってやつだ、今日はもう電車は使えないぞ、歩いて家に帰らないとな。いやいや、銀行に行けるまで食事もどうしよう、買い置きなんてしないから……」
明日の食事を気にしながら独りごちる。
そんな興家に相づちでも打つように鞄のなかにある根付けの箱はカタカタと揺れるのだった。
興家彰吾は休日の昼下がりに人で賑わう蚤の市をぶらついていた。
豪奢な西洋骨董品を並べて巧みなセールストークを畳みかける物腰柔らかそうな商売人や紙魚に喰われすっかりと変色した古書を積み上げ胡座をかく老人、一体どこから品物を見繕ってきたのかその出処を疑いたくなるような品々を並べる胡乱な小太りの男と様々な人でごった返している。
やはり常連の店を覗きに来ている古株や古物などを扱う同業者が多いのだろう。集まっている人間は皆似たような色をしており鵜の目鷹の目で品物を吟味している者が多く、骨董にも古書にも疎い興家は明らかにその場では浮いていた。
それは店主たちから見ても同様で、明らかに何も分かっておらず人の多さに圧倒されるだけの若造の客など単なる冷やかしか迷子くらいにしか見えなかったのだろう。周囲を眺め人に揉まれる興家に率先して話しかけようとする者は誰一人いなかった。
最もそれは興家にとっても都合が良く、人の多さに辟易こそしていたものの話しかけられないのは随分と気楽ではある。骨董や古書にあまり興味が無いというのも持ち合わせが乏しいというのも商売人たちの見立て通りであり、下手に声をかけられても何かを気軽に変えるような場所も資金も彼にはなかったのだ。
雅な掛け軸を理解せず乙な湯飲みにも興味のない興家が蚤の市を覗いているのには一つの理由があった。 それはつい先日解かれた蘇りの秘術に関連したものである。
秘術は完成されぬまま呪いは解除され中心となった術者自身も呪詛返しにより密かに葬られたことで表面上は全て終わったかのように思えた禄命簿と蘇りの秘術にまつわる因縁だが、呪詛の力を強めるために広められた噂は小さな火種となってあちらこちらへばら撒かれ未だ燻り続けている。
平時であれば死者が蘇るといった話など眉唾ものだと笑い相手にしないのが当然だろうが、大概の人間がもし本当であれば試してみたいと思う気持ちがあるのもまた当然だろう。心の底から愛していた存在や拠り所としていた人物を喪って間もないのであれば尚更である。
呪詛というのは僅かな期待という甘い蜜で人の心を惑わして蝕んで、人として越えてはならぬ境界線を濃霧で隠し見えぬものとするのが常なのだ。
もし本当に生き返るのならば戻ってきてほしい。
微かにでもそのような情念を抱くのであれば呪詛の種はそこに根付き魂の奥底へ深く入り込んで人の心を蝕み食い潰していこうとするものであり、食い潰された魂は死んでもなお地脈へ残り淀みやら穢れと言われるものへ変貌するとそれはそれは厄介なものとなる。
やたらと事故がおこる交差点やら自殺者が後を絶たない踏切といった場所が存在するが、それは大半が事故の起こりやすいような視覚的問題や油断に繋がる心理的な死角が原因ではあるのだが地脈に留まった淀みとも穢れとも言われるものが判断を鈍らせ心を摩耗させるといった部分も少なからずあるのだから。
そうなる前に、少しでも多くの禍根を断たねばならぬ。
本来、興家にそこまでする義理など微塵もないのだが彼自身がそうしようと思ったのは乗りかかった船というものもあるのだろう。
また、呪いの渦中に存在した張本人がこの世にもういないのだから後始末が出来ないというのも理由の一つである。
興家自身の本意でなかったとはいえ相手を呪詛返しで殺めてしまった罪悪感というのも幾分かはあったろう。
何よりも多少なりとも好意を抱いた女に対し何かしらしてやりたいという気持ちが抑えられなかったというのも大きかったに違いない。
福永葉子に対する感情が単純な愛情や好意だったのかそれとも宿縁による執着なのかは興家自身にもわからない部分ではあるし、また彼女の蒔いた悪意の種を出来る限り回収し事態を収拾しようと思ったのは好意を利用された事に対する意趣返しのような心持ちに近いような気持ちでもあるため単純に好き嫌いといった恋慕の情とは幾分か違うのだろう。
だがどのような思いであれ興家にとって福永が特別な女である事はきっと代わりはないのだ。
さて、話を悩める若人の心境から現在の蚤の市へと戻すとしよう。
興家がこの場にいるのは福永がまき散らした呪詛の火だねを封印するに相応しい器がないか探しに来ているのである。
当初は呪いの根を自身の身体に移してしまえばいいかと軽く考えていた興家であったが、呪いという存在を学び多少は操れるようになっていくうちにこれが想像以上に自身の思考や価値観を蝕んでいく危険を孕んでいる事に気づき安易に自分を差し出すのはまずいと考え直したからだ。
これはもし今の自分が福永のようにそのまま外法へ手を染める事になれば、あるいは自らの先祖すじにあたる土御門清曼のように禁じられた秘術に手を染めるようになればそれを止められる存在が早々に現れないだろうという自制心もあってのことである。
当然、他人の身体を使うのなどもってのほかだ。
だとするならば、呪いの根を集めるのに相応しい器が必用となる。
なにゆえに呪詛を集めるのかと言われれば、小豆を部屋にまき散らした時、一つ一つを箸で拾いゴミ箱に捨てるよりは箒で一つにまとめて捨てた方が楽だと言えば良いだろう。
小さくても呪詛として重みを増した危険な存在をその都度処理していくよりも一気にまとめて処理をした方が楽だろうというのが興家の見立てであったし、もし呪詛の力を何かしら他の事に使えたら都合がいいだろうといったちょっとした打算もある。
とはいえ呪詛を集めるには鉛のような感情を一つに入れ集めても壊れることもなければ溢れることもないような丈夫さと大きさは必用不可欠だ。
理想としては長い年月を生きた大樹で作られた彫刻や信仰の対象になり得る神像・仏像、呪詛に耐えうるよう作られた呪物の類いが欲しいのだが、そういった有象無象が集う場所といえばこのような蚤の市が随分と都合がいいのである。
これは興家自身が身につけた付け焼き刃の占術で今日のこの場に吉兆があると出たのも理由の一つではあるのだが。
それにしても、蚤の市とはこんなにも人が集まるものかと興家は思っていた。
今までは古本にも骨董にも無縁で生きてきた為に素人も商売人も入り交じって店を出す場というのにこれほどまでに興味を抱くものがいるなど予想もしていなかったからだ。
満足に店を覗く事も出来ぬまま人混みに揉まれ右往左往し、何とか足を止められる店も素焼きの皿にしか見えぬ品に目玉が飛び出るほどの値段がつけられているといった有様でこれは徒労に終わるかと半ば諦めた頃、一つの店が目に留まる。 狭いシートにぽつりと座り客などどうせ来ないだろうと煙草を飲み呆けた男の前には印籠やら矢立、煙管筒といった着物を飾る小物をずらりと取りそろえた小さな店だ。
どれもこれも今日のため綺麗に磨かれてはいるが随分と古いものであるのは違いない。興家は誘われるように店の前へと座り並べられた品を眺めればそこには根付けもいくつかおかれていた。
そういえば、本所事変に巻き込まれ縊り殺された甚吉は根付職人であったか。
そんな事を思いながら黒檀やら象牙やらで作られた根付けを一つ一つ眺めていれば、柘植で作られた牡丹獅子の根付けに自然と視線が吸い込まれていた。
興家が見た甚吉が作の根付けは「置いてけ堀」の根付けただ一つであり土御門清曼が甚吉が技と魂の残渣を結びつけて顕在化させた実際には存在しない品ではあったが、この牡丹獅子はまさしく甚吉の癖が残る作品だと確信させるにおいを感じたからだ。
あるいはそれこそ土御門清曼が大病に伏せ甚吉の世話になった頃、病床で彼の仕事を見て来た記憶の残り香だったのかもしれないが。
「牡丹に獅子ってのはつきものなんだよ、兄さんご存じかい」
ついその根付けを手に取ってじっと見つめる興家に店主らしき壮年の男は煙草を吹かした。
「いえ、知りません。ただこの根付けが随分と懐かしいような気がして」
「ははッ、最近は着物を好んで着る奴なんざとんと見なくなっちまったが根付けを懐かしむなんて人もまだいるもんだねぇ。そいつはちょいと傷はあるものの、なかなか良い品だと思うぜ。兄さん若いのに随分目利きだね」
「いえいえ、おれは骨董なんて無縁で生きてきたんで……あぁ、何で牡丹獅子なんです」
「獅子身中の虫なんて言葉ぁ知ってるかい。自分の味方だと思っていた所に実は仇なす相手がいる、なぁんて意味なんだが獅子ってのは自分の腹ん中に命を奪う危うい虫を飼っているもんだ。で、その虫を封じるのが牡丹から作られる薬だって話でね。獅子が生きるにゃ牡丹が欠かせないから屏風やら何やらに牡丹と獅子は一緒に描かれるのがままあるってわけさ」
なるほど、と呟いて興家はしばし瞑目する。
獅子というのはいかにも禍々しきものを封じるのに向いているのではあるまいか。それに、牡丹と獅子という組み合わせは何とも良い。
興家と福永と共にいた時間は人生においてあまりに短かったが不思議と心地よくそこにあるのが必然だったようにさえ思えるのはまさに牡丹と獅子の如く姿だったに違いなかろう。
もっとも、その場合は獅子が福永葉子であり自分が牡丹なのだろうが。
ともかく、これならきっと丁度いい。器としても充分な品であり、縁としても深いもの。きっと全てを担えるはずだ。
「あの、これはおいくらですか」
根付けを手に取り問えば、男は歯を見せて笑うと片手で金額を告げる。
それは会社員三年目の興家からすると悲鳴が出るほどの値段であった。
「無銘の職人がつくった品だし傷もあるがこれだけの腕でこれだけの誂えだから、まぁこれでも安いほうだよ。どうする、兄さん」
物欲しそうにしていたから足下を見られたか。それとも根付けというのは概ねこの位の値段がするものなのだろうか。いかんせんその知識がないのでわからない。
だが今日ほかの店を見て回っても甚吉作の根付けが二つとあるとも思えないし、もし甚吉の作が見つかったとしてもこの牡丹獅子ほど心に迫る出会いはないだろう。
今日の手持ちを思い出し、興家は腹をくくる。
「いただきます。これを是非」
「おぉ、剛毅だねぇお兄さん。まいどどうも」
男はニタニタ笑いながら興家から金を受け取ると小さな桐箱にそれをおさめて差し出した。
「ありがとございます、いい買い物をしました」
興家は懐の痛手を誤魔化すかのように丁重な物言いで頭を下げると鞄の中へ根付けを入れる。 そして人の流れに乗るともはやここには用がないといった案配で蚤の市を後にした。
「あぁ、参ったなァ。思わぬ出費ってやつだ、今日はもう電車は使えないぞ、歩いて家に帰らないとな。いやいや、銀行に行けるまで食事もどうしよう、買い置きなんてしないから……」
明日の食事を気にしながら独りごちる。
そんな興家に相づちでも打つように鞄のなかにある根付けの箱はカタカタと揺れるのだった。
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