インターネット字書きマンの落書き帳
「ぼぎわんが、来る」を履修してから「来る」を履修した人のネタバレなし映画感想
「ぼぎわんが、来る」を読んだ後「来る」を見た人間の「来る」の感想をかきました。
これから「ぼぎわんが、来る」を読む人や「来る」を見ようと思っている人のためにネタバレなど極力排除して書いた感想ですからこれから見る人にも安心!
でも「来る」を見ようと迷ってるなら、「来る」は見てもそこまで損しない映画だと思いますよ。
当然「ぼぎわんが、来る」も読むか迷っているなら読んで損しない作品なのでホラーが大丈夫なら是非とも読んでみてくださいな。
好き勝手言うネタバレしない感想が欲しい人はどうぞ。
これから「ぼぎわんが、来る」を読む人や「来る」を見ようと思っている人のためにネタバレなど極力排除して書いた感想ですからこれから見る人にも安心!
でも「来る」を見ようと迷ってるなら、「来る」は見てもそこまで損しない映画だと思いますよ。
当然「ぼぎわんが、来る」も読むか迷っているなら読んで損しない作品なのでホラーが大丈夫なら是非とも読んでみてくださいな。
好き勝手言うネタバレしない感想が欲しい人はどうぞ。
『アクションシーンに養生シートが貼ってあるホラー映画ばかり見てきておりました』
映画「来る」は邦画のホラー映画としては充分な見応えがある映画と言ってもいいと思います。
まず、役者の演技が素晴らしい。
そもそも役者が皆さん「名だたる役者さん」であるという時点で一般邦画ホラーとは格が違うといってもいいでしょう。
何せ邦画ホラーは……いや、わりと邦画ホラーに限った話でもねぇですが、ホラーというジャンルの作品は比較的に低予算で作れるのが魅力だったりしますからね。
照明がやや暗くとも衣装などが多少チャチくとも見せ方やアングル、脚本や演出なんかで一気にそれっぽくなるジャンルなので押しも押されもせぬ役者さんが使われている事のほうが稀なんですよ。
それを示すかのように邦画のホラーはチャチ……ゲフンゲフン、ささやかな予算を駆使しており、テレビ局内なのかとか演者の私物なのかという衣装で……ゲフンゲフン、比較的リーズナブルに抑えられる撮影所や日常でも普段使いできそうなナチュラルな衣装が多く、あまり演技の上手くな……ゲフンゲフン 素朴な演技力が味わえるパターンが多いもの。
結果として全体的に「映画」というよりもっと気軽に脳みそを何も使わないで見られる「スナック菓子テイスト」の作品層が厚めな傾向があったりします。
白石監督なんてもうホラー界の「やおきん」と言っていいんじゃないでしょうかね。
知りませんけど。
そんな楽々サクサク食べられる作品が多い邦画ホラーのなかで、「来る」はもうひと味もふた味も、何なら素材から違います。
ちゃんとした料理の味がしますから。
何せもう役者陣がすごい。
妻夫木聡氏の「どこか胡乱な夫」としての演技は説得力の塊だし、黒木華氏の「鬱憤を抱え行き場のない妻」の演技も真に迫る内容。
岡田准一氏も「あのイケメンがこんな胡散臭い人になれるのか……」と感心するほど役作りが徹底しており、見る側に「これホラー映画である前に映画だ!」と完全に理解させます。
ホラー映画だって映画なんですよ!?
それはわかっているんですけどね!
ですが普段からジャンク菓子の味がするホラー映画を貪るように喰って素朴な演技力になれていた身体でそのままこのホラー映画を見るとその素材の良さから「すごい、えいがを見ているみたいだ!」と謎の感動を覚えてしまうくらい皆様の演技がお上手なんですよ。
いや、役者の演技を褒めるなんておかしい事だってのはそりゃそうなんですが、それにしたってみんな上手い。
そしてこの点は原作「ぼぎわんが、来る」を知っていても「なるほど、そう来るかぁ」と思わずニヤマリしてしまうレベルに達している、原作遵守のキャラ立ちなのです。
小説を読んだ頭で映画を見ても、原作では僅かにしか語られない外見のイメージそのまま抜き出したようなお姿は流石のひとこと。
原作で見たまんまのイメージをきちんと現実的に存在しそうなラインで作っているので画面全体にものすごい安定感があります。
漫画原作映画などでたまに見る「登場人物のコスプレ大会」みたいな事態には陥ってないので、「日常風景のなかにコスプレ集団がいるぞ!」みたいな不安定な気持ちにさせる事はないのでその点は安心できると言えるでしょう。
最も「ぼぎわんが、来る」は小説なので「俳優のコスプレグラビア大会」にはなりにくいジャンルだといえばそりゃそうだってハナシですが。
また、監督である中島哲也氏は極彩色のカットや鈍い空のカットなど、そういった印象的な色使いが得意な人物。
こちらの映画でも中島監督の映像美は遺憾なく発揮され、映像の一つ一つが脳に焼き付くほど鮮烈で印象的になっております。
原作ストーリーの「ぼぎわんが、来る」の面白さに役者陣の演技力の高さ、そして監督の手腕による映像美など全てのクオリティが高いので、総合的に見応えのある邦画に仕上がっているのです。
えぇ、少なくとも「血しぶきが飛び交う戦闘シーンで養生シートがバリバリに貼ってある」みたいな「あっ、撮影場所汚しちゃいけなかったんだろうな」と見ている側が察してしまうようなギリギリ予算でやっていません。
有名な監督にはちゃんと予算付くんだなぁ!
なるほど、これだけ豪華なら邦画のホラーでありながら「ちゃ、ちゃんと映画を見ている感じがする!」と思うのも当然ですね。
アクションシーンに養生テープが貼ってあるとか!
一番演技力があるのがお笑い芸人とか!
CGもっといい感じに使えなかったんですかとか!
お金を渡すと霊媒師役が豪華になるとか!
そういった「ジャンク味のホラーあるある」が一切ないのすごい!
とか思ったんですが、ここは「普通の大作邦画」を見ている人たちは特に気にしなくていいポイントなような気がしますね。
えぇ 「普通の映画」を見ている人たちに「それは驚くところなの?」と言われるとはい。
そうですね、普通の映画では普通ですよね。(正座)
ですが「来る」が映画としてのクオリティは良好なのは確かです。
監督も役者も予算も充分な作品なのですから、原作の映像化としては及第点。
「好きな役者が出ている」と思ったら見てもOK。
興味があるんだと思っても手にとってOK。
鑑賞に堪える「面白い作品」であるのは間違いありません。
ンでもどうしてもネックになっているものは、この作品、原作である「ぼぎわんが、来る」がバチクソに面白くて良く出来た小説だってことなんですよね。
だから「来る」に興味があるから見てみたい! って人には「おう、是非!」って快く送り出せるんですが「原作の『ぼぎわんが、来る』と『来る』どっち見た方がいい」って言われたら「それは、原作の『ぼぎわんが、来る』かなぁ……」ってなっちゃうのが正直なところなんですよ。
ぼくの主観的にハナシになっちゃって恐縮なんですけどね。
『来る』は原作遵守ではあるけど原作を超えてる映画かといわれると「そこまでじゃないかな……」と判断しちゃうんです。
原作付き映画に何を求めるかってのは人それぞれだとは思います。
また、原作の内容によっては求められる映像化の方向性も違うとは思います。
ぼくの場合、ハリー・ポッターのようなファンタジー色の強い作品は原作の世界観をそのまま映像で見たいと思うタイプなんですが、ミステリ作品やホラー作品に関しては「原作既読勢でも驚かせて欲しいなぁ」「原作遵守でもちょっと違うスパイスとか、原作には無かった要素を足して楽しませて欲しいなぁ」なんて思う事が多いんですよ。
ミステリとかホラーが好きな人って陽キャをブッ殺したいと思っている人がほとんどだと思うんですが、陽キャブッ殺してぇなぁ……イカしたナオンつれて軽率なワンナイトラブかますような連中が勢いよく殺人鬼とかにヌッ殺されている姿を見てスカッとしてぇなぁ……なんて欲望の他に、基本的に「驚きたい」「思わぬ裏切りなどを目の当たりにしたい」みたいな「思考の死角からくる発想に触れたい」みたいな所あると思うんですよね。
陽キャは当然ブッ殺したいんですが。
まぁそれはそれとして、やっぱり驚きたい。
原作より面白いアレンジがされていればいいな、なんて期待しちゃうわけですよ。
ぼくが原作付き映画に求めるものの主たる部分は「原作を見ている人間を納得させるアレンジがされているかどうか」ってのがわりとおっきいんですよね。
それは例えば「原作を知っていると騙されてしまう、視覚が加わった事で現れる仕掛け」であったり「原作では足りなかった視覚的な描写」であったり「原作では出来なかった視覚的な演出」であったり…… そういった要素も、基本的に「原作の真核」を壊す事なく取り入れていると嬉しいんですよ。
だから原作付き映画は「完全に原作通りにやりました!」という作品よりも「原作のもつ真核を守りつつ再構築したもの」の方がぼくにとって理想なんですよね。
もうちょい言うと「原作付き映画は、出来れば原作を見ている勢でも驚かせてほしい。原作を知っていても楽しめる、原作と映画両方オススメできる作品にしてほしい」ってのが欲しいなと思っており、まぁそれが無理だったら「原作遵守で原作の雰囲気やストーリーを壊さないでやってほしい」みたいな気持ちですかね。
ちなみにハードルを地面に埋めたくらいになった時は「無を喰いにいくぞ」くらいの気持ちでいるので、ここまでハードルを下げると逆に「ここまでハードル下げても楽しめない伝説クラスの作品」に入ります。
このレベルの作品は逆に出会えないので貴重な存在と言えるでしょうが、「やった! すごい貴重な作品に出会ったぞ!」という感慨はなくむしろ「やべぇ、事故った!」って気持ちのほうが強いですけどね。
ともあれ、「原作通りにしてください、できたらアレンジもください」と思う近づくことも出来ないオアシスをもとめるぼくですが、それが「映画作品」となると地上波の枷がなくなるぶんまたちょっと期待値が上がっちゃうんですよ。
ほら、映画ってテレビ放映では出来ない特別なモノやピーキーな表現も出来ちゃう場であるのが一つのウリじゃないですか。
だから求めちゃいますよね、 過激な暴力とかちょっと多めのえっちなシーンとか普段では見られない豪華なCGとか……。
暴力! エロス! がメインではないモノの場合、優れた脚本演出とか、そういう奴ですよ。
その点で言うと、「来る」はどうしても原作「ぼぎわんが、来る」のストーリーラインをなぞっているだけ…… 映画にするにあたり原作を再構築した上できちんとアレンジはされており原作を見た人でもその差異がわかるようにはなっているんですが、基本的なストーリーラインは原作そのまま、かつアレンジ部分を見ると総合的な娯楽性が原作のほうが良いな……と言わざるを得ない部分がどうしてもあるんですよね。
少し具体的にお話しますと、原作「ぼぎわんが、来る」はホラー作品に娯楽性をかなり取り入れた構成の作品なんですがその面白さの一つに「人間として至らない所はあるが確かにそこに愛情が存在していた」ということ、「皆が愛している存在だから救われて欲しい」と読者に思わせる部分があるんですよね。
それが最後にどのような結末を迎えるのか……この物語に「救い」があるか、という部分に一つの重きが置かれているんです。
これはホラー作品の特徴なんですが、ホラー作品ってのは見ている側に徹底的に「ままならない現実」を見せて「めっちゃくちゃ嫌な気分」にさせフラストレーションを与えに与えまく精神にストレスをフルボッコにした最後、抑圧された感情を一気に吐き出すカタルシスが求められることが多いんですよ。
見ている側の情緒を滅多打ちにするけど、最終的にはそれが消化されるってのが理想なんです。
一般的なアクションやら恋愛やらも大概そうですね。
アクションなら「力のない、手段のない主人公が力でそれを打ち破って勝つ」とか、恋愛だったら「お互いの心がすれ違うけど最後は結ばれる」とか。
ホラーの場合その抑圧が「恐怖」であり「苦しい現実」「幽霊」「呪い」「超自然」で、最終的に「超自然を打ち砕く」「逃れる」などしてそれを消化するのが楽しまれる構図なわけです。
最も、アクションでも「勧善懲悪じゃなく主人公が悪オチがいい」恋愛でも「結ばれなかったけど大団円」があるよう、ホラーもまた最後の内容が必ずしもハッピーではないんですがその点はわりと見ている側として「このすげぇ呪いやら何やらにどう落とし前つけるのか」という部分や「登場人物が納得して理解してすすんだ選択」を重要視するので必ずしもハッピーじゃなくともいいんですけどね。
えぇ、ホラーのカタルシスは必ずしも勧善懲悪的な展開ではなくむしろ泥沼結末であってもいいのです 。
我々は不幸を見に来ているのだから。
原作「ぼぎわんが、来る」も読者に対して徹底的なストレスを与えてきます。
それは「正体不明のナニカによる呪いのようなもの」であり、また「実は隠されていた不穏なナニカ」であったりするわけです。
そしてそのストレスに耐えるために与えられるのが見ている側に「愛されて欲しい」「救われて欲しい」と願ってしまうとある人物の存在なのです。
読者は「不穏で巨大すぎるもの」「悲しすぎ歪すぎるもの」を理解した上で「救われて欲しい」という願いを抱き、その願いをよすがとして物語を読み解いていく……。
そんな構成になっているんです。
映画版はその部分において原作のもっていた娯楽性の一部を欠如させるようなアレンジを入れてしまってるのが、ぼくとしては結構「残念だなぁ」と思ってしまうポイントなんです。
原作は「やり方は間違っていたかもしれない、けれどもそこに愛は存在した」と強調されていた部分が、映画だと「歪んでいた」「愛してもいなかった」という解釈に寄ってしまうため「救われて欲しい」と願う人物が「この世界で果たして救われるのか」という曇った疑念や不信感を抱いて見てしまう結果、原作と比べて最終局面におけるカタルシスに圧倒的な差が出てしまっているんですよね。
ここがぼくとして「来る」が「ぼぎわんが、来る」に至らないなと思ってしまう決定的な解釈の齟齬であり、この齟齬が個人として「これなら原作オススメしちゃうなぁ」になっちゃうんですよ。
この点では原作の方が最後まで見た時の満足度・納得度などが高いので。
とはいえ「来る」がエゴサしにくい残念なタイトルながら面白い邦画であるのは事実です。
ホラー小説はあまりに読むのが恐ろしいけどホラー映画なら見れるぞ、という人が「小説は無理だから映画を」と手に取っても何ら問題のない作品ですから、見た事がない人、見てないぞと迷っている人は見てみても良いとおもいます。
特に終盤の「なんか大集合してるぞわいわい」は映画だからこそ出来た展開。
あんな光景現実では絶対に見る事が出来ないので、そういう意味では「映画でしか出来ない体験」をさせてくれると言えるでしょう。
普段、あんまり頭を使わなくても気軽にサクサク食えるタイプのホラー映画を見ている人にとっては「ガチ目に胃に来る130分超えの大作邦画ホラー」なので、結構頭と精神を使うから「作業の合間」より「よし、映画見るぞ」という時向けではあります。
じっくり映画と向き合いたい時などにどうぞ。
普通はじっくり映画と向き合ってるって?
はい、そうですね。(正座)
また「来る」を見たけど原作も見てみたいな、と思った人にも原作もオススメです。
澤村伊智先生の「ぼぎわんが、来る」はとてもおもしろいですよ!
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