インターネット字書きマンの落書き帳
ヘンリックとアーチボルトの話
以前webに乗せていた作品を再掲して何か書いた気持ちになろうキャンペーン!
今回はブラボのヘンリックが、工房の変人・アーチボルトと仲が良かったという架空の設定で黒獣パールの様子を見に来る話ですよ。
アーチボルトの事を「アーチー」って相性で呼ぶのは俺の趣味です。
もう廃墟になるのまったなし、という斜陽の街・ヤーナム。
それに思いを馳せ、パールの雷光を愛するヘンリックという概念を抽出しましたよ。
俺が書きたい格好いいヘンリックの詰め合わせセットです。
今回はブラボのヘンリックが、工房の変人・アーチボルトと仲が良かったという架空の設定で黒獣パールの様子を見に来る話ですよ。
アーチボルトの事を「アーチー」って相性で呼ぶのは俺の趣味です。
もう廃墟になるのまったなし、という斜陽の街・ヤーナム。
それに思いを馳せ、パールの雷光を愛するヘンリックという概念を抽出しましたよ。
俺が書きたい格好いいヘンリックの詰め合わせセットです。
『いずれ潰える愛しき光』
それは、月のない夜だった。
血と脂と焼け焦げた木材のにおいが充満する旧市街に、ヘンリックは来ていた。一人ではない、医療教会が有する工房でも一番の変人として名高いアーチボルトと一緒だ。
闇の中足跡を響かせながら、ヘンリックはこうして人と並んで歩くのも随分と久しぶりだと思っていた。ガスコインと疎遠になってから随分と経つからだ。
所帯をもってから狩人稼業からは遠ざかり、教会の墓守に従事する事が増えてきた。娘も生まれ小さいながら幸せな家庭を築いているガスコインの家にわざわざ獣の匂いを持ち込む事などないだろう。そう思ったヘンリックの足は自然とガスコインの家から遠のくようになっていた。 相棒であるガスコインとのコンビを解消してからもヘンリックは狩人としてますます活躍が盛んとなり、最近は武具の調整や装備の改良なんか工房に出入りすることも増えていた。
特に周囲からは変人扱いをされているアーチボルトの武器は、老いて体力の衰えが出はじめたヘンリックの不足する部分を補うような興味深い技術も多く研究しており、最近は彼と連む事が増えていたのだ。
とはいえども、普段は工房に籠もっているアーチボルトが外に出るのは珍しい。日が暮れればどこからともなく獣が現れ人々の血肉で空腹を癒やすようなヤーナムでは尚更だ。その日わざわざ研究者気質のアーチボルトが外に出たのは、より効率的な武器を生み出すため実際の獣を見るという目的があったからであり、ヘンリックはその護衛として雇われたのだ。
空を仰げばどこまでも暗く、か細いカンテラの灯りだけが唯一の道しるべだ。周囲は深く暗い夜の帳が降り、もしカンテラの火が消えたのならば周囲は前後は勿論のこと、上も下も分からぬほどの闇に包まれた事だろう。宇宙は空にある、とは聖歌隊の言葉だが、星も見えない闇の中にいるとまるで自分が宇宙という絶対的孤独の空間に一人投げ出されたような錯覚さえ覚えた。
あるいは、とうの昔に投げ出されているのかもしれない。
ガスコインと相棒として付き合いが出来なくなった時からか。 あるいは、ヤーナムへと流れついた時からか。それよりもずっと前から、ヤーナムにたどり着く前まだ自分がまともだと思っていた頃からか、ヘンリックの心にはずっと虚のようなものが住み着いていた。
埋めようのない空洞は生に対しての絶望からか、それとも諦めからか、あるいは元々ヘンリックは生きる事に対して希望も執着もなかったのかもしれない。
「ヘンリック、そろそろだぞ」
アーチボルトの言葉が合図で、ヘンリックは思慮を中断する。それを待っていたかのように、彼の周囲は突如として青白い光に包まれていった。星の瞬きにも似た無数の光はヘンリックの周囲を包み込むように廻り、わずか先すら見通せぬような闇夜を青白く照らし続ける。それはまるで星が降ってきたような。あるいは無数の流れ星に包まれたような、そんな幻想的な風景に思えた。
だが現実はそうではない。 これは雷光であり、迂闊に触れれば激しい痺れと痛みをもたらす強いエネルギーの集合体なのだ。
そしてそれを産み出しているのが目の前にいる黒く、乾いた一匹の巨躯なる獣……医療教会か、あるいはビルゲンワースの連中がつけたのだろうか、黒獣パールと呼ばれている個体が産み出す雷光に相違なかった。
黒獣パールが元はどんな人間だったのか、そもそも人間だったのかさえも、今となってはわからない。 聖職者の獣ともちがう、だがヤーナムの獣ともまたちがう巨大な身体と特殊な能力、ヤーナムの罹患者からは出ていない、雷光を操る力をもっていたため、その駆除に多くの狩人が立ち向かいそして多くを死に至らしめたというのはヘンリックの記憶にも強く残っている。
その黒獣パールは今、ビルゲンワースの意向で旧市街の奥、ヤハグルの傍らに捨て置かれるよう閉じ込められ、雷光の原理を探るという理由で飼い殺しにされていた。結局のところ、どうしてこの獣が雷光を放つのかはわからず、研究者の殆どが食い殺され捨て置かれたまま何年も過ぎてしまっているのだが、日々病の罹患者が増え正気を失う人間が多いこのヤーナムでまともに獣と向き合い研究をしようというのが最初からどだい無理な話だったのだろう。
「最近、流浪の狩人が一人また、このヤーナムに流れ着いた」
ヘンリックは広げた手を、雷光へと向ける。すると 雷光はまるでヘンリックの手を嫌うように、ふっと彼から遠ざかっていった。
ヘンリックの装束はアーチボルトの創意工夫から雷に特に強くなっている。それは黒獣パールの存在が現れた時、またこのような獣が現われた時に対処できる装束を作るという狙いもあったのだが、それ以上にこの雷光をもっと傍で見たいというヘンリックの希望から作られたものでもあった。
青白く光そして消えゆくその輝きに対し、ヘンリックは恐ろしさより美しさを抱いていたからだ。
「へぇ……流浪の狩人かぁ。ヤーナムでは久しく、外からの狩人は来てなかったから……珍しいねぇ」
アーチボルトはさして興味のなさそうに言う。
今のヤーナムは斜陽の街と言うに相応しい程に衰退を見せていた。
医療教会は獣を狩り殺せるほど力のある狩人はほとんどなく形式だけの存在になっているにも関わらず意に反する存在を内々に粛正するような組織に成り下がったため今や信じるものより恐怖するものが多く、かつてのような求心力はもうない。狩人たちの導きとなったルドウイークのような英雄もおらず、ローゲリウスのように耳障りのよい言葉で聴衆の心を掴むような指標となる存在もいないまま獣狩りという名の人殺しを続けているのだからそれも必然だったろう。
医療教会の上層である聖歌隊は獣を狩る側から獣に取り入る側になって久しいとも聞く。
かつて街を賑わした学び舎であるビルゲンワースは殆ど廃墟同然となっており、メンシス学派だけが爛々と目を輝かせて秘匿している術を完成させようとやっきになるばかりだ。
これでメンシス学派の術というのも獣の病を克服するものであればまだ生きる希望も沸くだろうが、彼らの研究は人間の器などに興味はないのだろう。
獣狩りをするのは専ら、ヤーナムの不死の噂を聞いた異邦の狩人ばかりになっていた。
あらゆる病に効くという特効薬、血の医療の噂を聞きつけた、異郷のものはヤーナムの内実を知らず伝承にすがるよう灯火をかかげ集まってくるのだが、その異郷の狩人も、日に日に数が減っている。
死んでしまうのか、不死という夢から覚めてしまうのか、狂ってしまうのか、獣になったのか。とにかく気付いた時には消えていなくなっているのだ。
街にかつての活気はなく、市場に出向いてもヒトも、モノも殆どない。
ヨセフカの診療所では薬が足りず、怪我をした人間をただ寝かせるまま何の処置も出来ないという野戦病院のような有様になっていた。
「……何でも、恩人の仇を探しているのだという」
光の中で手を広げながら、ヘンリックは囁くように言う。 傍らのアーチボルトはそんなヘンリックの様子を見ながら、何かの記録をとっているようだった。
「恩人の仇かぁ……復讐ってやつ? ははッ、一番危うい理由の行動動機だね」
「そう、復讐のためにやってきたらしい……そして、そいつの探している復讐の相手とやらが、どうやらこいつのようだ」
ヘンリックはそういい、上を向く。
骨に針金のような黒い剛毛がはりついた獣は、身体を震わせながら青白い光を放てばヘンリックの周囲にまた数多の光が、蛍のように飛び交ってていた。
「こいつって……パールの事かい? つまり、復讐者はパールを殺しにきた狩人という訳か……困るな、パールは貴重な研究材料なのに」
アーチボルトはそういうが、それほど残念といった様子は見せなかった。 それは自分の研究が一つの段階に達していたというのもあるのだろうが、長らくこの場に縛り付けられ、研究という名目で痛め付けられ、死ぬ事も出来ずに囚われているこの獣を多少なりとも気の毒に思っているからだろう。アーチボルトはこの街でまだ痛みがわかるため変人として扱われているのだ。
「でも、パールは全盛期と比べれば全くもって大人しいけど。それでも強いよ? その流浪の狩人は、パールを殺しきれるほど強いってのかい」
どこかおどけた様子でアーチボルトが聞く。ヘンリックは一瞬目を閉じ、その狩人の姿を思い出していた。
東洋人特有の黒髪とのっぺりとした顔立ちは酷く若く見えるが、実年齢は壮年といっても差し支えないだろう。痩躯の男だ。だが鋼のように鍛えられた筋肉をもっている。 ルドウイークの剣ともちがう、刀身の反った奇妙な得物を巧みに操り獣狩りをする姿はヤーナムに来て間もないとは思えぬ程に手慣れていた。
あの武器でいかにパールへ迫っていくのか想像は付かないが。
「強い……な。恐らく、今のパールであれば充分に殺しきれるだろう」
流浪の狩人からは、おぞましいほどの憎悪と殺意とが満ちあふれていた。
復讐は、戦う理由として最も脆く、安っぽい理由の一つと言えるだろう。 だが同時に復讐という理由は、憎悪と殺意を極限まで研ぎ澄まし人そのものを一つの凶器と変えうる感情でもある。
あの流浪の狩人にとって恩人というものがどれほどの存在だったのかを伺い知る事は出来ないが、ヤーナムにいる獣を斬り殺せる程の凶器であり、狂気となっているのは間違いないだろう。
「そう、か……そんなに強いのか」
黒獣パールは身体を震わすのをやめる。 周囲に満ちていた青白い光は一つ、また一つと大地へ堕ちて消えていき、世界はまた上も下も分からぬ闇夜へと舞い戻った。
「あぁ、だけど頃合いかもしれないなァ……俺の研究も、パールも……」
「何だ、アーチー、らしくないな」
「いくら工房の変人でも、この街がもうどうしようもないってのはわかってるさ」
アーチボルトはそう言うと、軽く肩をすくめて笑うと街の方へと視線をやる。
ヘンリックと違いこの街で生まれ育ち長らくここに住んでいるアーチボルトでさえ、もはやこの街は終焉にあるのだと悟っているようだった。
だが、ここから出る気はないのだろう。
アーチボルトはヤーナム産まれでずっと工房に詰めていた職人だ。彼の技術を医療教会は外に出そうと思わないだろうし、彼自身もまた外の工房ではこのような仕事が出来るとも思っていないだろう。
ヤーナムに産まれたものは、ヤーナムの秘密を抱いたままこの土地で死ぬ。
それがこの街では当たり前の事だった。
「あぁ、光が……消えたな」
まとわりつくような闇の中、アーチボルトの声だけが聞こえる。 雷光に気を取られている間に、カンテラの火が消えていたのだろう。あるいはアーチボルトが雷光を楽しむため消してしまったのかもしれない。
ヘンリックはカンテラを探り当てると、慣れた手つきで火をともす。オレンジの灯りが周囲を暖かく照らした。
「光が消えたとしても……また、誰かつけるだろう」
そして光を灯すのはきっともう、自分の役目ではないのだろう。このヤーナムにはその担い手が一人、一人と減っていき、いずれその誰かもいなくなるのだ。
その言葉は口にせず、カンテラを掲げて歩き出すヘンリックの後をアーチボルトもついていく。 去り際、一度だけヘンリックは黒獣パールの方を振り返った。
黒い獣はじっと蹲って空洞のような目を虚空に向ける。
そこには青白い光は一欠片もなく、ただただ暗く、深い闇だけが広がっていた。
それは、月のない夜だった。
血と脂と焼け焦げた木材のにおいが充満する旧市街に、ヘンリックは来ていた。一人ではない、医療教会が有する工房でも一番の変人として名高いアーチボルトと一緒だ。
闇の中足跡を響かせながら、ヘンリックはこうして人と並んで歩くのも随分と久しぶりだと思っていた。ガスコインと疎遠になってから随分と経つからだ。
所帯をもってから狩人稼業からは遠ざかり、教会の墓守に従事する事が増えてきた。娘も生まれ小さいながら幸せな家庭を築いているガスコインの家にわざわざ獣の匂いを持ち込む事などないだろう。そう思ったヘンリックの足は自然とガスコインの家から遠のくようになっていた。 相棒であるガスコインとのコンビを解消してからもヘンリックは狩人としてますます活躍が盛んとなり、最近は武具の調整や装備の改良なんか工房に出入りすることも増えていた。
特に周囲からは変人扱いをされているアーチボルトの武器は、老いて体力の衰えが出はじめたヘンリックの不足する部分を補うような興味深い技術も多く研究しており、最近は彼と連む事が増えていたのだ。
とはいえども、普段は工房に籠もっているアーチボルトが外に出るのは珍しい。日が暮れればどこからともなく獣が現れ人々の血肉で空腹を癒やすようなヤーナムでは尚更だ。その日わざわざ研究者気質のアーチボルトが外に出たのは、より効率的な武器を生み出すため実際の獣を見るという目的があったからであり、ヘンリックはその護衛として雇われたのだ。
空を仰げばどこまでも暗く、か細いカンテラの灯りだけが唯一の道しるべだ。周囲は深く暗い夜の帳が降り、もしカンテラの火が消えたのならば周囲は前後は勿論のこと、上も下も分からぬほどの闇に包まれた事だろう。宇宙は空にある、とは聖歌隊の言葉だが、星も見えない闇の中にいるとまるで自分が宇宙という絶対的孤独の空間に一人投げ出されたような錯覚さえ覚えた。
あるいは、とうの昔に投げ出されているのかもしれない。
ガスコインと相棒として付き合いが出来なくなった時からか。 あるいは、ヤーナムへと流れついた時からか。それよりもずっと前から、ヤーナムにたどり着く前まだ自分がまともだと思っていた頃からか、ヘンリックの心にはずっと虚のようなものが住み着いていた。
埋めようのない空洞は生に対しての絶望からか、それとも諦めからか、あるいは元々ヘンリックは生きる事に対して希望も執着もなかったのかもしれない。
「ヘンリック、そろそろだぞ」
アーチボルトの言葉が合図で、ヘンリックは思慮を中断する。それを待っていたかのように、彼の周囲は突如として青白い光に包まれていった。星の瞬きにも似た無数の光はヘンリックの周囲を包み込むように廻り、わずか先すら見通せぬような闇夜を青白く照らし続ける。それはまるで星が降ってきたような。あるいは無数の流れ星に包まれたような、そんな幻想的な風景に思えた。
だが現実はそうではない。 これは雷光であり、迂闊に触れれば激しい痺れと痛みをもたらす強いエネルギーの集合体なのだ。
そしてそれを産み出しているのが目の前にいる黒く、乾いた一匹の巨躯なる獣……医療教会か、あるいはビルゲンワースの連中がつけたのだろうか、黒獣パールと呼ばれている個体が産み出す雷光に相違なかった。
黒獣パールが元はどんな人間だったのか、そもそも人間だったのかさえも、今となってはわからない。 聖職者の獣ともちがう、だがヤーナムの獣ともまたちがう巨大な身体と特殊な能力、ヤーナムの罹患者からは出ていない、雷光を操る力をもっていたため、その駆除に多くの狩人が立ち向かいそして多くを死に至らしめたというのはヘンリックの記憶にも強く残っている。
その黒獣パールは今、ビルゲンワースの意向で旧市街の奥、ヤハグルの傍らに捨て置かれるよう閉じ込められ、雷光の原理を探るという理由で飼い殺しにされていた。結局のところ、どうしてこの獣が雷光を放つのかはわからず、研究者の殆どが食い殺され捨て置かれたまま何年も過ぎてしまっているのだが、日々病の罹患者が増え正気を失う人間が多いこのヤーナムでまともに獣と向き合い研究をしようというのが最初からどだい無理な話だったのだろう。
「最近、流浪の狩人が一人また、このヤーナムに流れ着いた」
ヘンリックは広げた手を、雷光へと向ける。すると 雷光はまるでヘンリックの手を嫌うように、ふっと彼から遠ざかっていった。
ヘンリックの装束はアーチボルトの創意工夫から雷に特に強くなっている。それは黒獣パールの存在が現れた時、またこのような獣が現われた時に対処できる装束を作るという狙いもあったのだが、それ以上にこの雷光をもっと傍で見たいというヘンリックの希望から作られたものでもあった。
青白く光そして消えゆくその輝きに対し、ヘンリックは恐ろしさより美しさを抱いていたからだ。
「へぇ……流浪の狩人かぁ。ヤーナムでは久しく、外からの狩人は来てなかったから……珍しいねぇ」
アーチボルトはさして興味のなさそうに言う。
今のヤーナムは斜陽の街と言うに相応しい程に衰退を見せていた。
医療教会は獣を狩り殺せるほど力のある狩人はほとんどなく形式だけの存在になっているにも関わらず意に反する存在を内々に粛正するような組織に成り下がったため今や信じるものより恐怖するものが多く、かつてのような求心力はもうない。狩人たちの導きとなったルドウイークのような英雄もおらず、ローゲリウスのように耳障りのよい言葉で聴衆の心を掴むような指標となる存在もいないまま獣狩りという名の人殺しを続けているのだからそれも必然だったろう。
医療教会の上層である聖歌隊は獣を狩る側から獣に取り入る側になって久しいとも聞く。
かつて街を賑わした学び舎であるビルゲンワースは殆ど廃墟同然となっており、メンシス学派だけが爛々と目を輝かせて秘匿している術を完成させようとやっきになるばかりだ。
これでメンシス学派の術というのも獣の病を克服するものであればまだ生きる希望も沸くだろうが、彼らの研究は人間の器などに興味はないのだろう。
獣狩りをするのは専ら、ヤーナムの不死の噂を聞いた異邦の狩人ばかりになっていた。
あらゆる病に効くという特効薬、血の医療の噂を聞きつけた、異郷のものはヤーナムの内実を知らず伝承にすがるよう灯火をかかげ集まってくるのだが、その異郷の狩人も、日に日に数が減っている。
死んでしまうのか、不死という夢から覚めてしまうのか、狂ってしまうのか、獣になったのか。とにかく気付いた時には消えていなくなっているのだ。
街にかつての活気はなく、市場に出向いてもヒトも、モノも殆どない。
ヨセフカの診療所では薬が足りず、怪我をした人間をただ寝かせるまま何の処置も出来ないという野戦病院のような有様になっていた。
「……何でも、恩人の仇を探しているのだという」
光の中で手を広げながら、ヘンリックは囁くように言う。 傍らのアーチボルトはそんなヘンリックの様子を見ながら、何かの記録をとっているようだった。
「恩人の仇かぁ……復讐ってやつ? ははッ、一番危うい理由の行動動機だね」
「そう、復讐のためにやってきたらしい……そして、そいつの探している復讐の相手とやらが、どうやらこいつのようだ」
ヘンリックはそういい、上を向く。
骨に針金のような黒い剛毛がはりついた獣は、身体を震わせながら青白い光を放てばヘンリックの周囲にまた数多の光が、蛍のように飛び交ってていた。
「こいつって……パールの事かい? つまり、復讐者はパールを殺しにきた狩人という訳か……困るな、パールは貴重な研究材料なのに」
アーチボルトはそういうが、それほど残念といった様子は見せなかった。 それは自分の研究が一つの段階に達していたというのもあるのだろうが、長らくこの場に縛り付けられ、研究という名目で痛め付けられ、死ぬ事も出来ずに囚われているこの獣を多少なりとも気の毒に思っているからだろう。アーチボルトはこの街でまだ痛みがわかるため変人として扱われているのだ。
「でも、パールは全盛期と比べれば全くもって大人しいけど。それでも強いよ? その流浪の狩人は、パールを殺しきれるほど強いってのかい」
どこかおどけた様子でアーチボルトが聞く。ヘンリックは一瞬目を閉じ、その狩人の姿を思い出していた。
東洋人特有の黒髪とのっぺりとした顔立ちは酷く若く見えるが、実年齢は壮年といっても差し支えないだろう。痩躯の男だ。だが鋼のように鍛えられた筋肉をもっている。 ルドウイークの剣ともちがう、刀身の反った奇妙な得物を巧みに操り獣狩りをする姿はヤーナムに来て間もないとは思えぬ程に手慣れていた。
あの武器でいかにパールへ迫っていくのか想像は付かないが。
「強い……な。恐らく、今のパールであれば充分に殺しきれるだろう」
流浪の狩人からは、おぞましいほどの憎悪と殺意とが満ちあふれていた。
復讐は、戦う理由として最も脆く、安っぽい理由の一つと言えるだろう。 だが同時に復讐という理由は、憎悪と殺意を極限まで研ぎ澄まし人そのものを一つの凶器と変えうる感情でもある。
あの流浪の狩人にとって恩人というものがどれほどの存在だったのかを伺い知る事は出来ないが、ヤーナムにいる獣を斬り殺せる程の凶器であり、狂気となっているのは間違いないだろう。
「そう、か……そんなに強いのか」
黒獣パールは身体を震わすのをやめる。 周囲に満ちていた青白い光は一つ、また一つと大地へ堕ちて消えていき、世界はまた上も下も分からぬ闇夜へと舞い戻った。
「あぁ、だけど頃合いかもしれないなァ……俺の研究も、パールも……」
「何だ、アーチー、らしくないな」
「いくら工房の変人でも、この街がもうどうしようもないってのはわかってるさ」
アーチボルトはそう言うと、軽く肩をすくめて笑うと街の方へと視線をやる。
ヘンリックと違いこの街で生まれ育ち長らくここに住んでいるアーチボルトでさえ、もはやこの街は終焉にあるのだと悟っているようだった。
だが、ここから出る気はないのだろう。
アーチボルトはヤーナム産まれでずっと工房に詰めていた職人だ。彼の技術を医療教会は外に出そうと思わないだろうし、彼自身もまた外の工房ではこのような仕事が出来るとも思っていないだろう。
ヤーナムに産まれたものは、ヤーナムの秘密を抱いたままこの土地で死ぬ。
それがこの街では当たり前の事だった。
「あぁ、光が……消えたな」
まとわりつくような闇の中、アーチボルトの声だけが聞こえる。 雷光に気を取られている間に、カンテラの火が消えていたのだろう。あるいはアーチボルトが雷光を楽しむため消してしまったのかもしれない。
ヘンリックはカンテラを探り当てると、慣れた手つきで火をともす。オレンジの灯りが周囲を暖かく照らした。
「光が消えたとしても……また、誰かつけるだろう」
そして光を灯すのはきっともう、自分の役目ではないのだろう。このヤーナムにはその担い手が一人、一人と減っていき、いずれその誰かもいなくなるのだ。
その言葉は口にせず、カンテラを掲げて歩き出すヘンリックの後をアーチボルトもついていく。 去り際、一度だけヘンリックは黒獣パールの方を振り返った。
黒い獣はじっと蹲って空洞のような目を虚空に向ける。
そこには青白い光は一欠片もなく、ただただ暗く、深い闇だけが広がっていた。
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